濃密な二日間

 一日というのは濃い。それは以前の生活のように、如何にその日を乗り切って休みを迎えるかという生活では得られない。どのような環境であれ、自分自身の核となるものを育てることを疎かにしてはならない。人はすぐには変わらないので、どんな状況であれ周囲に流されず糧に出来るもの。反面教師も然り。そうした状況下でも楽しめる人は強い。要は考え方次第、我慢、辛抱、そうした中で得たものは必ずその人にとっての財産となる。強さとは、その人の持つ揺ぎ無いものがどのような状況下でもそれに対して成長の為へと転換出来る人だと思う。そうした、強く想いを持ち続け成長すべく判断と行動に移せる人、それはきっと「志」のある人と言うのだろう。

 まずは、昨日の稽古から。

 昨日水曜日は15時から17時まで金山剣術稽古会のため戸越体育館剣道場にてW氏と稽古をおこなった。月曜日に高田馬場で後藤氏とおこなった「斬り上げ」をさっそくW氏にもお伝えした。W氏に受けてもらいさっそく下段から打ち込んでみたが、W氏の木刀が見る見るささくれてしまい、それをむしりながら鬼のように打ち込んだ。隣の柔道場で空手をやっていたチビッ子達が興味深そうにこちらを覗いていたが、W氏に起こりを捉えて外すようにお願いしていたので、見ていてもスリリングな状況であったのだろう。今回、背中を使うことでより威力が伝わることが分かった。

 剣術の「峰返し潰し」では、剣に力をほとんど入れないことで、W氏が嘘のように崩れた。これには私も信じ難いものがあったので、受けを変わってもらったが、驚いたことにこれまでにない崩され方をしてしまった。先日の剣術特別講習会でこれをおこなったが、この時はまだ剣に多少力は使うものとしてお伝えしていたので、今回の崩し方をおこなえばもっと驚かれただろう。この稽古では、受けが普通に立った状態で力の通りを検証しているので、後ろ重心で力を入れて踏ん張った場合、この技は有効ではない。その場合は得物を咽に廻して後ろに引っ掛けるが、これはおこなわないようにしている。

 それにしても、初動時に得物をほとんど動かそうとしないことで相手が崩れてしまうため、こちらの手応えというのは信じられないほど無い。相手としても、接触面に圧が掛からないため、首への負担がほとんど無い。にもかかわらずスコンと落ちてしまうのは、今後の体術関連の稽古においても非常に興味深いところである。

 一旦帰宅し、夜からは再び稽古に出掛ける。詳細は控えますがとても貴重な時間を私の脳と脳でもある身体の各部が私の意識では分からないところまで学ぼうとフル回転している感じがした。このところ理解したことは、認識していること、考えようとしていること、とは別次元で身体は何かをやっているということ。この働きに関しては信頼があるといってもいいかもしれない。それが身体なんだと。そこの身体という脳に思考を委ね、我が意識はどのようにしていればいいのかが、これからの課題とも言える。感動的な時間、感動と言うのは、身体からの重要なサインなのかもしれない。

 そして本日は、午後から高田馬場でW氏と稽古。珍しくガラガラだったため、Gold Castle でおこなう立廻りタイプⅡの動きを撮り直し、最近変更した部分を記録に収めた。今後その映像は講習に合わせて配信して行く予定。

 今日は久しぶりに「蛙の真っ向」を二十本おこなった。今日は気温も上がっていたため、先の立廻りタイプⅡを何回か撮影し、その時点で大量の汗をかいていたが、蛙の真っ向でさらに汗の雫が床を濡らした。

 昨日おこなった「峰返し潰し」での力の抜き具合による潰しの威力を、今日は杖の「お辞儀潰し」で検証してみた。するとやはり、W氏がガクッと潰れてしまい、私が受けても簡単に崩されてしまう。これももちろん、潰されないように準備していれば他の技に移行しなければならないが、力の通りを検証し次なる技への理を見出して行くための稽古法として大事に育てている。

 「斬割」では、自ら発したエネルギーに身体が引っ張られ、その引っ張られたエネルギーに背中を小さくぶつけるようにおこなうことで、今までよりも鋭く重く割れるようになった。これには打太刀を務めるW氏が私への信頼が無ければ怖くなってしまうほど毎度強力に斬り割ったのち切っ先が咽元に触れる位までの位置に付けられている。これも一つのフロー状態と言えるのかもしれない。なぜなら、コントロールしようとしておこなっていないので、毎回そうなっているという感覚でおこなっているため、精度にしてもなぜだか分からないが狂いは無い。おそらくは、意識下にはない所でそのように精確におこなっているのであろう。ということは、こういう場合は、意識下の中でおこなわない(当然目で追うことも出来ないしそのような時間は無い)なぜだか分からないが精確に出来るところへの信頼が大事であり、そこに任せて修練していくことがこうした稽古では大事である。

 最後におこなった抜刀術でもそのあたりの事をW氏にお伝えしたが、今日の杖術稽古でも口に出てしまったが、「今やろうとしていることの確認や技術に全ての意識が奪われてしまうとそこで止まってしまうので、それは動きの中での一部分にしか過ぎないので、その事に執着せずにもっと他に気を向けることがありますから、そうしたさまざまなことを考えていたほうが手掛かりが見つかり易くなりますよ。」というような事をお伝えした。つまり、「確認する」ということで自分に縛りをかけてしまっている場合がある。「確認」は物理的な状況判断であり、それは姿形から入ってしまう場合も多い。「感覚」に目を向け(と言っても目で見るのではなく)あらゆることを同時に考えながら、感覚というさまざまな情報の交通整理をしながらその適切な判断の出来る誘導員を優秀に育てることが稽古の中では大事といえる。

 今日は初めて連続斬り返しを六回までおこなった。前回動画に載せたものは五回までであったが、六回はこれまで十回もやっていなかったので、どのように見えるのかW氏にスマートフォンで撮影していただいた。実感としては脚部との連動に滞りがあり、全身が抜けたような感じにはまだならない。そのため違和感の中で撮っていただいたが、今後の成長のために未完成ながら配信することにした。連続斬り返し(六回)

 そして夜からは住吉でI氏と稽古をおこなった。一ヶ月ぶりであるがなんだか三ヶ月ぶりのように感じ、今日はこれまでになく話が多くなってしまった。だが普段もそうであるが、I氏との稽古では感性の稽古でもあり会話も重要な稽古となっている。

 私も自分の口から発して自分で驚いたが、「人は、想いを強くもったものに対し身体全身の脳が気付かぬうちに情報収集し、それをある時にフト教えてくれる。だから、私は今の活動(仕事)が好きかと言えば勿論好きですが、単に好きといったものでもなく、自分が生きていく上でなぜだか分からないけど断定的なものが脳裏に浮んでくるんです。それが何なのか不思議に思いますが、それは自分の中に強い想いがあるからだと思うのです。その強い想いというのはどうしてなのか分かりませんが、そこに身を委ね、想いと、断定的な教えがよい循環となって行けばそれは素晴らしい事だと思うのです。」という言葉に自分でも納得したのである。

 身体とは、心を知り、それを助けようと働いているのかもしれないと思ったのである。強い想いがあれば、自分でも意識しない内に、身体が情報収集し、あるタイミングで秘密の引き出しからそれを出して教えてくれているのかもしれない。だから本当にやりたいことをやっている人には、そうした断定的な教えのような閃きは多々あるように思う。先にも記したが、そのためには確固たる意思を持ち続けていられるか、志と言えば重たくなってしまうが、そこのところはとても重大である。

 I氏との稽古では、感性に通じる会話や動きの中で感じられるものが、I氏のフィールドの中で活かされて行くように私もそうであるが、I氏の熱意も強く感じる。稽古を通じて、普段の取り組み方や意識の在り方など、どんな状況でも自らの中にある確固たるものを信じてプラスにしていける強い人でもある。そうした方が私の所に来てくださっているのはとても有り難いと感じながらも、時間を無駄にはできない責任も感じている。今日の稽古で私自身、武術稽古以外における生き方という部分での脳と身体の関係性を学ぶことが出来た。自身の身体から断定的な教えを受けるための強い想いを持ち続けてこれからも日々を大事にしたい。私としては、懐かしい自分と新しい自分に会いたいと思い始め、少々不安もあるが何かしらの変化が生じるような気もしている。


2018年4月30日(月)&5月1日(火) 「関西特別講習会」
(お申し込み受付中)

金山剣術稽古会  

2018年4月 稽古日程

2018年5月 稽古日程

甲野善紀先生からの紹介文


2018-04-20(Fri)
 
プロフィール

金山孝之


     金山 孝之
  Takayuki Kanayama


1975年生まれ
北九州市門司区出身
世田谷区在住

松聲館技法研究員

金山剣術稽古会主宰

Gold Castle
殺陣&剣術スクール主宰

高齢者住宅 クラーチ溝の口
クラーチ剣術教室講師

パークシティ溝の口
杖術 巴の会主宰

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