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一日の内に起こることは大きい

 今日は高田馬場で渡部氏と稽古をおこなった。その向う道中に誘われることと誘いに乗らないことは意識的な問題ではなく、そうしたことにエネルギーを使わせられてはならないということで納得出来た。世の中は色々と神経を逆撫でるように仕組まれているが、そうした誘いに乗らないことは当然であるが、乗ろうとしないことに意識を努めさせる事も実は誘いに掛かっているのである。

 例えばアフリカの難民は昔から飢餓に苦しんでいる。顔に蝿がたかっていても、目や鼻の中に蝿が入り込んでいても、全く意に返さず生き延びるための日々を送っている。「ああ、なんという愚かな私の思考であったか…」目や鼻に蝿がいても気にならないなんてことはどのような心境なのだろうか。そのようなことは当たり前の事で気になるものではなくなってしまうのだろう。それどころかもっと切実な問題があり、そのような些細なことは無意識の中に収められるのだ。余計なことに自然とエネルギーが使わせられてしまわないように人間の神経や感覚というのは切り替えられるのだ。

 そのようなことを渡部氏に話しながら剣術稽古をおこなった。意識的に余計なエネルギーを使わせられてしまわぬように稽古をおこなう。精度に関しても意識を薄めて精確におこなえること。そのためには、複雑で手数の多い打ち合い稽古よりも、一息で終ってしまう程の稽古が無意識で反応出来るレベルに近づけるように思える。

 悪い意味で我を忘れるというのは、無駄なエネルギーを使い過ぎているのだろう。それは物理的な力みや強さだけでなく、気の持ち方としてのエネルギーというべきか。確認癖というのは余計なエネルギーである。手順に拘るのも余計なエネルギーとなる。精神的な力みともいうべきか、兵法家伝書ではそうしたことを「病」と表している。

 ではエネルギー(気のもちかた)を何処に向かわせるのか?

 その答えは現時点ではまだ解らない。自然に任せ、身体が心地良く整っていたならそのエネルギーの通りは誤っていないのではなかろうか…しかし、そうした身体との出来事は終りなき遣り取りとなっているので、無意識に近い状態で自然に対処できることが最適な手段といえると今は思っている。

 そうした思考から、杖術稽古、剣術稽古、抜刀術稽古、それぞれの求める働きは異なり、無意識に思いのままに動けるためには、精密な何かの装置の如く動ける必要もあり、その両方を各得物の稽古では明確に分けておこなっている。

 今日は昨日に続いて体術というか身体操作の働きを検証する稽古を30分程おこなった。突きの稽古であるが、これは本当に色々なところが気になってなかなか難しい。ただ言えることは意識的な考えでは出来ないという事だ。精密な操作と何かの気付きが合わさりながら微かに進展する。何で良かったのか何で悪かったのか、曖昧なだけに難しい。しかし、身体感覚を練るにはとても身になる稽古といえる。そのためには微かにでも興味深く感じられる働きが実感できるように進められることが大切である。

 あらためて稽古では、「動きを練り上げるもの」、「新たに開発するもの」、「自由に身を任せて動けるもの」、この三つが大事となる。誘われずに目の付け所、気の置き所、そうした無意識に近い状態で対応できる身の養い方を修錬し、生き方とともに進展させて行かなくてはならない。

 一日の中で感じること、整理すること、把握すること、改善すること、そうした日々を一日、また一日と過ごして生きていく。解ったことを実践出来る、または実践しようと試みることが出来るということは有り難いことでもある。

 誘い云々もあるが、私自身の思い上がりも余計な意識が余計なエネルギーを生み出してしまっていたのだろう。そこに気が付けたことが今日は一番の収穫であった。

 明日は、気分を整えるには絶好の機会である舞台鑑賞に行って来ます。KATT神奈川芸術劇場にて生徒の佐藤誠さんが出演される舞台『常陸坊海尊』という作品です。Gold Castleの生徒三人とともに観劇いたします。大きな会場ですので非常に楽しみにしております!


2020年1月18日(土) 『抜刀術 特別講習会』(お申し込み受付中)

金山孝之 指導・監修 DVD
『古武術は速い~“型の手続き”を追求した剣・杖の実践的な体使い~』


金山剣術稽古会

2019年12月 武術稽古日程

2020年1月 武術稽古日程

甲野善紀先生からの紹介文

2019-12-20(Fri)
 

敏感になることの弊害とこれからの期待

 時に訪れるが、先週の13日頃から身の回りの出来事が悉く悪い方向となっている。さすがに呼吸も苦しくなってきたがなんとか回復した。しかしこれからの日々、人混みの中で目にするものに誘われず如何に自らを保っていられるか…たとえ人混みでなくとも、対人において如何に誘われずにいられるか…これは今後永く続くであろう日々の対応法をまるで地獄とはこの世の中の今目の前にあるその光景だと思えてしょうがないので、本気で探っていかなければ潰れてしまう。恐らく考え方を変えれば救われる。そう、大層な修業に出かけなくとも、今そこにある状況をどう誘われず同じ穴のムジナにならず過ごしていけるかが試されている。これはなかなか大変であるが、日進月歩で下降している世の風潮に対し生きていかなければならない。

 
 稽古記事に入る。

 月曜日は高田馬場で竹田氏と稽古。「触れ手落し」を試し、杖術、抜刀術を稽古した。竹田氏との稽古では色々と生きていく事に対する話が多い。聞き上手な方なので、つい過去のことや今思っていることを話す事が多くなってしまう。それは私にとっても重要な時間の一つでもあり、私が今生きていることの全てはこの稽古を発端に循環しているからだ。稽古を通じて何を学ぶかは人それぞれであり、決して武道武術を通して心が磨かれたとか人として成長したということは、ただやっていただけであったり、エゴの強い人には、成長どころか悪い部分を増徴させてしまっている。そうしたことは、10年間でさまざまに感じてきた。

 生き方に対する問いかけがあるという事は、竹田氏自身もそこにこれまでの選択で曲げなかった部分があるのかもしれない。私など生き方について語れることなど無い。ただ、自分の好きなことだけをやって生きてきただけである。しかし、好きなことと言っても趣味とは違う。その道でずっと生きて行こうと思いながら、今の道になっただけのこと。好きなことと言うよりは、そこにしか自分を保てる居場所が無かったのだろう。だから好きなことと言うよりも正確にはやり遂げたいと思ったことなのだろう。

 ボクシング、役者、武術、そうした変遷を辿ってきたが、そこに共通した思いは生き方である。高校からボクシングを始め、卒業後会社に入り実業団でボクシングを続けた。そこからずっと一人暮らしが今の私を作った。福岡から、広島、大阪、埼玉、そして東京。人との縁だけで今この地で生きている。才能も無く学歴もない。だから時間を使い一人で生活していく人生を選んだ。勿論その事には後悔していない。これまでに色々な出会いもあった。私は決して優しい人間ではない。さまざまな仕事をし、その環境に見合った自分を作り出した。それは役者という仕事の勉強でもあったが、そうしなければ生きていくのが大変であったからだ。おそらく今の生き方である武術は私の求めている私の姿である。これまでたくさん寄り道したせいで武術を始めるのに随分遅れをとってしまった。しかし、生き方については高校に入った時点で覚悟を決めていた。常に悩みながら喜び勇み失敗し、その都度自分で解決しなければならなかった。そうした経験は今になってようやく生きてくるものとなった。これまでの時間が今の私を導き、誤った選択や誤った誘いに引っ掛からないように助けとなっている。

 私がお子さんとの稽古に待ち焦がれていたのは、おそらく生涯ないであろう自らの子を育てられない思いが、何処かに強い想いとして自らが幼き頃に経験した大人に対する不信感を反面教師とし、子供たちを感じ取り何かを伝えようと向き合っているのだろう。高齢者の方々については、共働きで家に居なかった両親に代わり、私の幼き頃に育てていただいた祖父母に対する感謝の想いが何処かで働いているのかもしれない。心を込めて下さった想いというのは色褪せることがありません。

 話が逸れてしまったが、15歳の頃の覚悟は今も変わらずにやり遂げたいことを生き方にしているということだ。

 火曜日は「クラーチ剣術教室」での講習。この日は「貰って動く」という事をテーマに杖でも剣でもお伝えすることが出来た。この日は休憩も忘れるほど武術色が強過ぎてしまった。体操のようなものを混ぜると効果的なものでも興味が失われてしまうので、このへんのバランスは難しい。しかしこのところは皆さんのほうが自主的にこれまでおこなった動きを練習されているので、予定を変更してそれをおこなうこともある。

 そして本日水曜日は、戸越体育館で渡部氏と稽古。私の体調が精神的に思わしくなくまったく酷い状態からの稽古となった。二杖之位からは、新たな打ち込みが見つかった。それと貰う動きとは別に「蠢動」をかけて非常に強固な構えとなる事も両手寄せの操法の利点であることが解った。

 抜刀術を最後におこなったが、この日は体術というか、身体操作におけるエネルギー伝達の有効な検証稽古に幾つか進展があった。

 まず「触れ手落し」に進展があり、浮きと姿勢の関係に気が付く。これは身体の働かせ方により姿勢も異なるが、こんなことぐらい気が付けよと思えるような事に今更ながら気が付けた。 お陰で「触れ手落し」の威力が上がったのと、足を高く上げなくても十分に落せる事が出来た。座りにおける働きも有効であること。そのほかには「突き」にも進展があった。これも下手なりにこだわって稽古している内容であるが、まだ書くには至らない内容なので触れ手落しのような感覚になるまでまだまだ時間が掛かりそうだ。

 少しずつであるが、前に進めるのはありがたいことである。出来て嬉しいことでも、その次に向えば今までと同じになる。それは何事においても同様の気持ちであろう。何か根本的なことが変わらなければいつまでもいつまでも同じことの繰り返しに苛まれてしまう。何かが変わる前の転換時期なのかもしれないが、そうした違和感だらけの日々からどう私が変わっていくのか、これは稽古以外の滅多とない出来事にもしかしたら遭遇するのかもしれない。


2020年1月18日(土) 『抜刀術 特別講習会』(お申し込み受付中)

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2019年12月 武術稽古日程

2020年1月 武術稽古日程

甲野善紀先生からの紹介文

2019-12-19(Thu)
 

「触れ手落し」が進展

 今夜は綺麗に満月が見えてます。そして気温の変化が大きい一日でもありました。一ヶ月後には世間的にも空気の色も大きく変わりますので、まだ一年の締めくくりに入っていない今からが、一年のうちで最も変化の大きい一ヶ月と言えるでしょう。

 さて、本日は高田馬場にて渡部氏とA氏と稽古。
 まずさっそく渡部氏に「触れ手落し」を試みる。先日月曜日に竹田氏相手に通りが良くなったので、渡部氏に通用するかどうかと思っていたが、両手が床に付くほど落とせたので進展したと言っていいだろう。今日はこの「触れ手落し」にかなり時間を割いた。接触の具合、身体と手の方向の確認などさまざまに試してみたが、身体に任せる対応が最も利きが良いという結論に至る。勿論まだまだこんなものでは駄目なので、今後もさらなる検討研究しなければならない。実感として通して行くためには、接点が自分を止めてしまうような使い方に陥り易いので、目に付き難い裏の部分の何処に眼を付けるか、目に見えやすいものに誘われないように観ていきたいと思う。

 剣術では脇構え(車の構え)からの対応について研究した。中心を外しながら足を差し換えれば相手の籠手まで伸びるものである。下段と異なり、脇構えには体全体を使って剣を発する特徴があり、その体の使い方に、相手の太刀を外したり間合いを縮める働きがある。今回おこなってみて、これが稽古になるのかどうか未だ不明な実感しかなかったが、この脇構え(車の構え)そのものをもう少し改める必要があるような気もしている。

 抜刀術では先日月曜日に「懐月」の納刀を変更したためこれをお伝えする。私もまだ慣れていない動きであるが、次回1/18(土)におこなう『抜刀術特別講習会』でお伝えする予定。今回、鎌倉のTさんからの情報で居合刀が安く販売されていることを知り、数人の方がこれを注文されていますので、今回の特別講習会では絶好の機会かと思われます。

 私自身先月11/4に抜刀術の映像を撮影し、2017年のものと差し替えました。全十二本、名称と順番は変わりませんが、動きと二之太刀、納刀法が変更いたしました。そうした変更箇所も踏まえて今度の特別講習会ではお伝えしていきたいと思います。


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2020年1月 武術稽古日程

甲野善紀先生からの紹介文

2019-12-12(Thu)
 

峰返し潰しが手刀で出来るようになる

 本日は高田馬場にて渡部氏とA氏との稽古。二人が訪れるまで納刀稽古をおこない「稲妻抜き」を二本抜いて終了。今日はこれ以上やらない方がいいような感じだったので、丁度訪れた渡部氏を相手に木刀を使って「峰返し潰し」を確認。

 この峰返し潰しは、Gold Castle殺陣&剣術スクールの講習会や関西での講習会でも好評をいただける内容である。どういった技かというと名前の通り、相手の首筋へ木刀の峰側を付けて浮きとともに下まで崩すというもの。好評の理由は、上手く通ると首への負担が感じられないどころか、心地良ささえ感じられるのである。なぜ気持ちが良いのか不明であるが、身体の中を抵抗無くエネルギーが抜けて行くところになんらかの心地良さが得られるのかもしれない。だから、見た目は痛そうであるが受けている側は、心地良さに喜んで受けていただけるのである。しかし、腕力で強引に行ったり、方向が間違うと首への負担があるため、この稽古では腕力に頼る人にはお勧め出来ない。

 峰返し潰しの利き具合を確認し、フト手刀でやってみようと試みた。
 これは以前にも試したことがあったが、全然通用しなかったので即諦めたのであるが、今日は反対側の手で試みたのである。「たぶん駄目だろうな…」と思いながらおこなうと、「おやっ?」渡部氏が軽く崩れた。そこで、木刀による峰返し潰しを私から数百発受けている渡部氏に感触を聴いてみたところ「ちゃんときてます。」とのことだったので、俄然やる気を出して丁寧に何度かおこない峰返し潰しと同じように崩せることが出来た。

 そうしているうちにA氏が訪れたのであらためて稽古開始となる。
 A氏にも手刀での峰返し潰しを体感して貰い、首が痛むことなく下まで崩せることが出来た。私も受けてみたいと思い渡部氏にやり方をお伝えし楽しみに待っていると「ドンッ!」と足が浮かされ体が沈んだ。これには「おおー!」と歓喜の崩され方であったが、今日は杖術も重要であったが、この手刀による峰返し潰しが出来たことは大きな収穫であった。

 この峰返し潰しは、相手が普通に立っている状態でエネルギーが通っていくかを検証するものであり、構えてやられまいと準備している相手に対しても万能という訳ではない。ただ、普通に立っているだけでもエネルギーを首から下まで通すのは難しいものであり、力技でおこなわないことで身体運用の質が高められることを目的としている。この技は、DVD【古武術は速い】の中でも細かく解説しており、木刀の付け方、足の使い方、重心についてなど私が試行錯誤して得た方法をお伝えしている。また解り辛いかも知れないがWEB動画「かざあな。剣術編」の中でも、受け流しの直後にこの峰返し潰しをおこなっている。(02:44~02:48辺り)

 とにかく、手刀で痛み無く首から足元へ崩せる通し方が出来たのは興味深いものであり、手の使い方も繊細で微妙なところが面白い。機会があれば講習会などでいろいろな人を対象に試してみたい。

 杖術では、「二杖之位」に下段と中段があり、そのいずれも形は少し異なるが、体感的なものは同じであることが解った。おそらく今後上段にも気が付くかもしれないが、左右対称に出来るのかどうかも含めて「二杖之位」からなる操法を研究して行きたい。今日その中から一つ、下段からの払い打ちと分かれる形として払いからの突きが生まれた。つまり、下段の構えから、どちらも瞬間的におこなえるため、相手は非常に対応が難しいものとなってしまう。一つの動作が二つに繋がる。まさに表と裏が一つになっておこなわれている。これは明後日土曜日の『杖術 特別講習会』でお伝えする予定。今回は私もこの講習会に先駆けて急激に訪れた新展開に興奮気味であるが、これまでにない杖の操法であるため、杖に関心のある方は本当にお越し頂いて損は無い筈である。ここまで言い切るのも私としては珍しいが、杖というより、武器術として有効な使い方を求めている方にもお勧めしたい。

 それにしても連日、新たな展開が訪れ驚いている。全ては流れのままに、そこに身を落し順じて行くしかない。

 本日もありがとうございました。


 金山孝之 指導・監修 DVD
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2019年12月07日(土)『杖術 特別講習会』(お申し込み受付中)

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2020年1月 武術稽古日程

甲野善紀先生からの紹介文

2019-12-05(Thu)
 

二杖之位

 このところ連日私の中で展開が進んで来ている。これは、自分でどうにかしなきゃ、というものでなく、勝手にそうなっているような、今これを書いている心持ちからすれば、他人事の出来事を記しているような感がある。

 そうした日々より少し前の11月中旬辺りは、武術の厳しさ、というものを深層部で感じるものがあり、それは生存に対する厳しさというよりは、「稽古の今すべてがどうであるか」という事に感じさせられるものがあり、しばらくは自分を責めたくなるような思いに苛まれていた。

 だが、その思いを断ち切り、前に進ませてくれたのも稽古からの教えである。そしてそのような教えというのは誰かに伝えてもらうものではなく、自らの身体と感覚で断定的に気づくことである。しかしながら、そこには無意識レベルでの教えが既に心身に与えられてているので、結果として直接観て触れて学んだものを、無意識のうちに自らが意識下に引き出したということなのだろう。

 そんな11月中旬の心境は、いずれ何らかの状況が訪れる前触れだったのかもしれない。今だからそのように感じることができる。

 稽古記事に入る。

 本日は戸越体育館で渡部氏と稽古。
 稽古の大半は杖術をおこなった。「攻防一体」「燕打ち」「大燕打ち」を一通りおこない、あらためて点検。技というのは突然生まれるものである。出来たものが技であり、そこに練習してなんとか出来るようになったというものは無い。技という原理や理合いに身体が合っていなければ稽古を重ねても出来ないものである。逆を言えば、原理や理合いというものを身体が感じられれば、突然出来るようになるということでもある。勿論そのレベルに応じての話であるが、それでもその世界というのは安易には拓けないものであると思われる。そこに身体の面白さがあり、稽古における「一寸先は気づき」が待っている。

 今日の記事のタイトルにある「二杖之位」(にじょうのくらい)。これは新たな杖術の操法における構えの名称である。二杖とは、杖を二本使っているかのような状態であり、そうした状態で人が立つことを意味したものである。

 その構えから新たに「二杖転換」という組杖における攻防の型が生まれた。これは「攻防一体」の原理を互いに用いたものであり、その特性から間髪入れず転換した動きが生まれ、そこに両手を寄せ支点を転換に用いた二杖之位から放たれる技は、私にとって大変新鮮なものであり、今後の展開がどうなるのか非常に興味深い状況となっている。

 「表裏一体実と成す。」という自分の中から湧き出た言葉が、私の中で大きく堰を切ったように杖術を変える事になった。勿論今までの操法も今後研究して行くと思われるが、この「表裏一体実と成す。」という、眼の使い方からこの言葉が誕生したが、こうした思想であったり、信仰や、真理を求めることが技や身体の使い方の原理に関わってくることを、今回初めてといえるほどの驚きとともに身を持って痛感している。

 最後におこなった抜刀術にもそれは関係してきた。
 「稲妻抜き」の研究で、まだ講習会でお伝えしていない新たな脚足の使い方(見た目には区別が付かないと思われるが)の理解が進んだのであった。それは、表を意識して身体の使い方を工夫しても、どこかに無理が生じ、それが違和感や居着きに感じられてしまうことにある。しかしながら以前までは、それが一番心地良く抜けるものとして身体が選んだものであり、身体が馴染んできてようやく違和感を覚えるのである。

 そこで、11月後半辺りに一人稽古で脚足の使い方をあらためたところ、居着く感じが無くなり初動の違和感が解消されたのであった。しかし、この左右の脚足の操作手順の難しさになかなか身体が馴染めず、どうしたものかと、一人稽古の度に感じていたのであったが、今日の戸越体育館での稽古で、それは、表表で考えているから結果として実にはならないのだということが解り、裏の動きがどこにあるのかは、身体が感じているものなので、目に付き難いこの裏の脚部の操作には一瞬一手間掛かるのであるが、その裏の動きを省略してしまっては、全体としての実にはならないことが「表裏の見眼」の原則から悟ることができ、身体はこちらの採用を選んでいるのだが、手間が掛かっているような気がしていた不安は、「表裏一体実と成す。」という言葉で納得できるものとなった。当然であるが、表に見える手間は無駄な手間であり、表裏一体にはならないが、裏である裏方の影なる働きは省略していいものではなく、その辺りの見極めが「表裏の見眼」には重要となってくる。

 稽古の成果というのは、自身の身体でも感じることが出来るが、より成果を感じることができるのは、そのことを目の前でおこなっている人の動きによってである。今回の「稲妻抜き」の稽古では、渡部氏の動きと音がこれまでにないものとなっており、私も共に研究しながらおこなっていたが、音により進展具合が解る。それは、瞬間的に断定的にそう感じるものなのである。そうした事も関係してか隣の道場で稽古をされている団体の方が珍しいことにこちらの稽古を覗きに来られていた。もう四年ほどこの時間帯で稽古しているが、隣もいつも同じ中国武術の団体で慣れている筈であるが、見えない稽古風景をこうして覗かれたのは初めてであった。

 何か自分の中で、技量はさておき、今までと違う展開になってきたことは感じているので、そうした時期と流れに身を任せてこれからも稽古に向き合っていきたいと思う。さまざまなことに感謝いたします。


 金山孝之 指導・監修 DVD
『古武術は速い~“型の手続き”を追求した剣・杖の実践的な体使い~』


2019年12月07日(土)『杖術 特別講習会』(お申し込み受付中)

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2020年1月 武術稽古日程

甲野善紀先生からの紹介文

2019-12-05(Thu)
 
プロフィール

金山孝之


     金山 孝之
  Takayuki Kanayama


1975年生まれ
福岡県北九州市出身
東京都世田谷区在住

松聲館技法研究員

金山剣術稽古会主宰

Gold Castle
殺陣&剣術スクール主宰

高齢者のための剣術教室
クラーチ剣術教室講師


1999年
映画監督中田秀夫氏との出会いにより映画に出演。そのほかマンダムのモデルや舞台のプロデュース公演などをおこなう

2006年
小林照子先生とのご縁から
「からだ化粧」のモデルを務める

2009年
武術の道を志しそれまでの活動を一新し武術稽古と研究に励む

2011年
武術研究家甲野善紀先生に師事し「抜刀術」「剣術」「杖術」「体術」などの稽古と研究に取り組んでいる。また、先生の書籍、番組撮影、記録映像、その他演武等における打太刀や受けを務めている

2013年
刀と身体操作の技術向上を目指し裾野を広げるべく「Gold Castle 殺陣&剣術スクール」を発足

2014年
甲野善紀先生より
「松聲館技法研究員」を拝命
自身の経験を活かした指導法を各道場等でおこなっている
 
シニア住宅にて
「高齢者のための剣術教室」をおこなっている

日信工業株式会社の製品
「SAMURAI BRAKE」のプロモーション活動に携わる

2015年
「金山剣術稽古会」を発足
現代における武術稽古の必要性を身体と心で学べる場として活動している

2018年
「関西特別講習会」として定期的に関西地域での講習会を開催

2019年
BABジャパンよりDVD『古武術は速い』刊行

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