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第二弾となるDVDの撮影をおこないました

 昨日は、BABジャパンから今夏発売予定となるDVDの撮影をおこなってきました。

2020.04.27 DVD撮影風景
2020.04.27 DVD撮影風景②

 昨年5月に発売されたDVD「【古武術は速い】~“型の手続き”を追求した剣・杖の実践的な体使い~」からもうすぐ一年となりますが、再びこのような機会が訪れるとは驚きました。

 4月は自粛生活のため、時間を優先的にこちらに集中させることができましたが、それでも稽古が存分に出来ない中での撮影には多少不安がありました。今回の撮影では、私なりに必要なスキルが明確となりましたので、そのことが全体的な取り組みの中で確認できましたことが一番の収穫であったと思います。

 約10時間の中、ディレクターのYさん始めスタッフの方々には大変お世話になりました。そして最後まで静かに集中して受けを務めて下さいました渡部氏と平田氏にも深く感謝しております。

 今回のDVDでは、剣術、杖術、抜刀術、体術、それぞれを収録いたしました。こうした撮影現場というのは、いろいろあると思いますが、私にとっての鍛えられる現場として、かつて、役者の道を志していた頃を思い起こすような新鮮な心持ちとともに、「ああ、私にとってこの経験値は皆無のものであったのか!」ということに気がつきました。つまり、実技や指導というのは、日々経験値を積んで来ておりますが、解説ということになりますと、講習での指導とはまったく異なるものになります。これは同じでもそれはそれで出来ますが、無駄を削ぎ落としたものづくりとして、不特定多数の方にお見せするものとして求められるものが違ってきます。

 そのため、今後私の勉強としても動画を配信し、そこで解説を行う必要があると感じました。現在週に一回ほど定期的に期間限定配信として、個人的な確認のため、撮り溜めておいた蔵出し映像を小分けに配信しておりますが、まだ今までに一度も解説をした動画は敢えて撮らないようにしておりました。

 しかし、現在の非常事態宣言で稽古から遠ざかっている生徒や門人達の意欲の炎を消してしまわないためにも、蔵出し映像の期間限定配信が終っても、引き続き解説を付けた動画配信をおこなっていこうと考えております。これには、生徒や門人のためでもありますが、何より今回の自らのスキルを上げなければならないという、どうにもならない違和感に覆われた私を何とか変えたいという思いが、今後の定期的な動画配信をおこなうものとして決断するに至ったのです。

 ですが、一武術の解説動画ですので、私には大した編集も出来ませんし、映像も粗いものと思われます。あくまでも先日の撮影のようなつもりで、今後に繋げるものとして望んで参りたいと思っております。

 大きな課題が見つかり、それが時代の流れに合う大義名分が立ちましたので、昨日の撮影では本当に得難い経験をさせていただきました。これからも、技の精進はもとより、待っていて下さる生徒達と共に、さらなる向上を目指して前に進んで行こうと思います。


金山孝之 YouTubeチャンネル

金山孝之 指導・監修 DVD
『古武術は速い~“型の手続き”を追求した剣・杖の実践的な体使い~』


金山剣術稽古会

甲野善紀先生からの紹介文

2020-04-28(Tue)
 

今ならいろいろと試せるではないか

 本日は、原稿の読み込みと、金山剣術稽古会のサイトに昨日お問い合わせを頂いた海外の方への返信に時間を割いた。

 原稿の読み込みでは、私の性格なのか、「もう大体のところでいいだろう。」と思うのであるが、これはこれで大変なものである。まあしかし、当日なんとかなることは前回経験済みなので、油断しすぎないように準備はしておきたい。それが終ればようやく、落ち着いてコロナの事でも考えよう。

 と思っていると、そこへ海外から連絡が入る。

 生徒のNさんに翻訳をお願いしたところ、とある国で有名な俳優の方が、代理人を通じて私に舞台に一緒に出演して欲しいという依頼だった。
 演目の中で杖の型を一緒におこないたいというお話であるが、二週間ほどそちらに滞在しなければならないようだ。

 まだ具体的なお話にはなっていないが、場所もヨーロッパと遠く、コロナの影響で渡航もしばらくは難しいだろう。しかしながら、こうして遥か極東の島国に居る私に連絡を下さったことは有り難いことである。
 
 これまでに武術関連では2009年にポルトガル、2014年にインドネシアに行ったが、私は日本語以外話せないので、あまり海外での活動は現実的ではないと思っている。細やかな感覚の言葉は私の場合日本語でしか伝えられないので、海外の方の純粋さには大変感じ入るものがあるが、このご縁をどのように繋げて行こうかと、原稿を読み込む合間にそんなことを思案していた。


 そして本日はクラーチ剣術教室のOさんから連絡があり、今は私がそちらに通うことが出来なくなったため、OさんとMさんで自主稽古を続けられているようです。

 OさんがMさんに杖の三十連打を指導されており、Mさんが最後の三十番目まで出来るようになったそうです。Mさんのお歳は84歳。生徒は全員女性ですが、覚えの良い方ですのでこうして私が行っていなくても先に進んで頂ける事は大変嬉しい事です!

 先日夜に杖整体操をおこないましたが、1時30分頃に始めて、まあ30分位にしておこうと思ったところ、杖乗解しの気持ちよさに時を忘れ結局2時30分まで殆どこの杖乗解しに時間を費やしておりました。「肩甲骨が砕けるほど気持ちが良い」と言葉が出るほど気持ちよさに唸っておりました。明後日の撮影が終わると、ひさしぶりに身体を苛める稽古をしたいと身体からの訴えがあり、今までにやった事の無いものを、どれぐらい疲れるのか、どうすれば力が抜けるようにできるのか、あまり数での稽古は下手になるのでやりたくはないが、疲労感と抜けを身体がどう感知するのか、撮影後の一つの楽しみとしている。そうすればきっと、杖整体操の気持ちよさも数段高まるに違いないだろう。今は、身体を痛めても回復まで予定が無いので気にならない。まあ、やっぱり、現状では全然納得できないので、これを機にあのころとは別人のようになったと思えるような、何かを手にしたい!


金山孝之 指導・監修 DVD
『古武術は速い~“型の手続き”を追求した剣・杖の実践的な体使い~』


金山剣術稽古会

甲野善紀先生からの紹介文

2020-04-25(Sat)
 

2020年5月 武術稽古日程

 本日、品川区のサイトより五月一杯の施設の休止が発表されました。併せて他の区でも休止となる見込みですので、5月のGold Castle 殺陣&剣術スクールと、金山剣術稽古会の活動は中止の運びとさせていただきます。

 世の情勢からいたしますと想定されていた方が多いものと思われますが、引き続き自主稽古に励んで頂きたいと思います。

 自宅の中で出来る事は限られておりますので、剣術では「正面斬り」「袈裟斬り」「胴斬り」など、その場でも良いですし、歩をつけて行える方は両方やってみてください。杖術では「打ち」と「突き」左右持ち替え、「単体技」「三十連円打」などがよろしいでしょう。抜刀術は難しいと思いますので、納刀を稽古されると十分良い稽古になるでしょう。殺陣では、余り大きく振れないでしょうから、斬る前の形と、斬った後の形、それぞれを身体に覚えさせながら、動きの繋ぎの見栄えと言うものを考えますと、色々と気が付けることがあるでしょう。また殺陣の場合は、斬られるリアクションも御座いますので、真っ向斬りや胴斬り、袈裟斬りや突き、さらには斬り上げなどにおいての斬られ方を工夫されても十分な稽古になります。

 今は殆どの方がスマートフォンを持っていると思いますので、自宅での稽古で撮影し、それを確認しながら修正いたしますとより効果的な稽古になる場合が御座います。

 パソコンにデータを移せば大きな画面で、自分で気が付かなかった部分に早く気がつけるようになりますので、こうした方法も自宅稽古ならではと言えるでしょう。
 
 ご質問や、教室、稽古会などのお問い合わせは随時承っておりますので、ご連絡下さい。

 得物はなるべく袋から出して目に付きやすいところに置いておくのが自宅稽古でのポイントです。目に留まるものは不安だらけな毎日ですが、なるようにしかなりませんので、日々の合間、情報を遮断し、自分と向き合える時間を確保しておくことも精神的な自衛手段の一つです。筋トレ的なやり方よりも、感覚を追い求めるように身体と対話するように、視覚に頼らずおこなうとよい集中状態になります。迷ったときにはご連絡下さい!


金山孝之 指導・監修 DVD
『古武術は速い~“型の手続き”を追求した剣・杖の実践的な体使い~』


金山剣術稽古会

甲野善紀先生からの紹介文

2020-04-24(Fri)
 

今だからこそ繊細になっている

 記事のカテゴリが日常録となっているが、道場以外での稽古はすべて日常録のカテゴリに記録したい。
 本日も、日中抜刀術と体術の稽古をおこなった。来週撮影があり、そのための確認稽古でもある。とくに抜刀術では、構えを無くした状態からの抜きに変わったばかりなので、相手を付けての抜刀ではまだ数えるほどしかおこなっていない。体術に関しては、やればやるほど気が付く点が出てくるので、喜ばしいことではあるが変わり過ぎないように祈っている。

 こちらのブログに五月の稽古日程をまだ掲載しておりません。会場の利用状況を見て発表したいと思っておりますので、おそらく、月末頃には、5/6以降の施設運営についての連絡が発表されると思いますが、世の情勢から推測いたしましても、延期の可能性が高いと思っております。(会場の確保は五月一杯、六月一杯まで、通常通りの確保は出来ております)

 今夜は、これから少し身体を動かし、就寝前に杖整体操で内なる部分を開いていきたい。開くというのは、感覚の扉のこと。
 日々、少しずつ身体に今までと違う生活の影響が感じられる頃でもあります。それを補えるもの、新たな扉に目を向けながら、今まで以上のものを目指して今を過ごして行かなければなりません。感覚的にでも何かを得ていくことは、今の状況だからこそ、稽古に渇望されている方は無意識的に繊細になっている可能性もあります。心が貧しくならないように、情報に影響を受けすぎてしまわないように、感覚と向き合う稽古をお勧めいたします。


金山孝之 指導・監修 DVD
『古武術は速い~“型の手続き”を追求した剣・杖の実践的な体使い~』


金山剣術稽古会

甲野善紀先生からの紹介文

2020-04-23(Thu)
 

学ぶ執着と失う潔さ

 桜が散ったせいか、いつの間にやら公園に入れるようになっていた。そのため昨日は8km程走ったが、全体的に身体が重たく感じた。歩く距離や走る距離が落ちていたので、感覚的に重さを感じたのは納得出来る。剣や杖に関しても、当然自宅稽古では今までと同じようには出来ていない。しかし、今しか出来ない微妙な感覚を養うには、この制限された状況に自得となるものがあるはずである。

 まだ読みかけの本が一向に進んでいない。なんだかんだで、時間が無いのだが、それはそれで今の状況ではありがたい事だと思っている。これまでに無く自らと向き合う事が出来る時間。視覚に捉われず、内なる部分へ眼を向け身体と対話出来るか、そこに興味を持って行きたい。

 昨夜は、松聲館へ伺い、甲野善紀先生と稽古。

 今は本当に稽古が出来る環境が貴重であり、私にとってそれは不要不急どころか、必要火急なものである。人を招いての講習会や稽古会が出来ない今、それでも武術稽古は待った無しのものだから、学ぶということでは今ほど覚悟を決めて(以前からそうであるが)望める機会は無いだろう。

 稽古の中で、袋竹刀を槍のように両手を広く持ち、それを先生に突き入れた際に下段からそれを払われ中心に突き入れられたのには驚きました。私もそれなりに身体は練っているのですが、俄かに信じ難いような払いの強さでした。体術や杖術、さまざまに受けたり拝見させていただくことが出来ました。

 学ぶ執着と失う潔さ。その相反するものが両立出来るか。これは生き方の根幹にあり、納得に外れていないものだと思う。


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『古武術は速い~“型の手続き”を追求した剣・杖の実践的な体使い~』


金山剣術稽古会

甲野善紀先生からの紹介文

2020-04-22(Wed)
 

脱力と発力

 一昨日、昨日の稽古で抜刀術や体術に若干の修正が見つかり、本日の原稿に書き直すことが出来た。まあ、やればやるほど修正箇所というのは見つかるのかもしれないが、出来ていないものを出来たように書くことは出来ないため、出来ているのかどうかを細かく分析する必要がある。

 さいきん重要に感じていることは脱力である。力みを抜くことや、詰まらないようにする、ということは昔から意識しておこなっているものであるが、言葉の微妙なニュアンスと言うのは、体に与える状況にも大きく影響してくる。今のところ「脱力」と、よく聞く単語を利用しているが、今後より身体の状態が解ってきたら、それに見合った名前に気が付くかもしれない。力を抜くということは、別の力の働きを促しているためのものであり、力が抜けた状態だけでは何にもならない。

 このことを実感したのは、4/1(水)におこなった蠢動の利きが向上したことに始まり、それから背中の発力に通りが良くなったことも大きい。水が高いところから低いところへ流れて行くように、力は強い所から弱いところへ流れて行く。そのためには、抵抗無く、流して行かなければならない。強い箇所からの始動にも修錬が必要であり、それを通すための脱力にも修錬が必要だと感じている。その程度のことがようやく実感出来るようになった。

 この一、二年で私自身自覚できる変化があった。

 それは、稽古に際して、何かしらの用意が今まで以上に段取り良く整えられており、その私にとって難しい筈のお題に、何故だか分らぬままに進めさせて貰えているということ。

 これは何を言っているのか分らない人には分らないと思うし、別に自分を凄いように書いているつもりも無い。ただ、順を追って稽古を重ねて行くと、ようやくというか、自然にそういう流れに入って行けるだろうと感じていた節があり、それが一、二年前に訪れ始めたのだと思う。才能の無い私(謙遜でなく)が、解らないままに感じ始めることが出来てきたので、特別なことではなく、これが稽古の流れの一つであり、これからも過つことなくこれを継続することで、次の段階へと進めるのだと思う。だから、一回の稽古は重要であり、その一回をつまらないようにしてしまわない工夫と、同志との縁は大事にしなければならない。

 
 私は昔から好きなことだけをやってきた。それは何故なのだろうと今日フト考えてみたときに、「人から強制されることに猛烈な拒否反応があった」からであることが分った。

 昨日も一昨日も工夫して稽古を二時間ほどおこない、今日も原稿に時間を割いた。しかし、それらの全ては誰にも強制されたものではなく、私が遣るべきことを望んでやっているのである。人からすれば「やりたい事を仕事にしていて羨ましい」と思われるかも知れないが、これはやりたい事ではなく、「やらなければならない事」なのである。つまり、やりたいことはおそらくもっと他にあるのだが、生きて行くためにやらなければならない事、そしてそれが、強制されたものではなく、自らが今生きている中で望むものとして遣っているものなのである。

 それが好きなのかどうかは解らない。むかしからやりたい事をやって来たのは、人に強制されず自分で情熱が途切れることなく探究できるものを求めていた。むかしから武術が好きで、剣が好きで、刀剣に強いこだわりがある、と言うのではない。

 もっと根幹にあるものがおそらく私にとって今の武術を続けていられる大きな要因である。だから飽きるとか、興味が無くなったとか、他の人はどうやっているのだろうかとか、想像する事も無く、人としてどうであるか、そこへの関心が私の根幹にはあるのだろう。

 だから、かつて私に対し強制的な態度でスケジュール管理をしてきた人に対し、一年間は黙ってキッチリとこなしてきたが、人間的な観点からも離れざるを得ない状況となり、私の本質を露にして離れたこともある。強制には利害関係が働いており、見栄や体裁、そうしたものも強制の裏には含まれている。私はそんなものが嫌いだから強制されない生き方、仕事を選ばざるを得なかった。

 今は自粛で皆大変であるが、私の場合強制的に自粛しているつもりもなく、これが今は当然だと思っているので、稽古のために外出することもあるが、いまの暮らしは、かつての強制的な任務のような日々と違い、自分が納得して今の状況にあるので、全く苦には感じていない。もちろん、大変な方が多い中で気分を害する人も多いと思うが、これからの生き方として、何を信じ、何を頼りにして生きて行くのかを変えていく、変換期という微かなる匂いの蓋が開けられたように思える。

 どんな仕事でも、強制的に感じられれば精神的に追い詰められてしまうものである。強制的に感じられない、自らがやってとうぜんと思える仕事が、その人の性格に合ったものだと思えるし、ひとそれぞれ違った価値観で適応出来るのではないだろうか。天災や人災、突然の大不況、何を信じて何を頼りに、子供達が大人になっていくのか、いま、この時期というのは、そういうこれからの社会の在り方と適応力に、大きな疑問符を投げかけている。だが、きっと将来を見据えた今とは違う有能な人材は育ってくるだろう。


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甲野善紀先生からの紹介文

2020-04-20(Mon)
 

自分を誤らぬように

 本日土曜日は夕方まで雨が降り注いだ。雨音を聞きながら原稿を確認したり、加筆したり、あともう少しなので予定よりも早めに仕上げたいと思う。

 雨が上がり青空が見えたので、外に出て走った。普段の五倍ぐらい走っている人がいたと思う。みな、ジムや公園に行けなくなり、運動不足になってきているのだろう。

 夜からは部屋を整理して杖術と抜刀術の稽古。部屋は狭いが天井が高いので、そこだけはこの部屋の利点だろう。ロフトがあるため杖を天井に伸ばしても当たる心配は無い。ロフトは完全に物置代わりとなり、必要なものを取りに上がる以外上ることは無い。おそらく昔の懐かしいものなどが幾つかのダンボールの中に入っている筈だが、もうその記憶も失われつつある。たしか、雑誌ではモデル時代に掲載された一般紙のものが数冊と、理美容系の専門誌に二回表紙になった事があった。事務所に入っていなかったため、フリーで活動しながら出会いの中で経験したものは多い。

 今もフリーとして活動しているが、肩書きとしては「松聲館技法研究員」という名称を甲野善紀先生から頂いている。この名前を、使って活動や何か宣伝するようなことは全くないし考えた事も無いが、かつておこなっていたカルチャークラブでの講師となる場合、何処の誰かを証明しなければならず、無名の私が研究しておこなっているものを皆さんにお伝えいたします。と言っても、おそらく当時の面接担当者の方は「?」となるだろう。こういう外部での講師として必要な名前が要る事をおそらく甲野先生は察して下さったのだと思います。私がこの肩書きを使うのは、プロフィールに掲載する場合ぐらいで、ことさらに言う事も無い。失礼な話、その事を普段忘れて生きており、その肩書きとは違うところで想いの強さは持ち続けている。だから、責任など、あらためて思うこともなく、当然のように当然のことを遣るだけで良いと感じている。これは勘違いの無いように重ねて言うが、無責任でよいという事ではなく、責任は当然の如く、それがいつもの考え方であるということ。それが稽古であり、気づきに繋がっている。

 フリーで活動しながらも、どこか温かいものが感じられているのは、先生初め何年経っても変わらない武術で出会った方々とのご縁が続いているからだ。お会いしたことの無い先輩方も沢山いらっしゃる中で、こうした結びつきの強さと言うのは、私がかつて別の道を進んでいた時のフリーとは全く異なるものである。

 これからの道程で、また新たなる出会いもとうぜん訪れるだろう。そうした中で、私の本質と向き合いながら、表裏の見眼をもって長く続くご縁を築き上げて行きたいと思う。


金山孝之 指導・監修 DVD
『古武術は速い~“型の手続き”を追求した剣・杖の実践的な体使い~』


金山剣術稽古会

甲野善紀先生からの紹介文

2020-04-19(Sun)
 

表の時代に失うもの

 今日は、近所で人と会う約束があったりで合間に街中を歩いてみたが、かなりのお店が閉まっている。テナントによって差はあるものの、これならば自粛せざるを得ないと感じた。

 夕方、出版社から原稿が送られ気が引き締まる。分量としては随分限られてきたので安堵しているが、ここで気を緩めてはいられない。この4月は、主催する稽古や講習の全てが無くなり物理的な週の流れは変わっているが、意識にある流れは全く変わっていない。世間の騒ぎよりも私の頭の中の方が心配だからだ。抜けはないだろうか…間違えがないだろうか…感覚が変わっていないだろうか…だから、何とかして稽古の都合をつける。私にとっての最大の問題は今はそこにある。

 Gold Castle 殺陣&剣術スクールの生徒の皆さん向けに、「自主稽古されている方で、ご自身で考えあぐねたのち、ご不明な点や、迷われた部分がありましたら、遠慮無くご質問ください。」と4/5ホームページに掲載した。

 一人稽古をやりたくてもそんな状況じゃない人もいれば、一人稽古を公園やお部屋でやっている方々もいる。そういった方々からご質問のメールをいただいており、私も文字に追われる時間を過ごしているので、なかなか腰を据えて返信ができないため遅れてしまうが、答えを言わずにヒントをお伝えしてご自身で気がつけるようにお答えしている。

 さすがに、今ホームページからのお問い合わせは皆無に等しい。先日他流派の方から、私の稽古会宛にご連絡を頂いたが、チョット今までに無いケースで、「私にお伝えしたいことがある。」というものであったが、私も今余裕が無い状態なので、丁重にお断りさせていただいた。過分な評価を下して頂いたので申し訳ない気持ちであったが…。

 とにかく、今は、自分の遣れることに全力を尽くし、自分の会いたい人とだけ会い、今を生きることに価値を感じておかなければ勿体無い。同じ時間を過ごすならどのように過ごすのか、表に誘われず淡々とやれることをやる。

 視覚や情報を表、感覚や本質を裏とした場合、現代社会は表に支配され続けてきた。

 この場合、善悪を表裏で捉えるのではなく、目に見えるものを表とし目に見えないものを裏と定義する。

 実体(実)とは表裏一体となったものであり、そのどちらが欠けても中身の無いものとなってしまう。

 その表に誘われ捉われ、裏である感覚や本質を見失ってしまったときに、心無き表に捉われた人間となってしまう。

 生き抜く支え、生き抜くちからのキッカケには、表と一体にある裏に目を向ける事である。

 当然、裏は目に見えないものなので、感じなければならないし、自らの本質とともに観て行かなければならない。

 現代は悲しいことに、裏に目を向ける隙を与えさせないように皆が必死になっている。

 文字や写真に動画、それは私も大いに利用している。しかし、その情報や視覚に入ったものの裏にはどういう心理や発想があっての事なのかを、情報発信者の多くは漏らしてしまっているし、その裏について感じられていない人も多いはずである。

 余計な不安や、精神的ストレスを溜める必要はない。今は世界中の人々が不安を持って生きている。だから不安であることが当然なのだ。どんな事でも不安は感じるもの。表に誘われすぎずに、裏を感じ実体を掴み、寂しさに誘惑されず、今出来る中で有意義に過ごせる工夫をする。余計なものは余り目にしないこと。


 そういえば、今夜は久しぶりに関西で世話人を務めて下さっている川原田喬生氏に、どうしてるかなぁ…と思い電話をした。
 川原田氏はボランティア活動や色々な寄付を継続的にされており、それだけに今回の世界的な出来事にはショックを受けていたようだった。今夜は20分位にしておこうかと思ったが、「それではまた…」と切った時には1時間半程経過していた。長く話せる人というのは、思考の言語化を導いてくれる人なのだ。だから、長く話しているという実感も無く、人に話しながらも、自分で整理をしているような感覚で言葉を発している。そういう方は何人か居てくださり有り難い存在でもある。

 明日土曜日は、雨脚の強い一日となりそうだ。幸い原稿と向き合う事になるので、雨音をBGMに少しでも能率が上がるように励む予定。また体内時計が遅くなってきたので、電気を消すとなぜか聞こえるラップ音を子守唄に今夜はもう寝るとしよう。


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2020-04-18(Sat)
 

精度に観る本質

 一先ず原稿を書き上げた。

 私の頭の中の体力が少ないのを痛感。

 映像に関する原稿であるが、これが書籍となったら、私の頭はどうなってしまうのだろうかと、書籍を書いている人の脳体力に「嗚呼…」と溜息が漏れてしまう。さらに、これを同時に何冊も書いている方々は超人?と思わざるを得ない。

 これは身体の使い方と同じなのだろう。初めて得物の稽古をされた人は、全ての事を考えて行かなければならないため、非常に脳が疲れてしまう。しかし、感覚的に無意識でおこなえる要素が増えてくれば、その負担は激減し、集中の持続力も格段に高まる。

 そういう意味では、今は私は勉強させていただいている事に感謝したい。鍛えられているという感じだろうか。元来も今も能力の低い私が何かを人並みにやって行くには、時間を掛けるしかない。だから、経験値の浅い間は同時に出来ることが皆無となる。

 同時にやれることが少ないことは、得られるものが少ないかもしれないが、一つのことに集中できることで理解が多岐に渡ることもある。そして、失う事態に陥ったときに、これを最低限に押さえ活かそうとすることも可能である。まあ、私など戯言であるが、次の課題までしばらく頭が別のことに移せそうだ。

 弱所散助(じゃくしょさんじょ)、手之内の締緩(ていかん)、原稿を書いていてこのような言葉が生まれた。もちろん、慎重に検討したものであるが、言葉が浮ぶというのはそこに身体を通じた実感があるからであり、その言葉が嵌るための判断は、身体に伺う感覚的なジャッジメントである。

 「精度に観る本質。」
 表に見えるものを司っているのは裏にある本質である。総てには表と裏があり、総ての裏は表に見えない部分にある。
 表とは裏の顔でもあり、表をどう判断出来るかは、その人の裏の本質にある。
 つまり、裏の顔は裏にあるわけではなく、表に出ている。その表を知るには己の裏の本質を探っておく必要がある。
 精度には表裏一体の実が関わり、表の精度に裏の本質が隠されている。すなわち、精度からその人の本質が垣間見える。

 表と裏は表裏一体であるからこそ、見え難いものであるし、そこに隠されてある実を捉える眼を養うものとなる。そこに奥深さや、虚実を働かせて、優しさや厳しさの舵を切って行かなければならない。そんな事を今日は思った。


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2020-04-15(Wed)
 

ふり幅を知りバランスを保つ

 前回の記事が思わぬ方向に行ってしまったので今夜はもう一つ。

 昨夜は、杖と剣を確認したが、杖の突きにおいて若干変更がありそうだ。「ありそうだ。」とまだ決定出来ていないのは、部屋の中で確認したものなので、微妙な床面との摩擦など、普段の状況で確認してから判断したい。ただ、今まで良しと思われていたことが、実はブレーキになっていた可能性を感じるので、その良しと思えていたことを疑うことになったのは、今までと違う状況下での稽古になったからだと思う。

 今日も原稿の作成に時間を費やした。脳の集中と回復に、自室でいようと無かろうと関係なく、時間が過ぎて行く。しかし、進められるだけは進めた。やれることがあるというのは誠にありがたい。時間に追われる日と追われない日のバランスが人の健康には大きく関係していると思う。追われすぎると精神的に苦しいし、ヒマすぎると余計な不安を抱え込んでしまう。

 結局人は無い物強請りの生き物なのかもしれない。そのふり幅が大きくなり過ぎてしまわないようにバランスを持って生きていられればと思う。今は、外で活動が出来ない状況であるが、まだ一ヶ月以内だから、ふり幅は小さい。自室に留まっても苦にならないが、そのふり幅が広がり始めたときにどうなるのか…。推奨引きこもりとして世の中の皆がニート化してしまう現実に、まだふり幅に余裕がある分治まっているところだろう。


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2020-04-13(Mon)
 

室内に留まっていることが苦にならない

 今日は一日中雨。狭い家でずっと同じところにいる。考えて見れば、家に居るときの場所はずっと同じところだ。私の場合はそこしかないからそこに居るのだが、もうそこに16年近く居ることになる。

 高校生の時に自分で買ったテレビを、東京に引っ越す前まで使っていた。おそらく約13年間使っていたのだが、その間に、実家の福岡から広島、大阪、埼玉と私と共に移動した唯一の持ち物であり、それを毎日見つめていた訳であるから、フト、テレビに魂が宿っていたなら、毎日私のいろんな顔を見続けていたことになると考えたこともあった。

 それで、当時役者活動に情熱を傾けていたので、テレビを題材にした舞台をいつかやりたいとプロットをノートに書いたこともあった。
 ざっと思い出すと、主人公は女の子。子供のころに買ってもらったテレビを大事に、大学や就職で住まいが変わっても、その女の子の成長をテレビはただ画面を写して眺めているだけ。偶然的にテレビが助けてくれたりなど、その間にいろいろなドラマを織り交ぜ、最後は、数十年後、自宅にて家族の見守る中、意識もなく、医者も呼ばれ、脈も小さくなってきたところで、物置台代わりになっているテレビが突然点き、これまでのテレビ側から観た映像が流れ出す。当然もう壊れているしコンセントも繋いでいないのに点いている事に驚くが、そのテレビの映像に皆が釘付けとなり、電源が切れたと同時に主人公の脈も止まる。

 たしかこんな事を、舞台か何かでプロジェクターを用いて出来ればなぁ…なんて考えていたこともあったが、あれからもう何年も時が流れ、私はもう別の人生を生きている。記事を書いていてフト右にあるパナソニックのテレビが、ここに移り住んだときに頂いたもので、もうすぐ16年になる。今は珍しいブラウン管で奥行きが時代を感じさせる。画面両サイドのテロップなどは切れて見えないことが多いが、まだ数年は持ちそうな気配。

 最新の家電とは無縁な自室であるが、自分の遣りたいことに関しては常に最新であるように心掛けたいものである。


金山孝之 指導・監修 DVD
『古武術は速い~“型の手続き”を追求した剣・杖の実践的な体使い~』


金山剣術稽古会

甲野善紀先生からの紹介文

2020-04-13(Mon)
 

効果的な段取りで日々淡々と

 昨夜は、三時半まで起きてしまったが、良い流れを作ることが出来た。いい流れとは、淡々とおこなえる身体の追求と、それを実践するための段取り。今になって?と恥ずかしい気もするが、道場へ稽古に行けないからこそ気がつけた事である。

 下段からの正面斬りが、私の場合、現在において身体の感覚を把握するための稽古となっているが、同時に身体の調整にもなっていることが解った。お陰で昨夜はスッカリ身体の各部の詰まり感が解消された。

 蠢動のお陰で、見た目に止まっていても大きな実感を得られる内部の微細なことに対する信頼信用が得られた。これは僅かだからこそ利いているのだろう。欲を持ってさらに大きく働かせようとすると、やっぱり駄目な状態になってしまう。

 杖整体操も、身体が望んでいた。可動域の悪くなったところや、痛みがある場所なども、効果的にやるためには、どのタイミングで何をやるかが重要である。ただやるだけではなく、どの流れでやるか。そこへの優先順位は、家の中であっても下げてはならない。

 自宅道場と言っても、ただの部屋の一室。気の持ちようで道場になる。


 今日は、原稿を進めた。しかし、これらの文はまだまだ叩き台を重ねただけのもの。まだ猶予があるので、限られた範囲内でどうこれを詰めていけるか、迷いの毎日はそう簡単に抜け出させてくれない。

 とにかく、毎日淡々とやる。さらに効果的な段取りでやる。出来る時間があるだけ贅沢だ。


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金山剣術稽古会

甲野善紀先生からの紹介文

2020-04-12(Sun)
 

蠢動にさらなる発見

 普段は週に五日位は稽古に出かけていたので、さすがに意識的に自宅稽古を重ねなくてはならない。

 今日は蠢動に進展があった。これは今月の撮影でおこなうため現在確認しているところであったが、脱力で蠢動の利きが上がったのなら、蠢めく速度を落せばさらに上がるのではないかと予想していた。結果、その通り、蠢く速度を落せば、さらに何もやっていない状況と見た目にも実感としても殆ど変わりが無い。しかし、弱さと強さに雲泥の差があるため、まだ狐につままれたような信じ難い思いが抜けきれないが、それだけに気がつきにくいものであることは確かである。これは隠して只の脱力でやっていると言っても解らないだろう。しかし只の脱力では横への振り飛ばしで検証するとまったくダメなのである。撮影を通じて再び蠢動を研究しているが、4/1(水)から進展を重ね続けることが出来ている。今は、検証内容を限定して行っているが、いずれ他の体術において蠢動を展開させたいと思っている。

 ひさしぶりに杖整体操もおこなった。やはり、パソコン作業ばかりだと、身体が固まり可動域に影響が出てしまう。原稿も大事であるが、淡々とおこなえる身体であることも怠ってはならない。不安や危機感は、行動にうつりやすいもの。今の私の不安や危機感は、テレビの情報よりも、自らの稽古と原稿だ!

 たったいま震度3にしては揺れたが、書き終えたら稽古しよう!


金山孝之 指導・監修 DVD
『古武術は速い~“型の手続き”を追求した剣・杖の実践的な体使い~』


金山剣術稽古会

甲野善紀先生からの紹介文

2020-04-12(Sun)
 

自宅道場でも大きな気づき

 この数年間一週間のルーティンというのは体が覚えていた。緊張と緩和のバランス、合間に出来る時間の使い方など…
 それがふしぎと、いつの間にやら今の生活に馴染んでいる。

 家を出る機会が激減した。それが我慢してではなく、家に居なければならない原稿の作成という緊張感と向き合わなくてはならないため、まさに在宅ワーク中なのだ。たぶん、普通ならぜんぜん緊張しない猶予はあるのだが、性格的に終わりが見えないと安心できない。終わりを見出すのは自分だからね。

 しかし、頭が疲れているとぜんぜん進まない。そんなときは気分転換をはさむ。在宅ワークの特権だ!今日は、抜刀術の動画を配信した。これまで動画を繋げて配信することができなかったが、今日はムービーメーカーを使って、簡単な編集ができた。これを機に私もユーチューバーに…なんてことはあり得ないが、最低限の映像配信は今の世の中では必要だと思っている。そこのラインをどう引くかが、その人に関わる縁を決めていくのだろう。

 7日火曜日は松聲館へ伺い甲野善紀先生と稽古。こうした時期だからこそ、稽古をさせていただけることに深い感謝の念が湧き起こってきます。私にとっての稽古は、もちろん技についてもそうですが、寧ろ何も無い時間、そこに学ばせていただくことが多々あります。心の中では自省だらけです。楽しさから学ぶことよりも、自省の苦しみで学ぶことの方が、忘れず脳内に刻印されるものです。学ぶという事は、感じて自省するということなのかもしれません。

 9日は金曜日は自宅にて抜刀術の稽古。当然稽古着に着替えなければならないので、自室のスペースを確保するためにいろいろと動かし、狭い空間でできるものを一時間ほどおこなった。「懐月」では右手首の使い方が小指の押さえが抜けにくくなることが解った。この小指の押さえが抜けないように突きつける事は昔からの課題中の課題であるが、昨日得た右手首の使い方は何度か試みたが信頼出来るものであった。

 この日の一番大きな収穫は、動きのコントラストを抑えながら速くおこなうことのイメージが具体的に見えたこと。これは、あまり言葉で説明したくないが、これはもしかすると体術にも当て嵌まることかもしれない。単なる早業から術に近づくための方法。対人間であるということが、これからもより深く考えながら取り組んで行かなければならない。しかし、これまでの道程は間違っていないと思っている。

 こんなときこそ、芸術のちから、音楽のちから、武術のちから、頼るべきときです。素直な人は、さまざまな情報から影響を受けやすいものです。素直な人は不器用ですが心が綺麗な人だと思いますので、その心を芸術や音楽で癒し、私の場合は武術ですが自己と向き合う、世俗を忘れられる時間を持つことも、これからの長く続くと思われる日々の暮らしでは、精神的に防衛する手段も考えておかなければなりません。どんな状況でも前を向ける、向こうとする、そういう強さを養う時期でもあります。私も試されている時期ですので、幸せのラインを高く設定しないように、今を生きていたいと思います。


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『古武術は速い~“型の手続き”を追求した剣・杖の実践的な体使い~』


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甲野善紀先生からの紹介文

2020-04-11(Sat)
 

今も心に

 今夜は満月。走っていて月の出始めから見ることができたので、オレンジ色でいつもより大きく見えた。帰宅後これが2020年で最も地球に接近するスーパームーンであることが分った。

 この時期金星もよく見えるし、本当はもっと満天の星空が見えるところで生活したいという願望もある。福岡で生まれ、広島で就職し、大阪で役者の勉強をし、埼玉に引越し、気が付けば東京で十六年目を迎えた。このまま東京に居るのか、それともどこか他の地へ引っ越すのか…仮に引っ越すならどういう理由で引っ越すのだろうか…東京でなくても出来ること。それが自分のやりたいことでもあるなら迷う必要は無い。寧ろ直ぐにでもそうしたいだろう。だが、今は東京でなくてはならない。

 録画していたある映画をテレビで観て、二十代前半の記憶に懐かしむことが出来た。気が付けば二十年以上も前のこととなっていた。広島で働きながら、将来の不安、自分が本当にやりたいこと、六年間の歳月をそこに費やしたが、瀬戸内海の穏やかな海、人の居ない高台からの景色や渋滞の無い道路、当時の足はクルマであったが、あの当時の自分も今の自分も大きく変わってはいない。きっと、あの場所に住み、あの景色を眺め続けて生きていたら、その中で得られる幸せは今と違っていただろう。その幸せと今の人生を選ぶとしたら、迷うことなく今と言える。だけど、満天の星空は観たいし、静かな海を誰にも邪魔されずに眺めていたい。それが無いもの強請りであることは分かっている。だがおそらく、いま実際にその場所に訪れてみると、思い描いていたあの頃の情景や想いに映ったものとは異なって見えるのだろう。それはきっと、二十年前にしか感じられないものがそこにあったからだと思う。

 映画を観る前までは、昔の想い出は想い出として、過去を振り返らずに今を生きて行くことが自らの成長にとっては当然のことだと思っていた。しかし、二十年前の、あの頃にしか感じられなかった記憶が匂いのように思い出されたとき、あの頃の自分を否定する必要は全く無いと気が付いたのであった。勿論、過去に何かとんでもない事をしでかしたとか、そういう事は無く、未熟だった自分を、まだ未熟な今の自分が受け入れることが出来たということだろう。

 これまでの人生なんて大したこと無いと思っていた。それは大きな勘違いだった。もちろん、凄い経験とも思っていないが、貴重な経験、それは誰にでもある日常と呼べるものかもしれないが、そこには掛け替えの無い自らの歴史があり、出会った人々がいて、そこで生きたという現実がある。

 そういうことは、残念だが時が経たなければ分らないのだろう。しかし、今を生きているこの日常の当たり前が、無いもの強請りの苦しみの中で、いずれ掛け替えの無い日常として昇華されるものならば、ほんの僅かでも今を喜んで生きていたい。そう思ったのである。

 平凡など無い、奇跡の積み重ねが今だから。


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甲野善紀先生からの紹介文

2020-04-09(Thu)
 

これまでに無くパソコンと向き合った一日

 今日は日中から夜までずっとパソコンに向って原稿を書いていた。昨日一昨日に書いたものも、パズルのように抜き出すことがどうも苦手で結局最初から書き直したほうがシックリするのである。とうぜん時間が掛かって大変なのであるが、この能率の悪さは子供の頃から変わっていない。なんというか自分がシックリ出来るかが精神的に優位でなければ調子が出ない。

 パソコンと向き合っていても、原稿に嘘は掛けないので、傍に木刀と杖を置いておき、確認のために立ち上がって何度も何度も動いてしまう。すると熱くなるので、目の前の窓を開け、ダウンコートを脱ぎ、作業を進めていく。しばらくすると肌寒くなり、窓を閉めダウンコートを着て、再び動きの確認をし、熱くなり窓を開け…

 と、このような事が何度も繰り返された。今日はようやく目途がつき、明日の日中夕方頃には一先ず先方へ提出出来そうだ。そのため、今は気楽に記事を書くことが出来ている。そう、ブログと言うのはその瞬間瞬間に文字を打っているので何とも疲れない。多少の誤字脱字、てにおは、言い回しの重複など、「ブログだから目を瞑ってよ」と甘える気持ちが出てしまう。もちろん訓練のために、記事を書くという事を自らに課してきているが、訓練のためだけではなく、脳内の整理や、それを文章化することで気がつく事も多々ある。

 私の想定であるが、明日の0時に緊急事態宣言が発動され、民間のホテルなど病床代わりになる施設が増えることで、これまでなかなか検査してもらえなかった人が検査出来るようになってくるだろう。それにともない、ドンドン陽性患者人数が上がり、外出する人の立場が益々厳しいものとなりそうだ。この陽性患者の実数が出て初めて見通しも立てられるのではないだろうか。勿論、実数がどこまで上がっていくかは想定出来ないが、一、二ヶ月で終息するとは思えない。その時どのタイミングで外出自粛要請を解除できるかがポイントになってくるだろう。その間、地球はこれまでに無い程健康になっていると思われるので、これまでの恩恵と行き過ぎた自然破壊にCOVID-19という特効薬を服用したと言ってしまうと言い過ぎであろうか…。果たして人類の知恵はこの後、同じ事を繰り返すのか、それとも大きくシフトして行く方法を選ぶのか、それはどこまで地球にとっての特効薬が効いていくかに掛かっている。


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甲野善紀先生からの紹介文

2020-04-07(Tue)
 

湧き起こる念と共に己を観ていく

 昨日4/3(金)に品川区の会場がゴールデンウィーク明けの5/6(水)まで利用不可となったことで、早めに4月開催中止の決定をしておいて良かった。予想していたことではあったが、前日に皆さんへ中止の発表をおこなうことは、その他の予定にも響いてしまう。尤も、現状その他の予定も同様になりがちであるが、なるべく混乱の無いように、混乱する必要の無い人は煽りに乗っからず、冷静に辛抱することが今は大事かと思う。かつて辛抱の多かったこの国では、そうしたなかで磨かれた美徳もあったに違いない。久しく使われなくなった「辛抱」という言葉も、いまあらためて「ただ、我慢する」ということ以外に「なにに、喜びを見出し、そこに今を生きていけるか」という価値観を呼び覚ます事も、生きていくための精神的な術として学ぶべきことの一つにあると私は思う。

 今日はそれなりに身体を動かし、体術における感覚の検証も出来た。今月は講習や稽古会が全て中止になったが、原稿の作成やそれにともなう技の検証確認は外せない。私の場合、そこに助け舟があったように、生徒や門人達の顔が浮かんでくるが、今は私のやるべき事に精を尽くし、生徒や門人達に良い発表が出来るものにしたいと思っている。今はしばらく稽古が出来ない状態となり残念に思う方もいらっしゃるだろう。また、仕事や生活に大きな支障があり復帰が難しい方もいらっしゃる筈である。

 今を辛抱し、混乱に乗じず今をどのように少しでも有意義に出来るか、武術稽古の修錬からは、そうした切実なる状況にどうにも抑えられないほどの念が湧いてくる。その念の強さを、状況に合わせ応じていくことが修錬の成果の一端だと感じている。それが私に出来るかどうかを、今は観ているところでもある。


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金山剣術稽古会

甲野善紀先生からの紹介文

2020-04-05(Sun)
 

四月は缶詰稽古となった

 ついに平日の稽古会も会場が利用できなくなり、今月は私が主催する稽古が無くなってしまった。

 金銭よりも、稽古の方が心配なので、想定は出来ていたが致し方ない。

 今月は撮影があり、幾つか試しておきたいものもあったが、それはクリア出来るものである。

 ただ私の抜刀が大きく変わったため、自宅内での稽古を本格的にやる必要が出てきた。缶詰稽古だ!まあ、その辺りも想定していたのでなんとかなるだろう。

 昨日今日と原稿を書いている。気力はあっても集中力の波があり、ゼロから生み出すものにはこの集中の具合が大事である。だが、猶予はないし、自宅で稽古環境を整えなければならない問題も出てきた。

 とにかく、今まで経験していない中で身体の状態を上げていかなければならないので、「そこをどう楽しめるか」、そういうふうに持って行きたいと思う。

 期間限定配信動画も20~30本分ほどストックがある。私は動画を繋げる編集技術をしらないので、一つ一つ短いものを配信していくことになるが、それが全て配信し終わる頃には、稽古も再開できると信じたい。

 今は全世界が、これまでになかったことを経験している。すごいことだ。


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金山剣術稽古会

甲野善紀先生からの紹介文

2020-04-03(Fri)
 

感謝が出来ていますように

 昨日水曜日は戸越体育館で渡部氏と稽古。

 土日の講習は週末という事もありまた参加される人数も多いため、開催を中止せざるを得ない状況となったが、平日の稽古会は、現在戸越体育館のみでの開催となっているので、渡部氏に稽古相手になってもらっている。

 昨日は「蠢動」に大きな進展があった。尤も、蠢動はもう古い術理として、最近は全然やらずに他の運用法を取り入れたのであるが、久し振りにやってみると全然利かない。互いに立位で腕を掴んだ状態から相手を振り回す検証をおこなったのであるが全くダメ。渡部氏も自分でいろいろと考えて内部の働きを活かしているので、私よりも体重も筋力も少ない渡部氏でも足元まで動かすことが出来なくなってしまった。

 これは「どうしたことだ!」とさまざまに工夫してみたものの、なんとか強引にしか動かせなくなってしまった。やはりもう蠢動は駄目なのかと諦めかけたときに渡部氏から「なんだか凄く力が入っているような気がするのですが…」と、そこで「ハッ」と気がつき、蠢動の利きは身体が何かやろうとするのを解放するように、何もさせないようにすることで利きが一層高まってくることは以前から気がついていたが、どうもその後におこなった別の身体の運用法が、身体内部の流れを実感するようにおこなっていたため、その癖が蠢動に対しても実感を得ようと強くやり過ぎてしまっていたのであった。相手が崩れないから、益々蠢かそうと力が入ってしまい悪循環。やっている本人は、どうしてこんなにやっているのに以前より利きが悪くなっているのかと考え込んでしまう。

 そこで、極力脱力し、力が入りにくい姿勢をとったのち、蠢動をやっているのかどうか自分でもわからない位の感覚でおこなってみたところ、これまで動かせなかったり強引にやっと少しうごかせていた渡部氏が、納得するように飛ばされた。

 今回得たことは、「脱力のちから」である。当然脱力だけでは一番脆く全く利かない。面白いのは、それと殆ど見た目にも当人の実感としても変わりがないのに、現時点で一番利くことにある。この紙一重の違いに「脱力の妙」があるように感じた。こうなると興奮冷めやらぬ思いで一気に火が点き、座りでの一点接触からの崩しにも同様に働きを得た。これは、映像で観ても俄かに信じ難いと思われるだろうが、受けていただくとその差は歴然としているので、私としてもこの脱力のちからを今後も稽古で検証し展開させて行きたいと思っている。

 おそらく結構な力が掛かっていたのだろう、記事を書いている現在、右腕前腕尺骨全体が筋肉痛となっている。

 その他にも幾つか試したことがあるが、稽古の可能性は自分の興味と感覚の予知を感じる部分にあり、自分を信じてそれを通していくか、改め他を探すか、その答えは自分で決めること。それは意識的にそうしようと思うのではなく、どこか身体が、まだ諦めないで続けたほうがいいと訴えているのを何となく感じられているからだと思う。

 だから、稽古を始めたばかりの人は意欲的に続くであろうし、しばらく経ち出来ることと出来ない事が色々わかってきた人は、出来ることで感覚を養い、長く続けている人は、身体からの声に耳を傾ければそれでいいのかもしれない。勿論それだけではないが、今思い返しても、これまでの稽古の中で何も無くただやっただけという稽古はおそらく一度も無かっただろう。さいきんは不思議と、全然ダメな状態に持っていかされてから、挽回するという流れが続いているが、渡部氏の発言から大進展したことも続いている。こういう時間の過ごし方は、普通に生活してきたらあまり経験することはないかもしれないが、私も色々な事をやりながらこうした武術稽古の日々が人生の全てに関わってくるようになってきた。世の中は全て知らなくとも、その知らない部分を信じることで、運ばれていくこともあるのだと思う。無意識的にでも感謝が出来ていますように。


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2020年4月 武術稽古日程

甲野善紀先生からの紹介文

2020-04-02(Thu)
 

さあ、四月!

 四月に入り、土日の講習を中止にしたため、これは他の事に時間を使える、もしくは新たに計画しなくてはと考えていた矢先に、殆ど入れ替わりのタイミングで、四月中にとあるお話が纏まり急ピッチで作業に入ることとなった。家に篭って原稿を作成しなければならないため、今はこれに情熱を注ぎたい。


 一昨日3/31は松聲館へ伺い甲野善紀先生と稽古。
 先生の最近の術理「無反動砲」の原理による突きや、後ろの意識や爆発といった、詳細は甲野先生のメールマガジンに掲載されると思いますが、それこそ衝撃を受けました。

 この日はさまざまに、体術、剣術、杖術など先生の気づきを受けさせていただくことができ、特に杖術「下段抜き」では、目から鱗が落ちるものがあり、これは自分で落とした鱗ではなく、先生に落としていただいた鱗であるため、それが出来るかどうかはまだ分りませんが、忘れられない瞬間の一つとなったことは間違いありません。

 教えないことが最大の教えということを、私自身も指導者の立場を受け持っているため、近年は痛感しております。教えないという事は、教えることであり、教えるという事は感じ取らせることだと思います。そもそもの教えるというイメージが間違ってしまっているから、一見教えないものというのは、ある段階まで進んだ方には物凄い親切な教えである訳です。勿論、本当に教えずに、ただ盗めというのは違いますが…。つまり、安易な教えは下手を長年に渡って記憶させてしまうものであり、その無意識的に従順な教えを受けたものに対し盲目になってしまうものがあるのです。それは特別な人だけのものと思われるかもしれませんが、それは間違っており、そうした教えというのは年月が掛かるものであり、心の在り方がハナから否定的なのか、感じようと努め自省に至れるかという部分で大きく分けられてしまうものでもあります。

 体術では座りでの崩し方をお伺いし、角度による利きの違いや、その微妙な方向の組み合わせがまさに斬りとして崩されるものでした。帯刀体術では、私が講習でおこなっているものを見ていただいたのち、その場で先生が対応技などさまざまに動きを見せて下さり、この帯刀体術は相手との流れが把握しやすく、通常の体術稽古に活きてくるものとして、今後も工夫していこうと思います。

 この日はいつものように終電ギリギリまでお伺いさせていただきましたが、世間が不安に満ち溢れている中、まるで無縁と思えるひとときを過ごさせていただきました。もちろん無縁ではありませんので、そうなった時の覚悟は出来ておりますが、だからこそ、このひとときというのは掛け替えのない時間に感じるものでした。生きていくには、先の予定を立て、迷惑を掛けず滞りなく進めていくための準備をしなくてはなりませんが、先の事よりも生きているのは今その瞬間ですので、先を疎かには出来ませんが、今を疎かにすることはもっといけません。不安は時に誤った舵を切ってしまいます。情報が発達しすぎた現代ではそれが顕著に表れておりますので、経済とウイルスという相反する者同士の戦争がどういった終着点を見せるのか、我々も巻き込まれながら自然の意図に沿う形で今を過ごし、この先を過ごして行くのでしょう。


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2020年4月 武術稽古日程

甲野善紀先生からの紹介文

2020-04-02(Thu)
 
プロフィール

金山孝之


     金山 孝之
  Takayuki Kanayama


1975年生まれ
福岡県北九州市出身
東京都世田谷区在住

松聲館技法研究員

金山剣術稽古会主宰

Gold Castle
殺陣&剣術スクール主宰

高齢者のための剣術教室
クラーチ剣術教室講師


1999年
映画監督中田秀夫氏との出会いにより映画に出演。そのほかマンダムのモデルや舞台のプロデュース公演などをおこなう

2006年
小林照子先生とのご縁から
「からだ化粧」のモデルを務める

2009年
武術の道を志しそれまでの活動を一新し武術稽古と研究に励む

2011年
武術研究家甲野善紀先生に師事し「抜刀術」「剣術」「杖術」「体術」などの稽古と研究に取り組んでいる。また、先生の書籍、番組撮影、記録映像、その他演武等における打太刀や受けを務めている

2013年
刀と身体操作の技術向上を目指し裾野を広げるべく「Gold Castle 殺陣&剣術スクール」を発足

2014年
甲野善紀先生より
「松聲館技法研究員」を拝命
自身の経験を活かした指導法を各道場等でおこなっている
 
シニア住宅にて
「高齢者のための剣術教室」をおこなっている

日信工業株式会社の製品
「SAMURAI BRAKE」のプロモーション活動に携わる

2015年
「金山剣術稽古会」を発足
現代における武術稽古の必要性を身体と心で学べる場として活動している

2018年
「関西特別講習会」として定期的に関西地域での講習会を開催

2019年
BABジャパンよりDVD『古武術は速い』刊行

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