甲野善紀先生新刊 『術の世界に踏み入って』

 学研から、甲野善紀先生の新刊『術の世界に踏み入って』が発売されました。

 進化の速度が増し続けている甲野先生ですが、この本では特に最近の技について非常に多くの写真とともに解説されています。

 受けとして参加させていただきましたが、あらためて本を見ますと、先生の身体の構造や姿勢など、勉強するのに大変参考になります。

 術のすごさを何度も体感しているからこそ、最近の技などすべてを公開しているこの本は価値があると思います。


2013-08-31(Sat)
 

十割を超える八割

 2013年の8月も明日で最後となったが、(0時を過ぎてしまったので今日になってしまったが)毎年8月というのは私にとって大きな出来事が起きる月でもある。おそらく何か関係していることがあるように感じるので、それに対しては感謝の気持ちと、ささやかなお礼をおこなった。(現在関わっている人という意味ではなく・・・)

 右手首の状態が7割程度回復してきた。先週が5割程度だったのでだいぶマシになった。そのおかげで、より手の力に頼らず、体幹部をどのようにして導入するかという意識が強くなった。

 イチロー選手が、八割の力でプレーしていると何かの記事で目にした。確か走塁についての内容だったと思うが、とにかくイチロー選手の素晴らしいところは、大きなケガをしないところだと思う。感覚を重要視した肉体作りと、ケガをしないための身体の使い方には、武術的に共通する部分が多いだろう。

 私も右手首を痛めて、手の内に関わる重要な部分が使えないことの不便さと、いかに手の内に余計なチカラがかかっていたのかが、痛みとともに日々思い知らされるのである。

 しかしイチロー選手の記事の影響もあるが、仮に筋肉的なチカラを十割意識して使うのと、それを八割に抑え、身体のバランスを調整しながら全体的に余裕をもって感じ取れる感覚であるほうが、結果的にはこちらの効果の方が十割の仕事になっているように思う。もちろん、単純な腕力で身体を取り扱ってはいないが、例えば、身体の中に組み込まれた動きを取り扱う際に、十割で取り出すのと、八割で取り出すのでは、身体的余裕から発する感覚が違ってくる。前にも書いたが「水を効率よく掻く」動作にも近いものがあると思う。

 抜刀術に関しては、考えながら取り扱う時間はないので、装置化したものをどのように扱うかが現時点での私のやり方である。その現時点での私の抜刀術が順次配信される動画におさめられている。

 「纏まりを作る構造と 伝達ロスを無くす操法」というものが私のひとつのテーマであるが、それらを踏まえながらも「十割を超える八割」という身体の使い方にシフトしていかなければならない。大雑把ではあるが、七割、六割、五割、それ以下の世界もあるだろう。周りの見えかたや客観性も変わるだろう。そしてそこで得られた感覚は、武術以外の仕事などにおいても、効率的に頭を働かせながら進めていけるようにも思える。ただ、チカラを抜くのではなく、十割の効果を得られる八割でなければならない。そこがむずかしいところだ。

 今日は稽古後に、20時から新宿のとある喫茶店で今後のある展開についての打ち合わせをおこなった。気の合う人との話は実に楽しく、相手の心を敏感に感じてしまう部分があるため、心が清らかな人との活動は願ってもないことだと思うのである。先日神社で撮影してくださったOさんといい、心が清らかな方との縁は、本当に身体にいいものである。自分のやりたいことをやるのなら、自分の好きな人達と環境をともに生きてゆきたい。

 
2013-08-31(Sat)
 

『抜刀yasai斬り』についての解説

 前にも書いたが、8月13日にとある神社の境内で、演武映像製作のための撮影許可をいただき、無事に撮り終えることができた。杖術からおこない、抜刀術など、今までにない環境で、信じられないほど撮影がスムーズに進行していった。撮影の現場というのは、私自身いろいろ経験してきたが、「現場」というのはそれまでの経験や準備などが全て現れる「生の空間」であると思っている。今回の撮影を提案してくださったOさんの力量と、センスの良さ、そしてその人柄のすばらしさは、現場での作品をもっとも良い形にもっていけるプロであると確信した。私がこのような方と武術を通じて関われることができたのはご縁があったと言えば簡単であるが、それまでの人生における残念なことや、苦しいことが全て報われ、目線が変わることで見え方が変わったものや、自分の環境が変わることで、新たな扉が開かれることがあるのだと実感した。すなわちそれらは全て繋がっていることであり、私には分からない流れの中の一瞬であるのだろう。

 現在新しくyoutubeにて配信しているのは演武撮影で最後におこなった『抜刀yasai斬り』である。(映像リンクにもあります)

 ふだんは全くこのような稽古はしてないのだが、たまに身体の使いかたが変わったときに、タオルを落として斬る(打つ)ことはあるが、撮影時においては野菜のほうが空気抵抗の影響から落下速度も速く、実際に斬ったほうが分かり易いと思ったのである。もちろん残った野菜は持って帰って適切に使用した。

 映像をあらためて見ると、蝉の鳴き声が凄まじい。朝の7時に開始して昼の12時頃に終えたので、この映像は最後に撮った映像なので12時前ぐらいだろうか。少し説明すると、右手に持った野菜を上に投げずに落下させ、地面に着く前に斬るには、初めての人なら刀を抜く前に野菜が落ちているだろう。これにはいろいろな身体の使いかたが必要で、まずどれだけ速くおこなっても右手のみで刀を抜いた場合、柄に野菜が当たってしまうだろう。まずは、「左手の鞘を引く」ことがこの場合重要で、そのためには鍔を体の中心線上に置いておかなくてはならない。

 つぎに重要なのは「体の沈み」である。これは成功の8割を占めるほど重要な要素で姿勢が肝心である。試してみたい人のために、まずは斬らずに、落下物と同じ目線で体をなるべく低い位置まで沈ませるようにするとよい。いきなり野菜を斬るよりも、タオルなどで試したほうが、「これは出来るんだ」という感覚が染み付いてくるようになる。

 なかなか出来ない場合は、あらためて左の鞘の使いかたを考える必要がある。体の真ん中を軸にそこから左右に両腕を引き肩甲骨が寄ることで、切っ先が最短距離で移動するため、体の真ん中から落とした物体はちょうど刀の物打ち辺りで切断できる。つまり抜刀では、左右の両腕の使いかた、初動における沈み(浮き)の使いかた、これらは考え込む必要がないほど身体にベースとして染み込んでなくてはならない。もちろんソレが全てでは無いのだが、通過点としては必要であると思う。

 最後に片膝をついておこなっているが、これは真横に斬ることが重要であり、この場合ゴマカシが出来ないのであえて取り入れてみた。立っておこなう場合、身体の各部分を使わずに、手元だけで切っ先を落としておこなう方向になりがちである。これでは、身体各部分からの動きを引き出すことにブレーキがかかってしまう。片膝をついた状態からの抜刀では、切っ先を落としてしまうと地面を斬ってきまうので、沈むしか無いのである。

 この野菜斬りは、厳しい条件でいかに抜刀術の原理に基づいた動作がおこなえるかを検証するためのもので、野菜を斬ることだけが目的では無い。そのためにあまりやることもないし、斬れるようになるためには抜刀術の稽古が必須である。

 次回はその抜刀術の映像を配信したい。私自身脚足の使いかたがソ之字立ちを廃止して見る初めての映像なので、どのような映像になっているのか大変興味深いところである。


2013-08-27(Tue)
 

金メダリストの実力

 ボクシングでロンドンオリンピック金メダルの村田諒太選手のデビュー戦となる試合をテレビで見た。試合を見るまでは、金メダリストの実力とはどの位なのか未知であり興味深いものであった。しかし、ゴングが鳴った瞬間これほど全てにおいて次元の違うものなのかと金メダリストの実力に驚かされた。

 その後の情熱大陸という番組で、アメリカでの名門「トップランクジム」での練習風景が非常に興味深いものであった。村田選手のアメリカでの練習環境は世界最高水準であるかもしれない。映像を見る限り非常に合理的な、中身のあるトレーニングだと思う。さまざまなチューブを使って、基本的な練習を徹底的におこなっている印象だ。足の幅、ガードの位置、強いパンチを放つための体幹のバランス、それらを踏まえた相手との位置関係など。

 そのなかでも、トレーナーが説明していた部分が印象的であった。アマチュアボクシングは足が動きながらパンチを出している(足の使いかたの問題であろう)ステップも大きいし体力を消耗してしまう。プロではラウンド数が多いため、体力を消耗しないための無駄のない動きへと変えていかなければならない。また、相手にダメージを与えなければならない部分がアマチュアとは異なるため、ステップを小さく、そしてパンチを放つ際には、身体のバランスを崩さないように、足腰つまり土台がしっかりしていなくてはいけない。アマチュアボクシングのように動きながら当てていくようなパンチを変えていく必要があったのだろう。これは、優れたプロボクサーは皆、終盤になっても腰が安定し、重心のバランスも乱れない、そのために体幹の働きを活かした強いパンチが放たれるのだろうと思う。

 私自身、剣術における土台の建てかたは、以前と大きく変わってきた。それは、そういうものであるという「形」にとらわれず、変わっていくための大きなキッカケは体術にあった。ボクシングにおいても、シャドーボクシングやサンドバッグだけを叩く練習だと、形は綺麗にみえても、相手と交えたときに、動きのなかでの距離間や予定通りにならない中での動きが求められてくる。剣術稽古においても、ひとつのテーマでもある部分だが、起こりなく、崩せる強さをもち、動き続けることができるか、このことに関して地味な研究稽古を重ねているが、今日テレビで見た、トップランクジムでの練習風景の印象が、私がおこなっている剣術や杖術の稽古になんらかの影響が出てくるような気がした。


2013-08-26(Mon)
 

現状の感覚において

 8月2日以来の、一人研究稽古をおこなった。前回ムリをして右手首を痛めてしまい、8月13日の演武撮影に向けての打ち合わせや、手合わせなど(一日だけだったが)おかげで本番は、極めてスムーズに進行していった。細かい部分でのやり直しはあったが、基本的には大きなミスは無かった。それはやはり、武術にやり直しは無いからであり、撮り終えてみて、色々な意味で武術稽古というものをあらためて考えることになった。

 それ以外では、今月は何人かから連絡をいただいたり、バッタリお会いしたりで、右手首の痛みもあったので、指導に時間を使っていた。

 剣術を稽古したいのに、剣が振れない。これは、新しい発見のためのチャンスであると思っている。だからこそ、通常と違う状態での、制限がかかった状態での何か新たな発見はないかと期待している部分がある。

 今日の稽古では、そのような「これは!」というような発見は無かったが、ただやはり、現在もっとも重要としている剣術稽古での袈裟斬りの感覚が無くなっていた。しかし、右手首の痛みから剣が振れなかったため、見た目にも肩周りが細くなっているのだが、肩が動かし易い感覚もある。この状況であれば、以前の感覚を取り戻す手掛かりを探すよりも、もっとなにか違う使いかたからなる違う感覚も生まれてくるような気もしている。身体の状態が変われば感覚も変わってくる。過去を追い求めても無駄であり、現在の身体から得られる感覚を大事にしなければならない。

 納刀では、甲野先生から教わった、手の内で峰を返す方法でおこなっているため、手首や肩が楽で負担が少ない。30分間ブッ通しで納刀稽古をおこなった。まだまだ完璧ではないが、切っ先がほぼそのまま鯉口に飛び込むようになってきた。これは、手裏剣術に近い微妙な感覚が養成される。頭で考えながらおこなうよりも、身体全体の調和を感じながら、そう、まさに感じることで掴む技術であると思う。

 しばらくは力を使えないため、あらためて身体全体の調和を感じながら、さまざまに点検稽古をしてみよう。それ以外にも、気兼ねなく稽古などのご連絡はお受けします。その他ご質問などもお受けいたします。


2013-08-23(Fri)
 

2013年9月 武術稽古日程              (剣術・抜刀術・杖術・体術)

稽古見学、または参加希望の方はこちらのブログの【お問い合わせ】よりご連絡下さい。

9月2日(月) 16:30~ 高田馬場 


9月6日(金) 16:30~ 高田馬場


9月9日(月) 16:30~ 高田馬場


9月13日(金) 16:30~ 高田馬場


9月16日(月) 16:30~ 高田馬場


9月20日(金) 16:30~ 高田馬場


9月23日(月) 16:30~ 高田馬場


9月27日(金) 16:30~ 高田馬場


※稽古時間は都合の良い時間帯内(16:30~21:00の間)で構いません。もちろん最初から最後まででも結構です。前日までには希望日時をメールまたは、お問い合わせフォームよりお知らせください。

※稽古場所の詳細や稽古内容、稽古時間のご相談、稽古費用や道具類その他のご質問等につきましてはメールまたは、お問い合わせフォームよりお受けいたします。

※都合により日程が変更となる場合がありますので御了承下さい。


2013-08-23(Fri)
 

動画配信 第一弾 『抜刀yasai斬り』

 2013年8月17日にyoutubeにて動画を配信しました。
http://www.youtube.com/watch?v=m-QhU_T2CTk
『抜刀yasai斬り』

 先日13日に神社の宮司さんに許可をいただき演武撮影した中からの第一弾として、『抜刀yasai斬り』を配信しています。

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 2年振り位にブッツケ本番でやってみた。当時はキュウリしか斬ったことがなかったのだが、今回初めてニンジンとダイコンを試してみた。居合刀(真剣とほぼ同じ重量)でも問題なく自分の使い慣れた刀では一度も失敗することなく、成功した。

 右手に持った物体を上に上げることなく、落下させ右手で斬ることの難しさは、帯刀した経験があるひとなら分かると思う。さいごの片膝をついての抜刀は野菜では初めてやってみたが問題なく出来た。

 この『抜刀yasai斬り』は、ふだん稽古している抜刀術の体捌きの検証テストにおこなうくらいのもので、これを集中して稽古してしまうと、身体の使い方が間違ってくるおそれがあるので注意が必要である。


2013-08-18(Sun)
 

8/13 演武撮影

 先日から宮司さんに使用許可をいただいていた某神社にて、杖術、抜刀術などの演武映像製作のための撮影を実施した。

 この話は全く予定や準備していたものではなく、8月2日の朝に私が以前から非常に感じの良い方だと思っていたフォトグラファーのOさんとの朝の何気ない世間話から、一気にこの撮影が成功するための流れへと何から何まで上手くいったのであった。

 まず、Oさんからの撮影のお誘いに気が引ける思いであったのだが、Oさんから連絡先までいただき、その後ひとり考えていくうちに、Oさんとクリエイティブな仕事をしてみたいと私の中に沸き起こってくるものがあり、そうなってくると想いがドンドン強くなってくるのであった。クリエイティブな仕事は、機に対する瞬発力が作品に大きく影響してくるものなので猶予はない。

 8月6の朝、道場にてOさんに杖や抜刀などを見ていただいた。ただ先日、抜刀術の稽古中に右手首を痛めてしまったため、この日はあまり見せられることが出来なかった。だが、道場で互いにプランを出しながら、イメージが浮かび上がってきた。Oさんの仕事の早さには、(今回は仕事ではないが)心地よく「あぁ、この方はなにかを掴む感覚が生き方とともにセンスよくマッチしているんだなぁ」と感じられ、その人柄にも納得出来たのである。おそらく、人柄も関係あるであろうセンスの良さが繋がっていった結果クリエイティブなものが生まれてくるのだろう。

 道場での打ち合わせが終わり、撮影場所を決めるためにいろいろ調べ、その日の夕方にある神社の宮司さんから境内での演武の許可をいただくことが出来たのである。

 同時に打太刀を、最近稽古に参加していただくようになったOくんにお願いしたところ快く引き受けていただき、あっという間に撮影への段取りがついてきたのである。

 撮影日まで日にちも無いので、前日12日に、Oくんと演武における手をつけたのであった。まぁしかし、さすがに前日の手合わせで本番にのぞむのは無謀である。私自身は今までおこなってきた動きやその応用で、打太刀を務めてくれるOくんに対応していただいた。だが、杖ではまったく新しく生まれたものがあった。組太刀の経験や自分の現在の身体の感覚から自然に導かれてくるものはある。それは私だけでなく、時間を削って忙しい中、稽古に付き合ってくれたり、撮影時には早朝であるため、3時30分には起きて始発の電車で参加していただいたOくんには、ちょっと簡単には言葉に出来ない感謝の思いがある。彼の存在も今回の撮影実施へ向けた急激な流れの大きなひとつとなっている。

 右手首の激痛であったが、この撮影までの流れから考えると、おそらく当日は大丈夫だろうというフシギな信頼があった。幸いにも今日の撮影では、抜刀術の技を一つ入れ替えることにはなったが、その他はまったく問題なく、無事に最後まで終えることが出来てホッとしたのであった。チョット面白いこともやってみたので(自分の使い慣れた刀では百発百中であった)それは、公開したときのお楽しみとしておこう。

 それにしても、出会ってから11日目には演武映像を撮り終えてしまったことに驚いている。プロの機材であるため画像の美しさや、構成など、私の考えの及ぶところではない。あまりの展開の早さと、残ったものの価値に、まるで非常に心地よい風を体に浴びたかと思うとそのまま肌を優しく撫でるように過ぎ去って行ったかのように、夢でも見ていたかのような現在の心境である。これからの、私と、私と関わってくる方との、クリエイティブであるためのセンスをどのように磨き行動していけるか、フォトグラファーであるOさんから感じたものは、今後の私の人生の選び方に大きな影響力となるであろう。Oさん、そしてOくん、ありがとうございました!


2013-08-13(Tue)
 

髪型の変化と環境の変化

 今日は髪を切りに行ってきた。東京に住んでからお世話になっているお店でもう10年にはなるだろう。

 去年のいまごろはまだ長い髪であったが、だんだんと短くなってきている。今の自分がそうしたいと思っているからだろう。かつての役者やモデル時代は、自分のやりたい髪型にはできなかった。役者を目指し始めたころは、プロダクションからなるべくオーデションに受かりやすいようにと、爽やかに黒髪で清潔感のある頭にしていた。次にギャツビーのモデル時代には、さまざまな雑誌や全国の店頭ポップ用撮影のため、ワックスなどさまざまなタイプの商品によって色んな髪型を経験した。色も動きがつきやすいように、一週間ほど前にブリーチだけおこない撮影日が近づいたところでカラーを施したりと、今でもお世話になっている都内のお店との縁がここで生まれた。そのときの担当の方とは三年間お世話になったのだが、結婚され退職しブライダル関係のお仕事をされている、二代目の担当となった方とも三年間お世話になり、その見た目のキャラクターとは裏腹に、非常にプロ意識の高い方であった。現在はアメリカのロサンゼルスのお店で活躍されている。三代目の担当の方とは四年前にお世話になった。当時はまだスタイリストになったばかりだったのだが、昨年南青山のお店で副店長となられた。そして今月から表参道のお店へと移られ変わらないお付き合いをさせていただいている。

 舞台や映画に出ていた頃は、なぜだか私にはふつうの役には縁が無く、眉毛を剃ってソリコミを入れたり、金髪や銀髪にしたりもした。唯一、役者を目指していたころ最初に出会った中田秀夫監督だけは、沢山お話させていただいたが、今でも生きていく中で励みになっている評価を下さったことは生涯の宝物である。

 武術の世界に入ってからは、まだ、役者としてどのように表現するかということについての模索を、当時関わっていた環境の中で、映画のメインキャストという断りようの無い(であろう)立場の中で、世には出ないであろう多くのテスト映像を撮ってきたとともに、髪の毛を伸ばし続けていた。

 今年になり武術稽古から得られる感覚とものの見えかたの変化から、自分自身の環境を変えざるを得なくなってしまった。長年、「夢に向かっていこうぜ!」と心に決めていたものを、映画のメインキャストというところまできて、なんの未練も無く武術稽古による自身の身体や心の探究に、「人生を掛けてなにか追究し情熱を失うことなく成長できるもの」として、役者の道を選んだのだが、完全に、その道は役者の道の追究ではなく、武術の道の追究であった。それは、職人的な技術としての役者の世界には魅力を感じるが、そうでない多くの部分に私は夢のあるものを考え直さなければならなかった。武術からどのような道が見えてくるのか見当もつかないが、そのような目先の利益ばかりに目がいくような環境より、ジックリと中身を磨き精度を上げていく継続作業のほうが私は居心地がいい。自分の人生の在りかたをどのように見つけその題材を職人的に完成に向かって進めていけるか・・・・・・

 自分ではない自分が自分になろうとしているのか、そもそも自分というものを自分は自分と思い込んでいたのか・・・・・・

 自分というものは誰が知っているのだろう・・・・・・


2013-08-11(Sun)
 

自分のステージとは

 これからしばらくは厳しい暑さが続きそうである。精神的余裕をもたなければ、乗り切るのは辛いだろう。やはり、どのような状況になっても楽しめることが大切だと思う。楽しさにもいろいろあるが、その人のセンスで、キビシイ暑さを助け合いながら、暑さと仕事に追い込まれないように生きていこう。

 右手首の激痛が日に日に和らいできた。ある企画が迫っているため不安でしょうがなかったのだが、連日氷で冷やし安静にしているため、昨日、一昨日に比べるとはるかに良くなってきた。しかし油断はできないため当日まで、冷やして安静にするしかない。得物に触ってないのは不安であるが、抑えていたぶん当日はカラダが活き活きしだすだろう。

 会話の中での笑いや、聴こえてくる好きな音楽はココロとカラダをほぐしてくれる。ツライ環境でこそ価値観をコントロールし、サラっと乗り越えていかなければ取り残される厳しさも日常には隠れている。自分のステージでベストを尽くせるために、そこにもっていくために、自分なりの楽しさであったり、癒しであったり、前に向かっていける喜びがたいせつなのかもしれない。
 
 自分の本気になれるモノ、その環境(ステージ)を守りたい。


2013-08-10(Sat)
 

習慣と結果

 武術稽古をしていていつの間にか身体の変化や新しい感覚に気づかされることがある。

 一ヶ月ほど前に、ブルース・リーのトレーニングの写真で両手を肩幅より広げ懸垂のようにぶら下がり、肘をやや曲げ足を90度上げ真っ直ぐに伸ばしたまま平然とした表情でおこなっている姿があった。試しに真似をしてみようとロフトに指先でぶら下がり、両腕を広げ肘をやや曲げ足を90度上げ伸ばしてみたところ、特別むずかしいことはなく20秒ほどその形のまま出来た。なんだ、これは誰でも出来るのかと知り合いに何人かやってもらったところ、皆出来なかった。べつに自慢するつもりでもなく、なぜそういった特別なトレーニングをしているわけでもないのに、出来たのかが自分自身驚いたのである。そういえば以前、忍者のIさんの道場で、壁から天井中央部に向かって斜めに建て付けてある柱を腕だけで上がり、なんだか身体が軽かったので頭を真下に逆さまになりながら腕だけで降り、皆が驚いていたことがあった。このときも、初めてやったことで特別むずかしいとも思わなかったのだが、私自身痩せ型で特別力があるわけでもないのだが、唯一考えられることは、この4年間人の3倍は剣術稽古に取り組んできたからだと思う。そしてその中でも特に体幹部の使いかたを意識して取り組んだことが要因のひとつであろう。そして今年の4月頃から脚足の使い方が剣術や抜刀術、杖術において大きく変わった。

 原因を紐解くと、甲野先生の屏風座りにおける、深く下がった位置から腰を立てた時の脚足から腹にかかる力の方向に気づき、その感覚を元に剣術での立ち方が、内側に集まるハ之字となり、常に縦方向の力を使いながら踵が上がりにくく上体と下体の纏まりを実感しやすくなった。というより制御しやすくなった。そしてこれは、歩く際にも走る際にも、アソビがとれるため、タッタッタッタ、と自動装置のように進むことが実感できる。おそらくこの身体の使いかたが全ての稽古で自然に運用されるようになると、体幹の働きがさらに変わってくると思う。

 懸垂のぶら下がりはしばらく面白いのでやっていたが、やはり身体のバランスが崩れ、可動域に詰まりがでて、杖術の稽古などに影響が出てきたので止めた。関節周辺、特に肩甲骨や股関節など可動域が広い部分に関わる筋肉の必要性はさまざまに考えなければならない。無駄に時間を過ごさないためには、余計なものに掛ける時間を無くし、せめて減らし、身体からの結果をより良く更新できる習慣にしたいものである。


2013-08-09(Fri)
 

縁と流れと行動

 この数日間、フシギな流れがおとずれている。まさに急流に流れ着いてしまったようだ。何かが起こるとき、起こすときというのは、こういった流れに自分の人生が溶け込むように入っていくのだろうか・・・・・・

 今までの流れ、出会っている人との縁や、ふだん意識していない日常の想いなどが、突然の偶然を繋ぎ合わせる。そしてその連鎖は、行動を形に出来るものだと経験上から知っている。私にとって八月というのは昔からそういう突然の出来事が起こるのである。こういった時はやるべきことが明確になっているので、自分でも驚くような行動力と情熱に動かされている。もっとも、私の日常生活はこうした自分のやりたいことを何よりも最優先で実践するための環境にしているので当然のことなのだが、そのぶん犠牲にしてきた部分は少なくない。

 ただ、こういう時に限って不安材料というのが付きまとってくる。先日無理をして痛めた、右手首の捻挫である。ふつうに稽古してれば痛めるはずはないのだが、ちょっと無茶というか、負担が掛かりすぎる動作をピンポイントでやり過ぎてしまったための故障である。おそらく、体幹部のエネルギーの使いかたや、身体を纏めて使う操法などが、初動におけるエネルギーとして以前よりも強力に負荷が掛かりすぎた部分もあるだろう。抜刀も技によっては激痛が走るので、しばらくは脚足重視の稽古で、ふだん意識できてない部分の感覚を、正確におこなえるかを稽古するより仕方がない。

 だが、早く右手首を治さなければならないので安静に冷やし続けるしかない。


2013-08-06(Tue)
 

技に完成形は無い

 本日の稽古は敢えて居合刀一本だけを持って行き抜刀術稽古に専念することができた。

 ほかの得物を持って行くと、少しだけと、ついやり過ぎてしまう恐れがあるため、それがパターン化している感があったので、今日は最初から最後まで抜刀術に集中した。

 私の抜刀術の原型は、S師範が松聲館初期の頃稽古されて自得したものを伝えられたものであるが、現在では、名称はそのままであるが、かなり私自身の身体の使い方が変わってきたために、当時の身体の使い方で抜いている抜刀は無くなってしまった。そのため、あまりにも身体の使い方の変化が見られるものについては名称を変えざるを得なくなってしまったものもある。また、それとは別にまったく新しいオリジナルな抜刀が生まれたりもしている。

 そういう意味では、全ての稽古もそうであるが、抜刀術についても「技に完成形は無い」のである。それは、学んだことや、気づいたことから起こる身体の微妙な操作が生まれ、感覚が芽生えると、その感覚をどのように取り扱うかを考えるからである。そういったことが、何から得られるか人それぞれだと思うが、私の場合は特に剣術である。だからこそ、稽古に飽きるということは無いし、稽古以外の時間でも常に潜在意識の中に、感覚と操法についてどこか考えている部分がある。道場での稽古はいわばその発表会みたいなもので、武術稽古の面白いところは、その身に付けた感覚や操法というものは、なかなか忘れないものである。それは、カラダの器用さとか運動神経ではなく、脳と身体との関係性であると思う。だからこそ、稽古時間以外でも、頭で意識しておくことは大事なことであろう。

 向かえ身の操法では、身体の回転をエネルギーにするのではなく、重力を用いた縦方向のエネルギーや前方への移動エネルギーを使うこと。そのために脚足の使いかたから自分なりに組み替えて、この方向性に間違いはないと実感している。しかし、これからもまだまだ、方向性に対する条件に妥協することなく、壁にぶつかりながら乗り越えていける稽古にしていかなければならない。


2013-08-02(Fri)
 
プロフィール

金山孝之


       金山 孝之
   Takayuki Kanayama


松聲館 剣術技法研究員

金山剣術稽古会主宰

Gold Castle
殺陣&剣術スクール主宰

高齢者のための剣術教室
クラーチ剣術教室講師


――――――――――――――

1975年生まれ
福岡県 北九州市出身
東京都 世田谷区在住

1999年
映画監督中田秀夫氏との出会いにより俳優デビュー。他分野では、マンダムのモデルや舞台のプロデュース公演などの活動をおこなってきた。

2006年
小林照子先生とのご縁から『 からだ化粧 』のモデルを務める。

2009年
武術の道を志しそれまでの活動を一新し武術稽古と研究に励む。

2011年
武術研究家甲野善紀先生に師事し身体の使い方を研究しながら、『 抜刀術 』『 剣術 』『 杖術 』『 体術 』などの稽古と研究に取り組んでいる。また、先生の書籍、番組撮影、記録映像、その他演武等における打太刀や受けを務めている。

2013年
刀と身体操作の技術向上を目指し裾野を広げるべく
『Gold Castle 殺陣&剣術スクール』を立ち上げる。

2014年
甲野善紀先生より
『 松聲館 剣術技法研究員 』という名称を頂き、自身の経験を活かした指導法を各道場等でおこなっている。
 
高齢者向け住宅にて
『 高齢者のための剣術教室 』をおこなっている。

日信工業株式会社の製品「SAMURAI BRAKE」のプロモーション活動をおこなっている

2015年
『 GM happy コラボレーション 』と題し、ジャンルを問わず定期的にゲスト講師をお招きし、特別共同講習会を開催している

『 金山剣術稽古会 』を立ち上げ、現代における武術稽古の必要性を、身体と心で学べる場として活動している。

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ご質問や、稽古参加希望の方はこちらの【 お問い合わせ 】よりご連絡下さい。

その他ジャンルを問わずお仕事のご依頼や『 剣技指導 』などのご依頼も受付けておりますのでこちらの【 お問い合わせ 】よりご連絡下さい。

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