自然さと無意識の関係

 一昨日火曜日の夜は、松聲館に伺い甲野先生と稽古。先生がこの日初めて試みる技を受けたり、先生の術理にある飛観法の展開から新たな動きが生まれ、それには驚きというか、見とれてしまうような感動がありました。そうした技が生まれる瞬間というのは、私自身稽古をおこなう者として、その過程や突然生まれ来る技との因果関係など、研究稽古のスタイルから何かを感じ取っているのだと思います。

 終電に間に合い、電車の中で稽古の余韻と感じたことを文章に纏めているとあっという間に到着してしまいます。その時間感覚は1時間が10分位に感じるもので、この時の脳内と身体の状況は、普段はなかなか作り出すことが出来ません。この集中状態が、稽古をしているときも、そうでないときも大事なのではないかと考えます。それは表の集中、表の稽古であり、まったく考えていない間は無意識的な状態で脳内が表の集中から得た情報を手掛かりに整えてくれているのだと思います。それが裏の集中、裏の稽古と私は考えます。表裏は一体となっているもの。無意識的に脳内で整えてくれるということは、その人にとっての自然な作用であり、自然であることが表裏一体となった日々の循環の中で形作られていくのではないかと思うのです。もう少し書きますと、表裏は一体のもので両方を同時に存在させることはできません。ですから表が介入しすぎないことが裏の働きを円滑におこなわせるものであり、逆に表が足りなすぎても裏は情報不足で停滞してしまいます。寝かせる時間というのは、そういう表裏が一体となった働きに関係しているのではないかと、最終電車の中で気がつきました。その人にとっての自然な生き方が、その人にとっての表裏を形作って行くのではないでしょうか。

 このことに気がつけたのは、先週の5/5におこなった「土を踏み山を観て風を聴く」河川敷での稽古が関係していると思います。自然を感じられる環境で、無意識的に裏の集中が何かを感じ取ったのだと思います。裸足でおこなうことにより、自然との接点が足裏を伝って身体を駆け巡りますので、室内での裸足稽古とはまったく異なる実感を得るのでしょう。

 便利な世の中であることは有り難いのですが、自然の恩恵を実感できる生き方は、その人にとっての自然さを身につけていくことでもあると思います。あらためて「自然」という言葉の感じ方がこれまでよりも変わってきた今日この頃です。


金山孝之 YouTubeチャンネル

金山孝之 指導・監修 DVD
『古武術は美しい』~合理性を追求した身体の芸術を身につける~


金山孝之 指導・監修 DVD
『古武術は速い』~型の手続きを追求した剣・杖の実践的な体使い~


金山剣術稽古会

2021年5月 武術稽古日程

2021年6月 武術稽古日程

甲野善紀先生からの紹介文

2021-05-13(Thu)
 

土を踏み山を観て風を聴く

 緊急事態宣言が予想通り延長となり、今後の予定もまだ不透明なまま。しかし、私自身にとっては大した問題では無い。Gold Castleの生徒達や私の稽古会の門人達と稽古が出来ないのはとっても寂しいが、人生とはいろいろな出来事が想定外に起こりうるものである。

 生きるということは、受け入れていくということでもあり、それは納得したいからにほかならない。納得できないことでもどう納得していくか。もちろん何でも容易に受け入れるわけにはいかない。私もそういう生き方だった。納得して生きて行くには自分の意思で決断すること。それについては6月刊行予定の本に書いているが、決断には行動がともない、行動するには選択しなければならないことがある。何を選びどう生きていくか。それが若い内だけでは無くこれからもずっと選択し実行できる生き方でありたい。

 先日、とある河川敷で屋外稽古をおこなった。生憎の雨だったが、潤った大地とは裏腹に私の身体は乾ききっていた。現地までうっとうしかった雨が、稽古を始めるとまったく気にならない。この感じはひさしぶりの稽古というよりも、裸足で「土を踏み山を観て風を聴く」この自然とともにおこなうことが、身体にとって最高の条件なのではないかと感じたのであった。

 雨は次第におさまったが、風は剣が流されそうなほど。しかし、裸足でおこなった事は大正解であり、身体の唯一外部と接触し続けているのは足の裏。その足の裏が生で、今までに無い情報をキャッチするので、その情報収集力は普段の数倍にもなっているはず。予定調和で無い足場の環境は常に速やかな情報を送らなければならず、身を守る、重心を知らせる、姿勢を作らせる、それらを動きの合間に猛烈な速さで情報探査している。

 驚いたのは稽古が終って帰る際の足取り。

 稽古中は気づかなかったが、三時間の稽古後、軽く足を拭いて、足袋を履き雪駄で歩いていた際に、足裏がフワフワと柔らかくなっている。さらにポカポカしており、身体全体が喜んでいる。帰宅して寝るまでずっとそのような感じが残っていた。裸足で走るということが身体本来の働きを蘇らせると聞いてはいたが、今回の稽古ではまさにそれを体感できた。天候の影響か、周囲にほとんど人が居なくて、今夜20時にその動画を配信予定だが、なぜ今までこういう稽古をしなかったのかと思うほど、ビル群や人混みから解放されたこのような稽古が今後も出来ればと願っている。

 この広い大地を走り回り跳んだりしながら、杖術や剣術をおこなった。遠くに見える山を観て、足元に広がる草花を観て、猛烈に吹きすさぶ風の音を聴きながら、未だかつて感じたことの無い感覚で稽古が出来た。それは、ずっと前から望んでいた環境でもあった。そんな中、想像以上だったのは、同じ裸足でも畳や床とはまったく異なる稽古後の足裏の感触。整備された地面では足裏の能力も性能を活かしきれていないのかもしれない。その足裏への情報探査力と、それを活かせる皮膚ないし、感度の調整は、私の想像では精神的にも良いものであり、心の不具合もかなり改善するのでは無いかと思う。「得るものがあれば失うものもある」時が経てば「得ていたことで見失うものがある」裸足での河川敷稽古は、まさに実感を持ってそのことを気づかせてくれた。


2021年5月15日(土)『抜刀術 特別講習会』(お申し込み受付中)

金山孝之 YouTubeチャンネル

金山孝之 指導・監修 DVD
『古武術は美しい』~合理性を追求した身体の芸術を身につける~


金山孝之 指導・監修 DVD
『古武術は速い』~型の手続きを追求した剣・杖の実践的な体使い~


金山剣術稽古会

2021年5月 武術稽古日程

2021年6月 武術稽古日程

甲野善紀先生からの紹介文

2021-05-07(Fri)
 

表と裏 それは学び方としての理想かもしれない

 一昨日火曜日の夜は、松聲館で甲野善紀先生と稽古。体術、剣術、薙刀等さまざまでした。体術では相手の引き込み方に、足の使い方が大きく関係しており、それを自然に導いていく「手の裏奪り」に受けの身体がなぜそうなってしまうのか、深く納得いたしました。

 小手返しでは、これまでに色々と受けさせていただきましたが、「これは深いなぁ…」と、あらためて感じます。柔らかく、それでいて相手が耐えられずに崩れていく。私自身、自身のけいこでは数えるほどしかやってきておりませんので、この小手返しには、とくに受け側の緊張があり、そこに何らかの互いの工夫が重なり合っていくような気がいたします。

 抜刀術による体捌きを体術で用いた場合の先生の身体の強さには驚きました。タックルのように組み付いても腕が解け振り飛ばされます。先生よりも私の方が体重が重くなりましたが、抜刀術のように鞘と刀身部が別々に動く場合の精妙な身体の働きというのは、抜刀術でしか練られないものがありますので、抜刀術以外にも得物で練られた身体の働きというのはあると思いますが、それを実際に有効に働かせるのは簡単ではないと思います。

 先生の新しい術理でもある飛観法が、表と裏、つまり意識と無意識に関係しており、それは心と体の関係ともいえるかと思います。表は表で大事であり、裏は裏でしか為しえないものがある、というふうに感じました。この時伺いましたお話は印象に残るものでした。稽古法について具体的に言葉にすることの難しさがありながら、同時に自然とそのようになっていくような気もいたします。

 久し振りに先生の薙刀を軽いソフト竹刀で対応させて貰いましたが、その薙刀の変化には大変苦労いたします。当然先生の薙刀の技には面白いように打ち込まれるのですが、何度かたまたま受け止めたり外すことが出来たりするのですが、胸への突きには全く対応が出来ませんでした。そして先生と交代して、私が薙刀を持って先生に打ち込んでいきますと、ある空間を閉じられてしまったことで、入身により薙刀を押さえられ切り込まれてしまいました。対薙刀は、如何に入身に入れるか、その刀身部までの距離が攻防の要であり、その先は薙刀にとっての弱点となります。しかし、そこまでが非常に困難であり、工夫が必要となります。

 剣術では、「鶴嘴崩し」に進展がありました。この技は先生の「鴫返し」という技を参考に工夫したものですが、先生に受けて頂いた折にこの鶴嘴崩しという名前を付けて下さいました。この技は、相手と鍔迫り合いになった状態から、相手の剣をズラし、そのまま相手の柄をもぎ取るように奪うという技です。久し振りに袋竹刀で先生が受けて下さり、何度かおこなったのち、剣を逆手に持ち替えるのをやめて順手のまま押さえてやってみました。
 
 そこで先生から、面への攻撃が誘いになるとアドバイスをいただき、これまで以上に相手の手元から柄をもぎ取ることがやり易くなりました。これはいままでのように逆手ですと出来ないものですが、剣の持ち手を順手に変えたことで、柄頭が相手に向くため、相手の意識をそこに向かわせることが出来るのです。そのことを一瞬で察知されご指摘頂けた先生にあらためて感謝いたします。

 稽古ではその時そうは思えなかった技でも、時が経てば、なぜそう思えなかったのかが不思議なほど有効だと気づかされることがあります。単純に未熟だったからということもあるかもしれませんが、未熟というのは善し悪しを見極める眼が育っていないということでもあります。ですから、善し悪しを見極めるなんてことは、「今の時点限定」にしておかなければ、その時点で止まってしまします。時の流れとは成長に繫がっているものでもあり、その成長とは無意識的な部分の方が多くの割合を占めているのだと思います。ですから、無意識的に何かを得ていくためには、意識的に環境を整えて無意識的に得ていけるものがスムーズな流れの中で日々循環していけるように整えてあげておくことだと思うのです。好きなことをやる。やっていることを好きになる。ということは、自らの環境の整え方だと思います。

 情報に溢れ、便利になり忙しく詰め込まれる時代でも「自らと向き合う環境と習慣」は、生きていく無意識の成長と喜びには不可欠のものでありますから、素直に真面目に生きていても、それが世間や情報に委ねすぎてしまった場合は、どこかで苦しい思いを味わっていることになります。お金や利害関係の無い情報(利害関係があっても、会社が存続していくために必要とされているものも多くありますが、どんな会社が存続に値するかということも踏まえて…)。それは身近な信頼できる人との会話であったり、自分自身と向き合い何かを解決していくことの実感だったり、真に信じられるものと生きていくことが、現代において忘れつつある価値観だと危惧しております。愛情であったり、信頼であったり、それから逸脱することの無い範疇で人は支え合って生きていくことは、学校のテストなどの勉強に比べはるかに解りやすいものですが、実行することはとっても難しいのですね。


2021年4月29日(木/昭和の日)『抜刀術 特別講習会』(お問い合わせ受付中)

金山孝之 YouTubeチャンネル

金山孝之 指導・監修 DVD
『古武術は美しい』~合理性を追求した身体の芸術を身につける~


金山孝之 指導・監修 DVD
『古武術は速い』~型の手続きを追求した剣・杖の実践的な体使い~


金山剣術稽古会

2021年4月 武術稽古日程

2021年5月 武術稽古日程

甲野善紀先生からの紹介文

2021-04-22(Thu)
 

今までに無かった出来事

 深夜0時を超えてしまいましたが、昨日3/9は松聲館へ出版社の方とともに伺いました。長時間滞在させていただきましたが、その中で稽古は数十分と今までに無い展開でした。しかし、その数十分が私にとっては数ヶ月、いや数年分の価値があるものとなり、今までに無い時間が過ぎていきました。稽古の不思議さ、無意識に感じるもの、動かずして判るもの、その密度は私にとりましても未経験のものであり、何が起きていてのかは出版社の方には全く判らなかったと思います。帰りに「いつも稽古風景はあのような感じなのですか?」と訊かれましたが、「いや、今夜は僕にとっても初めての展開で稀な出来事です。」とお答えいたしました。自らが未熟であるからこそ驚くことになりましたが、あれほど手を合わせずに時間を費やさずに何かを感じた経験は初めてでした。貴重なお時間を過ごさせていただき有り難う御座いました。

 帰宅後、深夜に杖整体操にある「杖乗解し」をおこなってみた。
 着替えの途中でフト思い立ったので、上半身裸で杖を左上腕の下に置いて、その上に左向きに横になる。三年前の暮れに右肘を痛め、それが治りかけたタイミングで右肩が痛み、それが合わせて1年以上続いただろうか。良くなったと思ったら、昨年の8月に左肘を痛め、それが治りかけつつあるタイミングで昨年の暮れ頃から左肩を痛め現在に至る。なんだか、順番に同じような痛みが長く身体に潜伏している。これが、たまたまなのか、何らかの因果があって順に巡っているのかは判らないが、それで余り支障をきたしている訳では無いので自然に治まるのを待っている。

 それで昨夜は左上腕を下に「杖乗解し」をおこなったのである。これは別段難しいものでは無く、ただ杖の上に横になるだけというもの。筋膜などに働きかけているものと思われるが、杖整体操の講習会を止めた理由の一つに、この杖乗解しが気持ち良過ぎたことがある。これで参加費をいただく事に躊躇があり、勿論その他の姿勢や相手に動かしてもらう操法のための誘導でもあるのだが、結果としてこれが一番気持ちいいという方が多く、それではみなさん御自宅でやっていただいた方がいいだろう。ということで、講習会はしばらく中断している。

 さて、昨夜の杖乗解しで最適な箇所を探っている際に、「下の階から音が聞こえるなぁ、いや、隣部屋かなぁ…」と、なにやら、騒がしいような「ゴォー」という音が聞こえ、よく確かめてみると、どうやら私の左腕から聞こえているらしい。左腕を下に横向きになって、寝ていたので耳が丁度上腕にピタリと押さえつけられ、おそらく血管内を血が流れている音ではないかと思うが、3年近くやっている中でなぜ昨夜初めて聞こえたのかが不思議である。まあ、それはいいとして、かなりの音が腕の中から聞こえ、それは風の音に近い。「ゴォー」という音や少し高い「ヒュー」という音も聞こえる。手を握りしめるとそれに反応して音がするので、血流の音だと思うのであるが、そんなのが聴診器でなく直に耳を押し当てただけで聞こえるのかなんとも不思議であり、心臓の鼓動もまるで聴診器を当てたかのような、血流のポンプが感じられるもので、指の一本一本を順に折り曲げる毎に風の音がし、全て握りしめると「ゴォー」という音になる。驚いたので思わず「どうしたの?」っと、幾つか話しかけてしまったが、今日の稽古場でも微かに確認できたし、帰宅後、さっそく上半身裸になって確認すると昨日と全く同じであった。右腕も試してみたが、昨夜は聞こえなかったが、今夜は少しだけ「ビュー」っと聞こえた。

 おそらく、これは血管を流れている血流の音だと思うが、それにしても凄まじい勢いで、本当に強風が吹いているような音がする。杖と頭で上腕を圧迫しているため聞こえたのだと思うが、左腕から大きな音が聞こえるのは私の左大胸筋の怪我によるもので、それは2013年10月8日の出来事であるが、アスリートなら選手生命が危ぶまれるような大きな怪我であるが、武術稽古に関しては全く問題がなく、寧ろ杖や剣を振り下ろす際には具合が良い。あるものがそこに無いので抜けがいいのだろう。だから、血流の音が薄い肉の間を通じて聞こえたのだと思う。今まで聞こえなかったのは、たまたま上半身裸でおこなったからだろう。血流の音は強風の音に似ている。

 そして今日3/10は戸越体育館で渡部氏と柳澤氏と稽古。
 蠢動と接触の工夫を使った体術「撫で落とし」を試みると、渡部氏が崩れなかった。昨夜の甲野先生にも反応が微妙だったし、月曜日のO氏にも下まで崩すことが出来なかった。
 渡部氏との稽古では、出来たことと出来ないことのデータが、互いの状態の中で蓄積されているので、たまたまとか、相手がどういった状態で崩れたのか崩れなかったのかが、検証として一つ一つ確認することが出来る。これは誠にありがたいことで、さまざまに失敗を重ね、その失敗は信用できる失敗であり、そこから組み立てていくため、結果として出来るのか出来ないのかの迷いが少ない。

 崩せなくなった「撫で落とし」で解ったことは、渡部氏からの指摘で方向が狂っていたことと、私が自らの映像を観て撫で方の精度を上げようと沈み方、または脚部の使い方への関心が、背中の働きを止めてしまっていたということに気が付き、修正したところ以前のようにアッサリと崩すことが出来るようになった。柳澤氏にも受けていただき同様に崩すことが出来たしその反応も確認できた。

 崩しの方向に関しては、よくある修正点の一つであるが、背中の使い方には「なるほどなぁ…」と感じ入るものがあった。つまり、背中を丸く使うことで剣で練られた身体使いが出来るようになり、その丸さには引き込みが肝心となる。だから、なぜ出来るのか解らない「引き込み潰し」や「撫で落とし」には、そうした働きがあるということがより具体的に理解出来た。今まで背中を使っているつもりだったが、実際には始めの瞬間だけであり、腰の辺りが支点となって直ぐに止まってしまう。そこに浮き身を掛ければ僅かに力は増すが、相手が慣れてくれば対応されてしまう。それはつまりまだまだ背中が使えていなかったということ。背中には引き込みが肝要であり、その引き込みにはある種連動し身に付いた動きが求められる。それは剣術であったり杖術の中で自然と養われていくものだと実感した。

 そこで、渡部氏と柳澤氏に杖を使った「呼雀」と「雀返し」をおこなっていただき、前述した内容に着目しおこなっていただいた。この引き込みは今までおこなっていた浮き身とは異なるが浮き身であると思われる。一見すると、下手な人が相手の腕に乗り上げるような足の使い方に近いが、そこは似て非なる働きがあり、背中の力を丸く使うことが出来る。

 それならばと、試しに相手に腰を落として両手を前に出し(肘を少し曲げ)掌を組んだ状態になっていただき、それを片手で下まで沈めるという「切り落とし」を試みた。すると、渡部氏は相当受けが強くなっており未熟な私ではかなり苦労していたのだが、接触する前腕に食い込むような痛みが無く下まで崩せるようになった。何度か繰り返したのち、柳澤氏にも受けていただくと同様に下まで崩すことが出来た。柳澤氏の受けも稽古会に来られた当初は、単純な浮き身だけで崩せたが、同様におこなうと全く動かないほどになっていた。そこで、先日の特別講習会でもおこなった、左右の腕を使って背中の力で横の円に崩す方法でおこなってみたところ、あれほど強力だったものが全然崩せなくなり、「これはどうしたことだ!」とガッカリしたが、今日もっと有効な背中の使い方と引き込み方に気が付いたので、「良しとしよう」と自分に言い聞かせた。おそらくであるが、無意識的に有効な身体使いをしってしまうと、全体の調和というか張りのようなものが、もう別のもので出来上がっており造形が変わってしまったのではないかと想像する。だから、前に進んだら以前のものはもう必要が無い、「それはもう変わってしまった」ということなのだろう。

 最後に杖整体操をおこない、ひさしぶりに「寝返し」をしていただいた。これは相手に杖で引っ張ってもらう操法であり、ただ仰向けになっているものをうつ伏せにしたり、うつ伏せになっているものを仰向けに転がすのである。ひさしぶりにやってもらったので、ここ最近感じることの出来なかった気持ちよさが訪れ、自然と呼吸が深くなり、その場で微睡んでしまう。稽古後は立った状態での直立感がひさびさに感じられ、更衣室で鏡を見ると顔の血色が明るくなっていた。これはこれまでにも感じてきたことであるが、その時の身体の状態により何が効果的なのかはやってみなければ分からない。ただ言えることは劇的に気持ちの良い状態は身体が求める動作であり、そこをどうやって見つけられるかである。

 この二日間は身体にとって記録的と言えるほどの濃密な時間となった。背中と肚に何らかの繋がりを感じ、それが視覚的にもフィルターが掛かるようになり、何らかの情報に誘われなくなった。そのことは今日も試みたが、相手に私を驚かせるような手の動き、足の動きをつけていただき、それにどう反応するのかを、幾つかの状態で検証してみたところ、やはり昨夜甲野先生との時間で感じたような状態では、顔の表情が変わらずにさまざまな動きに反応していることに驚く。駄目な状態でも試したが、その違いは明らかであった。「状態が変われば機能も変わる」それを実感することが出来た。

 これらのことに感謝し、これからも稽古に精進したいと思います。


金山孝之 YouTubeチャンネル

金山孝之 指導・監修 DVD
『古武術は美しい』~合理性を追求した身体の芸術を身につける~


金山孝之 指導・監修 DVD
『古武術は速い』~型の手続きを追求した剣・杖の実践的な体使い~


金山剣術稽古会

2021年3月 武術稽古日程

2021年4月 武術稽古日程

甲野善紀先生からの紹介文

2021-03-11(Thu)
 

見えないものの違いを感じ取る無意識の働き

 火曜日は松聲館に伺い甲野善紀先生と稽古をいたしました。先生が作業をしている間、道場内で一人身体を動かしていたところ、背中と左右の感覚に気づくところがあり、これを稽古が始まって先生の突きを受ける際に試みたところ、先生から「あなたのレベルが上がりましたね。」とお言葉を頂きました。

 同じような形でも、それを繋げる感覚があるのと無いのとでは働きが違うということ。それが違和感として感じられるようになったことが私の中で大きな収穫でした。この日は先生の気づきから、手続きと気配に関する言葉に深く納得するものがありました。この気配というのは目に見えないレベルのものであり、それらはまるで言語のように人は生まれながらにして自然と察知していることと先生はその瞬間呟かれておりましたが、まさに言語のように自然と話せるようになるのと同じく、身体の動きに対する自然な反応も人は備えているのです。

 その自然に身についた無意識レベルの反応ですが、何かしらの動きを加える相手は、どうしても踏まざるを得ない手続きがあり、そこに対して相手は見るのでは無く反応しているのだとおぼろげだったものが整理出来たのでした。つまり、視覚的に見えていない部分を無意識レベルで感じ取り反応出来るように自然と日常生活の中で学んでいるということです。何度も例に挙げておりますが、階段をスタスタと降りることが出来るのも、無意識レベルでの予測が働いているからであり、その着地までの距離と衝撃の度合い、身体のバランス、そうしたものが瞬時に予測出来ているため、予測に備えた身体の反応の中で別に難しいことも無く足下を見なくても解るのです。

 この人間の持っている高度な反射反応の予測を消してしまうのが、先生の新たな術理にはあり、そこに武術の不思議さ奥深さを知ることになります。

 その他には、玉をどのように転がすか、そこから止められない回転と混ぜ合わせる回転。その手順の流れと変化。そうしたものも発見があり、大変勉強になりました。あらためて、稽古の場、発掘の場、研究の場、人を学ぶ場、「場無くしてその先を見ること適わず。」だと私は思いますので、そのことの大切さを自身の活動において肝に銘じます。

 世間がどのような状況でも、変わらずに稽古が出来ること。そこに武術稽古としての判定が下されているように思うのです。時代は変われど失いたくないもの、失ってはならないものがある筈です。先生との稽古で身体も心も穏やかにそして透明度が戻って参りました。色々と回復した夜となりました。ありがとうございました。


金山孝之 YouTubeチャンネル

金山孝之 指導・監修 DVD
『古武術は美しい』~合理性を追求した身体の芸術を身につける~


金山孝之 指導・監修 DVD
『古武術は速い』~型の手続きを追求した剣・杖の実践的な体使い~


金山剣術稽古会

2021年1月 武術稽古日程

2021年2月 武術稽古日程

甲野善紀先生からの紹介文

2021-01-14(Thu)
 
プロフィール

金山孝之


     金山 孝之
  Takayuki Kanayama


1975年生まれ
福岡県北九州市出身
東京都世田谷区在住

松聲館技法研究員

金山剣術稽古会主宰

Gold Castle
殺陣&剣術スクール主宰

高齢者のための剣術教室
クラーチ剣術教室講師


1990年
高校から実業団まで5年間ボクシングに専念する

1999年
中田秀夫監督との出会いにより映画に出演。上京後モデルや舞台のプロデュース公演などをおこなう

2009年
武術の道を志しそれまでの活動を一新し武術稽古と研究に励む

2010年
甲野善紀先生に師事し「抜刀術」「剣術」「杖術」「体術」などの稽古と研究に取り組んでいる。また、先生の書籍、番組撮影、記録映像、その他演武等における打太刀や受けを務める

2013年
刀と身体操作の技術向上を目指し裾野を広げるべく「Gold Castle 殺陣&剣術スクール」を発足

2014年
甲野善紀先生より
「松聲館技法研究員」を拝命
自身の経験を活かした指導法を各道場等でおこなっている
 
シニア住宅にて
「高齢者のための剣術教室」をおこなっている

日信工業株式会社の製品
「SAMURAI BRAKE」のプロモーション活動に携わる

2015年
「金山剣術稽古会」を発足
現代における武術稽古の必要性を身体と心で学べる場として活動している

2018年
「関西特別講習会」として定期的に関西地域での講習会を開催

2019年
BABジャパンDVD
『古武術は速い』指導・監修

2020年
BABジャパンDVD
『古武術は美しい』指導・監修

2021年
「日本公認会計士協会(JICPA)」プロモーションビデオ出演

お問い合わせ

名前:
メール:
件名:
本文:

管理画面
月別アーカイブ