自分の役割をしっかり務めること
今夜も深夜の2時を回った。まずは昨日の記事から書かなければならない。
昨夜は甲野善紀先生のメールマガジンの動画撮影に伴う研究稽古のため松聲館に伺った。これまでもそうであるが昨日は特に奇想天外な展開となった。ヒモトレの効果は、身体の可能性を先に教えてくれるものである。昨夜はひとしきり身体の不思議さというものを考えさせられる時間を過ごした。これまでの紐と比べ昨日の紐は形状や重さが異なり、そのためか身体に掛けた際に変化を感じるものであった。これまでのゆるく掛けた感じでは特に身体の変化をジッとしている状態では感じにくいものであったが、今回の鎖型はあきらかに身体がその枠の中に精確に収まっている感じと重心が落ち浮かされにくい状態を体感した。さらに、残留効果もしばらく残るようである。私としては、翌日の稽古、つまり今日の稽古でその鎖型に巻かれた感じを感覚的に再現したところ、体術稽古でその差はハッキリと表れた。私にとっての気にしない事の第一歩かもしれないが、昨夜の感覚は大きなものであった。
田島さんと小磯さんが帰られた後、甲野先生との剣術稽古で非常に学ぶべきものがあり、その感覚、感触の大事さに剣術と体術のつながりというものを感じずにはいられなかった。そしてそうした操法には身体の使い方に適合しないことをおこなっていては、その先にある精妙な術へと進んでいけないことも先生の技を受けてこれ以上無い説得力でもって教えて頂きました。あらためて、感動的な凄い動きというものを目の前で何度も見せて頂けることは、これ以上無い教えであり、本当にありがたい事であります。昨夜の稽古は私にとってまた一つ大きな指針を得ることが出来た。
終電一本前の特急電車に間に合い、深夜の星空がなんとも綺麗で駅から自宅までしばらく空を見上げながら家路に着いた。
そして本日は高田馬場でW氏と稽古をおこなった。さっそく昨夜の紐の感覚を試して体術稽古をおこなったり、剣術も同様に先生から教えていただいた技を稽古した。杖術では「旋打」を歩を進めながらおこなった。体術稽古では私の中でもこの数ヶ月間でいろいろ変化が起き始めている。左の質の違いは自分でも判らないが、右に関しては肩甲骨が使えるようになり、威力という面では左を凌いだ。同じようにやろうとしても左では肩甲骨が同じように動かない。昨夜の稽古でも学んだが、右と左の違いというのは本当に奇妙なほど不思議なものである。
夜からは住吉でI氏と稽古、約一ヶ月ぶりとなったが身体の状態としては前に進んでいるように感じる。それを聞いたところ、常に意識の中でその事を考えながら仕事に当たっていると仰っていたのでなるほど、意識にあるだけでも全然違うものだなあ、と感じ入るものがあった。
今日の稽古では身体の鍛練における弱点が見えてきたので、その辺りを集中的に育てる事が出来るような内容にしたい。床を滑るように移動する稽古では方法を変えてみたところ、突然見違えるような動きとなり驚いた。これは私自身の稽古にも取り入れているが、なんだか分からないけど出来るようになる動き方を探るのである。理由は後付けの方が、自らの動きというものを手に入れ易い。身体の計算力というものを引き出せるような目的、方法、時として追い込んでおこなってみたり、やり方はさまざまであるが、ひたすら難しい事を繰り返すよりも、やり方そのものを変えてみるとなぜだか突然出来るようになったという場合もある。しかし、それだけではまだまだ表面的なので、そうして手に入れた一つの動きと向き合うために、今度は頭で考えてジックリと理由と身体の状態とを把握していくことが大事である。
とにかく、昨日と今日、たった二日間だけであるが中身の濃い充実した稽古であった。東京で生きていくために東京で生き易くしていかなければならない。それは、自身の活動そのものの結果が問われてくるが、このところ私自身に不思議な現象が起こっているので、何かしら意味があるように思えるし、何を思ったところでなるようにしかならないと思っている。私が知っている私ではない何かしらのものを感じているので、それに任せて感謝の心を忘れぬよう務めて行きたいと思う。
金山剣術稽古会
2017年10月 稽古日程
2017年11月 稽古日程
甲野善紀先生からの紹介文
昨夜は甲野善紀先生のメールマガジンの動画撮影に伴う研究稽古のため松聲館に伺った。これまでもそうであるが昨日は特に奇想天外な展開となった。ヒモトレの効果は、身体の可能性を先に教えてくれるものである。昨夜はひとしきり身体の不思議さというものを考えさせられる時間を過ごした。これまでの紐と比べ昨日の紐は形状や重さが異なり、そのためか身体に掛けた際に変化を感じるものであった。これまでのゆるく掛けた感じでは特に身体の変化をジッとしている状態では感じにくいものであったが、今回の鎖型はあきらかに身体がその枠の中に精確に収まっている感じと重心が落ち浮かされにくい状態を体感した。さらに、残留効果もしばらく残るようである。私としては、翌日の稽古、つまり今日の稽古でその鎖型に巻かれた感じを感覚的に再現したところ、体術稽古でその差はハッキリと表れた。私にとっての気にしない事の第一歩かもしれないが、昨夜の感覚は大きなものであった。
田島さんと小磯さんが帰られた後、甲野先生との剣術稽古で非常に学ぶべきものがあり、その感覚、感触の大事さに剣術と体術のつながりというものを感じずにはいられなかった。そしてそうした操法には身体の使い方に適合しないことをおこなっていては、その先にある精妙な術へと進んでいけないことも先生の技を受けてこれ以上無い説得力でもって教えて頂きました。あらためて、感動的な凄い動きというものを目の前で何度も見せて頂けることは、これ以上無い教えであり、本当にありがたい事であります。昨夜の稽古は私にとってまた一つ大きな指針を得ることが出来た。
終電一本前の特急電車に間に合い、深夜の星空がなんとも綺麗で駅から自宅までしばらく空を見上げながら家路に着いた。
そして本日は高田馬場でW氏と稽古をおこなった。さっそく昨夜の紐の感覚を試して体術稽古をおこなったり、剣術も同様に先生から教えていただいた技を稽古した。杖術では「旋打」を歩を進めながらおこなった。体術稽古では私の中でもこの数ヶ月間でいろいろ変化が起き始めている。左の質の違いは自分でも判らないが、右に関しては肩甲骨が使えるようになり、威力という面では左を凌いだ。同じようにやろうとしても左では肩甲骨が同じように動かない。昨夜の稽古でも学んだが、右と左の違いというのは本当に奇妙なほど不思議なものである。
夜からは住吉でI氏と稽古、約一ヶ月ぶりとなったが身体の状態としては前に進んでいるように感じる。それを聞いたところ、常に意識の中でその事を考えながら仕事に当たっていると仰っていたのでなるほど、意識にあるだけでも全然違うものだなあ、と感じ入るものがあった。
今日の稽古では身体の鍛練における弱点が見えてきたので、その辺りを集中的に育てる事が出来るような内容にしたい。床を滑るように移動する稽古では方法を変えてみたところ、突然見違えるような動きとなり驚いた。これは私自身の稽古にも取り入れているが、なんだか分からないけど出来るようになる動き方を探るのである。理由は後付けの方が、自らの動きというものを手に入れ易い。身体の計算力というものを引き出せるような目的、方法、時として追い込んでおこなってみたり、やり方はさまざまであるが、ひたすら難しい事を繰り返すよりも、やり方そのものを変えてみるとなぜだか突然出来るようになったという場合もある。しかし、それだけではまだまだ表面的なので、そうして手に入れた一つの動きと向き合うために、今度は頭で考えてジックリと理由と身体の状態とを把握していくことが大事である。
とにかく、昨日と今日、たった二日間だけであるが中身の濃い充実した稽古であった。東京で生きていくために東京で生き易くしていかなければならない。それは、自身の活動そのものの結果が問われてくるが、このところ私自身に不思議な現象が起こっているので、何かしら意味があるように思えるし、何を思ったところでなるようにしかならないと思っている。私が知っている私ではない何かしらのものを感じているので、それに任せて感謝の心を忘れぬよう務めて行きたいと思う。
金山剣術稽古会
2017年10月 稽古日程
2017年11月 稽古日程
甲野善紀先生からの紹介文
2017-10-27(Fri)
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