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10年ぶりに!

 1999年3月に6年間働いた会社を退社し大阪に引越しした。その年の8月に中田秀夫監督の映画『カオス』に出演し、それが人生で初めてカメラの前に立った経験であった。翌2000年に再び中田監督の映画『ラストシーン』撮影のため、一ヶ月間東京の巣鴨にあるウィークリーマンションから、毎日調布にある日活撮影所へ撮影のため通っていた。

 『カオス』では、オープニングカットのワンシーンのみであったため、東京に一泊しただけであったが、『ラストシーン』では、一ヶ月間ほぼ撮影所で、共演者の方や、スタッフの方、その他関係者の皆さんと親しくなり、その生きている撮影現場の空間がとにかく感動的であった。

 中田監督には本当によくしていただいたと思う。ありえない経験の数々だったと思う。無事にクランクアップとなり、当時勉強のために住んでいた大阪へと戻ったが、あの撮影所に毎日通っていた環境が忘れられず、三ヶ月後には埼玉県の所沢に引っ越したのである。それまでは大阪で、僅か一年八ヶ月しかいなかったが、それなりに自分の環境と位置を築きながら役者として活動していた。

 大阪では、自主制作映画であるがTUTAYAにもレンタルされる作品(当時としては画期的であった)に出演したり、大阪で活動していた事務所では、CMのオーディションにも受かりガリバーというCMで竹中直人さんと共演したり、事務所内でも名前が知られつつあった。しかし、東京への憧れが強くなり、大阪でお世話になった監督や、事務所のマネージャー、事務所の社長、そして役者仲間に挨拶し、すべてを一から始めるべく東京へと向かったのである。

 そして2000年の11月に埼玉県所沢市に引っ越しが決まった。なぜ所沢を選んだかというと、夜行バスが大阪のなんばから東京の池袋まで出ており、それに乗って池袋の不動産屋に入り家賃などの条件から、都内からだんだんと離れていき、折り合いがついた場所が所沢であったからだ。

 この所沢で初めて髪を切りに行ったサロンが、所沢駅西口プロペ通りにある『FACE DECO』というサロンで、カットをお願いしたのがオーナーでもある関口雄二氏だった。このサロンは2000年にオープンしたということで、当時は所沢に3店舗お店を構えていて、まさに関口さんはカリスマ性の塊のような存在であった。

 初めてカットをお願いしたとき、関口さん(ふだんは雄二さんと呼んでいるが)から、「こんど雑誌の撮影があるから出てみない?」と言われ、僕は「はい、よろしくお願いします!」と即答。ただモデルの経験は初めてだったので、カメラの前でどうすればいいのか判らなかった・・・・・・

 撮影当日、場所は新所沢にある航空公園近くの米軍の通信基地近辺。出発前のサロンでのスタイリングやメイクにより、鏡を見ても他人を見ている感覚で、その技術のスゴさに驚いた。だが、モデルとしては全くのド素人であるため、ポーズが作れない。だから、自分のなかでシチュエーションを作って演技をしようと考えていた。今思い返しても、10年以上前のことだが、サロンの皆さんがレフ板を持ったり、カメラを持ったり、ワイワイと楽しかったのを覚えている。その写真の数々は今でも大事に保管しているが、驚いたことは、その中の写真が、『RIKEI』という雑誌の表紙を飾ったのである。まさか、初めて行ったサロンで撮影の話をいただき、初めてのモデルの経験が雑誌の表紙になったという、自分自身驚く出来事であった。

 さらに翌年、今度は『理容文化』という雑誌の表紙モデルをやることになり、その他にも何度かヘアーショウなどに呼んでいただき、僕自身モデルという意識をもつようになった。この経験から、マンダムがおこなっている『ギャツビー(e)CLUB』というモデルオーディションに受かり、二年半の契約で、さまざまな雑誌の撮影や、全国のコンビニやドラッグストアの商品のポップやパンフレットなどに載ったり、活動の幅が広がってきた。

 そんなギャツビー関連の仕事から、都内に引っ越すことを決断し、現在の場所になっている。所沢に住んだのは三年間だったが、都内に引っ越してなかなか関口さんのお店に行けず気付けば2013年になってしまった。

 僕自身、2013年は武術と自分との今後を考えたときに、どうしても関口さんのカリスマ性と太陽のように周囲を明るく照らすパワーを感じたくて、約10年ぶりに予約の電話をしたのであった。

 あれから10年ちかく経っているので、もしかすると忙しさでカットはされてないかと思ったが、電話で担当スタッフの方に「大丈夫ですよ!」と言われ「ヤッター!」と心の中で叫んでしまった。さらに驚いたのは、スタッフの方から「ビルが出来ましたので今はそちらでやっていますが場所はご存知ですか?」と言われ「エッ!ビルですか!判らないです!」と言うと、「では、近くですのでFACE DECOのほうに来てください、ご案内いたしますので・・・」ということになり当日を楽しみに電話を切った。

 久しぶりの西武新宿線に乗って所沢へ、かつては都内へ行くためにしょっちゅう乗っていたのだが、もう乗り換えとかがわからない・・・・・・さらには所沢駅が大きくなっていた。プロペ通りは懐かしさがこみ上げるほどあまり変わってはいなかったが丸井がなくなっていたり、微妙な変化はあった。

 いざ、FACE DECOへ!緊張とともに扉を開いたが、みなさん若い。だが、優しさと明るさと人懐っこさは、昔のままだなぁと感動した。親切な女性スタッフに案内されて、CLASSY (by FACE DECO 関口テラス店)へ。今では6店舗(もっとあるのかも・・・)を構えるオーナーの雄二さんに10年ぶりにお会いした。それは、初めてお会いした2000年と同じように固い握手で始まった。

 その瞬間に、「あぁ、雄二さん変わってないなぁ・・・・・・」と感動した。そして、当時のサロンスタッフの方ともお会いすることが出来た!師岡さんと鈴木(貞さん)さんが当時と変わらない雰囲気でいてくれたのだ。もちろん出世されて今では後輩達を引っ張っていく立場だと思うが、変わらない優しさと明るさと人懐っこさは、雄二さんの太陽を浴びている証拠なんだろうなと感慨にふけった。

 モデルとしてのキッカケを与えてくださった雄二さんに約10年ぶりに髪を切ってもらいながら、僕自身の武術との縁やこれからについて、伝えておきたかったのだと思う。おそらく、ここからまた新たなキッカケとなるエネルギーをもらいたかったのかもしれない。

 2000年に夜行バスでなんば~池袋に向かい、その足で不動産屋に行って所沢に決めたことは、自分にとってよい運命であったと思う。人生はいろいろなことが繋がり続けながら現在があるのだが、どんなに素晴らしい思い出の数々であっても、がんばれることは現在の出来事なのである。もちろん現在を精一杯頑張りたいのだが、こういうことは何年か経って振り返ったときに、あらためて素晴らしい日々だったと感じるもの。だからこそ、今を、そこに至るつながりを感じながら、さまざまな人たちと時間を共に生きているのだと、未来に向けて自分の道を歩んでいきたいと思うのである。


2013-03-25(Mon)
 
プロフィール

金山孝之


     金山 孝之
  Takayuki Kanayama


1975年生まれ
福岡県北九州市出身
東京都世田谷区在住

松聲館技法研究員

金山剣術稽古会主宰

Gold Castle
殺陣&剣術スクール主宰

高齢者のための剣術教室
クラーチ剣術教室講師


1999年
映画監督中田秀夫氏との出会いにより映画に出演。そのほかマンダムのモデルや舞台のプロデュース公演などをおこなう

2006年
小林照子先生とのご縁から
「からだ化粧」のモデルを務める

2009年
武術の道を志しそれまでの活動を一新し武術稽古と研究に励む

2011年
武術研究家甲野善紀先生に師事し「抜刀術」「剣術」「杖術」「体術」などの稽古と研究に取り組んでいる。また、先生の書籍、番組撮影、記録映像、その他演武等における打太刀や受けを務めている

2013年
刀と身体操作の技術向上を目指し裾野を広げるべく「Gold Castle 殺陣&剣術スクール」を発足

2014年
甲野善紀先生より
「松聲館技法研究員」を拝命
自身の経験を活かした指導法を各道場等でおこなっている
 
シニア住宅にて
「高齢者のための剣術教室」をおこなっている

日信工業株式会社の製品
「SAMURAI BRAKE」のプロモーション活動に携わる

2015年
「金山剣術稽古会」を発足
現代における武術稽古の必要性を身体と心で学べる場として活動している

2018年
「関西特別講習会」として定期的に関西地域での講習会を開催

2019年
BABジャパンよりDVD『古武術は速い』刊行

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