2013年5月 武術稽古日程              (剣術・抜刀術・杖術・体術)

稽古見学、または参加希望の方はこちらのブログの【お問い合わせ】よりご連絡下さい。

5月3日(金) 16:30~ 高田馬場 


5月6日(月) 16:30~ 高田馬場


5月10日(金) 16:30~ 高田馬場


5月13日(月) 16:30~ 高田馬場


5月17日(金) 16:30~ 高田馬場


5月日20(月) 16:30~ 高田馬場


5月24日(金) 16:30~ 高田馬場


5月31日(金) 16:30~ 高田馬場


※稽古時間は都合の良い時間帯内(16:30~21:00の間)で構いません。もちろん最初から最後まででも結構です。前日までには希望日時をメールまたは、お問い合わせフォームよりお知らせください。

※稽古場所の詳細や稽古内容、稽古時間のご相談、稽古費用や道具類その他のご質問等につきましてはメールまたは、お問い合わせフォームよりお受けいたします。


2013-04-30(Tue)
 

気づきという源泉

 ゴールデンウィークは連日の対人稽古となっている。今日は何年ぶりかにO氏と武術稽古をおこなった。

 私よりも体格がよく、さまざまな格闘技や武術をやってきており、身体能力はかなり高いだろう。そんなO氏と武術稽古ができるのは願ってもないことである。

 まず杖術からおこなう。身体能力と理解力が早いので、チョットしたアドバイスでどんどん身体がまとまってくる。その変化の実感に納得してもらえたのではないだろうか。私自身、出し惜しみなく持ってる材料を全て伝えるので、数年ぶりということもあり、とにかくしゃべり過ぎてしまったような気もする・・・・・・

 O氏との稽古で実感したことは、身体というのはやはり下体が強くなければならないということ。上体が強くなり過ぎると、下体の強さが弱まり威力が失われてしまう。起こりという面においても、アソビをとり上体を抜くことで、相手の力に対して透していける感じが生まれる。これは、私より体格も力も勝っているO氏だから感じとれたことだ。しかし、O氏の身体がまとまり、下体の強さが活きてくるようになってくると、かなり苦戦するだろう。O氏とともに私も成長しなければならない。

 剣術においては、袈裟に斬る剣の操法がまったく変わってしまったので、どのように伝えればいいのか極めて難しいのだが、とにかく私が振って見せて意味を説明するしかない。まず、私の袈裟斬りは、完全に向かえ身であり、エネルギーは腹を中心に上下に使っている。そのため、足の開き具合や、歩幅というものは、浮きをかけられる自然な位置としているため、あまり細かく決めないことにしている。ここであらためて気づいたことは、柄を離して持った場合、向かえ身で小袈裟に斬り下ろすと、どうしても左腕が邪魔になり斬り下ろせないのである。示現流の場合、左腕は鳩尾あたりにくっつけたまま、右腕で投げるように押し斬りに斬るのである。これにより、左腕が体幹部にくっついているため、遠くへ斬り下げても、体がく之字に折れることなく、体幹部の強さが剣に乗るのである。柄を寄せて持った場合、両腕が体幹部の近くにありながら斬り下ろすことが可能であるため、押し斬りにせずとも、刀の反りを活かした自然な引き斬りにより、刃物が自然に斬れる軌道でさらに体幹の働きと、向かえ身による脚足からの浮きが、一見手だけで振っているように見えるこの袈裟斬りだが、身体をまとめるためにカラダ中を総動員させているのである。すなわち、柄を離して持った場合、小袈裟に引き斬りで斬り下げた場合、左腕が体に当たらないためには体が開かざるを得ないのである。上体と下体の力配分が、柄寄せ持ちと柄離れ持ちではおそらく随分違ってくるだろう。剣から体術に移り変わる場合、どのような操法でなければならないかを、身体と得物を通じて感じ取らなければならないと思う。

 抜刀術では、さいきんの自分自身の抜き方が、脚足の使い方による重心移動にともなうハナレのエネルギーを重点的に意識しているため、体の開きによる鞘引きというものを、稽古に取り入れることにかなり苦慮したが、今出来ることから順に進めていくしかないと思い、鞘引きから体の開きによる重心移動でハナレをつくる稽古をおこなった。それから、膝の内抜きによる横への重心移動にともなう抜刀も説明したが、まだ危険な気がしたので、木刀による胴斬りをおこなった。半年前までは、指導に対しある段階的マニュアルみたいなものが経験から生まれてきていたが、現在は、私自身の通ってきた段階をそのまま伝えても、その使い方の変化に、混乱せずに短期間でついて来れるかと言えばおそらく混乱させてしまうだろう。だから、今はなるべくわかり易く、現在私がおこなっているまたは、気づいて実践しているものを、いきなりやってもらっている。これは、武術に真剣に取り組んで、身体の使い方に興味がある人なら、間違いなく納得してもらえると思う。

 そして、先日感じた水を掻く原理で、その得物やその軌道に最適な力加減でもって、起こりを消し結果的に速さが生まれるかというものをテストしてみた。軽いスポンジのような短い剣を片手で水平に持ち、それに対し、木刀にて脇構えからかわされずに打つことが出来るかというものである。これは、打つ方、かわす方、共に起こりを消す、起こりを感じるという稽古としては非常に高めることができると実感した。必要以上に力を入れず、最適な配分で、そこに運び込む感覚。自分でもいつおこなうかわからないように自分を騙す気持ちで特別何も意識しないこと。この稽古は、まだまだ進展する可能性があるので、次回の稽古が楽しみである。

 これからの稽古において、縁がある人とどのように出会うことになるのかわからないが、その出会いの流れは決まっているのかもしれない。知らず知らずの内にひとつひとつの選択が、自分の道を決め、その道で出会う人と共に進みたいと願っているのかもしれない。温泉に湧く源泉が枯れないためにも、商売のほう(お金や人気)に情熱が移り変わり、源泉は枯れてしまっているにもかかわらず、湯を沸かし色をつけ効能を語り(あくまでも例えであるが)・・・・・・そのような間違ったヒラメキや気づき方にならないように、現在の学んでいる環境、人々とともに、武術稽古から湧き上がる源泉を枯れさせないように精進したいと思う。


2013-04-30(Tue)
 

水を掻く原理

 今日はA氏との研究稽古であった。ゴールデンウィークの日曜日であるがなんとも清々しい天気であった。気のせいかもしれないが、日曜日らしく感じられる景色の色を感じてしまう。

 密度の濃い稽古であった。まず、杖における現在の身体の使い方の説明と実践。居着きを消すには軸足が無防備であってはならない。初めから終わりまで、移り変わる軸足とともに腹に意識をおいた、浮きが重要である。この操法は半年前の自分とは全く別物であるため、杖における稽古内容も、稽古指導もずいぶん変わることになる。これは杖術にとどまらず、。抜刀術でも剣術でも同じ操法である。この中心部(下丹田)のまとまりをどう扱うかということが、現在の私の核となる部分であり、おそらくこの部分に関しては変わることはないだろう。

 居着かず焦らず滞らず水を掻く原理で、相手と馴染むように間合いから速さから力加減を自然に最適となるようにおこなう。むずかしいテーマであるが、このことに気付いたのは、真剣での袈裟斬りによる素振りからで、その力と刀の関係から、水を掻くようにかき回す感覚が沸き起こり、己のみの速さや力だけでは思うように動かせないことに気付いた。重心の崩しや、構造的による関節の崩し、とは違う、浸透した最適な加減というものがあるように思えた。人体の60%~70%は水分であるため、その水分と水分をどのように浸透させ、最適な加減を、構造と技術で扱えるかということが、大きなテーマであるが、私が実感として気づいたキッカケである真剣からの感覚にあるように、真剣でなくとも、剣術稽古や杖の稽古でその感覚に近づけるのではないかと思っている。

 組杖稽古で私自身「そう変わってきたか」と実感できたのは、ある型において予測した現象を再現しようとしないことである。予測通りになればそれはそれでいいが、事細かに、間合いや歩数、突きの角度まであえて決めていないので、その状況に応じて居着かず焦らず滞らず自然に自分がどう動いたかということが重要で、そこに対する意識が自然にできていた。これは、杖の稽古でまさに居着かず焦らず滞らずに連動性を持ち続けおこなったことが身体に記憶されていたのだろう。もちろん、そのための脚足の使い方というものがもっとも重要な点ではあるが。

 抜刀術においては、左脚が前に出る「抜き付け」である。これは鞘引きをしようと鞘を前に出すと危険であるし、鞘を割る可能性もある。右脚を支点に踏んだまま左脚が前にでても斬撃力は全く生まれない。かといって左右の差し替えになってしまえば、速さはでるが、抜き付けというよりは斜刀になるだろう。この最近の「抜き付け」は、重心が前方に移動するのと、身体が沈み込むのが同時におこなわれ、その斬り終えた残心の姿は、まるで猛禽類が得物に襲い掛かかる直前に頭を下げたような格好である。

 「趺踞」からの抜刀も、腹の感覚を練るのには有効な稽古である。さらにタオル抜刀(右手でタオルを落とし床に着くまでに抜刀して打ち当てること)で実際に抜刀しなくても、タオルを持つことで、そこから抜刀が成功する準備を身体が整えようと細かく動き出す。呼吸も薄く小さく無意識の内に変わっている。これは極めて身体から引き出す感覚を掴むのに良い稽古だと思う。実際に、抜刀で成功したのは数えるほどしかないのだが(以前公開されていた動画にあったのだが、現在は削除されてしまっている)とにかく、趺踞からタオルを手首で上に投げることなく、ただ摘んだものを離してから抜刀するのは他に成功した人を見たことがない。もちろんやろうとする人もいないだろう。ただこれは、現在の身体の使い方を検証するためのひとつの手段であり、これを成功させるための稽古にしてしまうのは本末転倒になるだろう。ただ、繰り返して言えば、タオルを持つだけで身体があちこち調整をし始める。

 剣術ではA氏のおかげでいろいろと検証することができた。まず、下段からの表交差と裏交差による間合い感覚の違いである。人間は危機感の度合いで間合いの遠近を感じるのではないだろうか・・・・・・
 
 鍔競りからの胴斬りにおいては、思っていた以上に有効であった。圧力を変えずに、近間だからこそ相手から見えない脚足の使い方がこの場合効果的であった。重心移動にともなう胴斬り(横斬り)が体幹の威力とともに、相手の間合いから外れながら斬れることも分かった。

 このようにさまざまに検証できた稽古であったが。いちばんの収穫は、現在おこなっている研究稽古の方向性と内容が、こういった使える人との久しぶりの稽古でも生きてくるということが実感できたことだ。

 形をなぞるのではなく(初めはそこから入ってもいいが)自分の身体と向き合って、探し出せていけるようになると、稽古の進展と楽しさが格段と上がるだろう。私自身、まだまだ気づきもしない身体の使い方や、原理など、どのようにして自分の身体に取り入れるか、道は果てしなく遠いが、その道しか見えていない。


2013-04-28(Sun)
 

透明度を上げる

 去年の5月に急性腸炎になり、一週間下痢が止まらず外に出て歩くことすら力が入らず大変であったことがあった。このときに感じたことは、筋肉や骨であれば少々の不調は、気持ちまで奪われることはないが、内臓系(おもに胃腸)の不調は、まず気持ちから根こそぎもっていかれる感じがする。

 今でも覚えているのは、復調して稽古をおこなったときに、確か5時間ぐらいの稽古だったが、最後の2時間は槍術と薙刀術の型稽古で、2人を相手にブっ通しで打太刀と仕太刀をおこなっていたのだが、今までにないほどの体力で、相手の稽古生二人はヘトヘトだったのだが、自分がなぜ疲れないのかその時はふしぎであった。

 とにかく腸が悪いときは、歩くのも疲れ、「腸が調子悪いとこれほど弱くなるのか」と、思い知らされたのだ。であれば、「腸が元気であれば活力は凄いのではないか」と思ったのである。

 今年の春あたりから「腹」を感覚的に意識するようになった。その意識は、腹に集中することで、その他の部分まで敏感になることが分かった。また腹圧などをかけることで腸の収納環境を整えることや、長年動かしていない部位の癒着を剥がすこともあるように思う。

 食事に関しては、数年前からアルコールに対してかなりの嫌悪感があった。その当時は、体にとってというよりは、アルコール摂取後の、数時間を犠牲にしてしまうからである。人それぞれの生活スタイルがあるので、そのあたりのことは良いとか悪いとか別にして、私自身としては、お酒でストレス解消などありえないし、「あぁ、今日はもうあれとあれとあれは(身体への負担や正常な価値観の問題などから)諦めよう・・・・・・」となってしまう。

 そんなふうに思うようになって、アルコールが駄目な体質に変わってきたのである。以前までは平気だったのだが、ビール一杯で気分が悪くなってしまう。もちろん食事をしながら少しずつ飲んだのだが駄目であった。これで、私もお酒が飲めない人の仲間入りとなれた。

 食事をする前の体内の状況というものにも考えるようになった。空きっ腹にアルコールを飲むと、すぐに酔いが回ってしまうのなら、空きっ腹に栄養価の高い体に負担のかからないものを取り入れれば吸収率はグンと上がるのではないかと考えた。そうなってくると、「そうか、空き腹というのも効果的な食事における段取りとして重要なことなんだ」と理解し、空腹時における感覚の変化や、動物の本能としての感情の変化、そういったものを感じとりながら、食事内容も白米から玄米になり、なるべく油っこいものは避け、瞬間的な満足感より、ジワジワと訪れる満足感とともに、体内への吸収による変化など感じ取るようにすることで、身体の透明度が上がってくるように思われる。そうなってくると、ちょっとお腹が空いたから間食しようなんて、段取りをブチ壊すことは自然とやらなくなってくる。食事に直結する胃腸系の管理は、なかなか難しいことだが、身体の透明度が上がってくれば、自然と取捨選択されてくるように思う。世の中の誘惑と、社会の無言の強制に、真実の見え方が濁らないようにしたいものだ。


2013-04-28(Sun)
 

DVD 甲野善紀 技と術理 2013

 5月13日に『夜間飛行』から甲野善紀先生の今年撮影されたDVDが発売されます。

 【DVD 甲野善紀 技と術理 2013】

 詳しくはこちらに記されております
 http://kono.yakan-hiko.com/

 このDVDでは私も「受け」で参加いたしました。なんと言えばいいのか、武術を始めて間もないころ、甲野先生の著書や、映像を拝見し、遠くの別世界の空間に思えた松聲館道場に、初めて訪れることが出来た日の緊張と感動は生涯忘れることはできないだろう。そして、今回はDVDに私如き未熟者が恐縮の極みであるが、受けの一人として参加させていただくことは誠に光栄なことである。

 その予告編がいくつか配信されてます
http://www.youtube.com/watch?v=K4yaBnQzAXQ

http://www.youtube.com/watch?v=juFYEPNKasA

http://www.youtube.com/watch?v=XuuWbL6YusA

 ふりかえってみると、役者であった自分が今は100%武術のことを考え、その道を進み続けている。人生というのは本当に解らないもので、フトした時に頭の中に今の自分にとって的確なコトバが浮かんでくることがある。その時に、なぜあのときあのような判断をしたのかとか、近年の出来事だけでなく、幼いころからの悩みや疑問などが氷解してゆくように、スッキリと解決する。そういった導きや解決やヒントとなるコトバが浮かんでくるようになったのは、武術稽古を始めてからだと思う。何かそういった回路のようなものが、身体や環境空間などから教えられ、最後に気付かされるように変わったといえば大袈裟かもしれないが、おそらくはどこかで潜在的にずっと考えているのか気にしているのだろう。そう考えるとそれぞれの分野の職業の人も、それぞれの回路が発達していて、その瞬間的に浮かぶヒラメキに助けられていることもあるはずだ。それはやはり、潜在的に考えていること、気にしていられることが重要で、情熱をかけ続けられるものや夢中になれるもの、好きで好きでしょうがないものということが、重要な要素であると思う。

 武術稽古と同じように、ブログの内容が予定していた通りでなく(あまり予定もしてないが・・・)、書きたいコトにすぐ移っていってしまうクセではあるが、生き方においても、これから変わっていくものと変わらないものを自分で導いたコトバから実践し、それが自分自身にとってどのような生き方になるのかひとつひとつ精進していかなければならない。

 武術稽古というものを、私自身5月13日に発売されるこのDVDを見て学び考えたいと思う。


2013-04-22(Mon)
 

「抜き付け」の変化

 今日は抜刀術の稽古を重点的におこなった。なかでも、「抜き付け」に大きな進展があった。

 今までの抜き付けでは、鞘引きと左半身の開きが抜刀のエネルギーの要であったのだが、今回フト甲野先生のように、左足を前方へ出しながら抜いてみた。今までは、まともに抜刀できる気がしなかったため、何度か抜いただけで終わっていたのだが、今回は、切っ先の走りと身体のまとまりを感じ「アレっ?」と手掛かりが見えたのである。

 まず、私の最近の抜刀時における脚足の使い方が変わったことが大きな要因であると思う。そのキッカケが映像リンクにある抜刀術5本目の「逆手前方抜き」での初動にある。その使い方は他の抜刀においても、速さとまとまりに実感が得られ、抜刀のエネルギーが、体の開きによるものより、脚足による重心移動と体幹の働きに変わってきたようだ。

 今回の「抜き付け」の変化に極めて近い脚足の使い方が、最近腕に頼らない抜きを実感できた「一之祓い」という抜刀術である。とくに私自身、その場で抜くことが生理的に抵抗を感じるようになってきたので、重心移動とともに抜刀をおこなうにはどうすればいいのかを考えて取り組んでいる。

 この「抜き付け」は、左足が前に出ることにより、間合いがとれる(間を詰められる)ことと、離陸による体幹のエネルギーを切っ先の走りと斬撃力に使えることが、今までと違う点である。つまり、「一之祓い」もそうであるが、体幹移動が斬撃力の最大の要因であるため、ブレーキとなる鞘引きはおこなっていない。そのためにあまり鞘を前に出さない構えであるのも特徴と言えるだろう。現時点では鞘引きをおこなっている抜刀術もあるが、今後身体の使い方の変化に応じて変わってくるかもしれない。手之内のみの鞘引きであれば、移動エネルギーに抵抗しないだろう。

 集中力が高まり、一時間ほど、さまざまに点検をしながら抜いてみた。やはり、以前の抜き方と比べて圧倒的に速さと威力を感じる。(私自身の未熟さもあるとは思うが・・・)しかし、始めは違和感のあった斬り終わりの形(残心)も、細かな修正やまとまりを意識することで、違和感がまったく無くなった。

 一つだけ気を付けなければならないのは、体が出来てないうちはあまり抜かないことだ。瞬間的に凝縮させるエネルギーが発生するため、身体への負担が大きい。今日は嬉しさと確認のため、一時間ほど(おそらく2、30本ぐらい)続けてしまったが、ほかの稽古内容と合わせ、現時点では一日5本ぐらいにしておいたほうがいいだろう。

 今日はそのような実感ある進展があったため、ここで稽古を終了した。この感覚を今夜一晩寝ることで、どのように身体に記憶されるか、次回の稽古にて確認したいと思う。


2013-04-19(Fri)
 

胴斬り

 今日は木刀での左右の袈裟斬り稽古をおこなっていたときに、フト胴斬りを試してみた。

 剣術を始めた当初は、当時の師範から鹿島神流の組太刀などずいぶんと教わることができた。その中で、鹿島神流の木刀である、鍔の付いた太い直刀を用いての基本組太刀(袈裟斬り、斬り割り、割り突き、位太刀、足払い浮船)や、袋竹刀を用いての組太刀(裏太刀、実戦組太刀、合戦組太刀、相心組太刀)など合わせると、剣では40手ちかい技を学んだ。

 しかしながら、殺陣の稽古や他流の方とのかつての稽古の中で、胴斬りをおこなうことがしばしばあった。私はこの胴斬りというのがいまいちシックリしないまま見過ごしていたように思う。それは、私が学んでいた鹿島神流系の剣術稽古では、袈裟斬りや籠手斬りはさまざまにあり、しかも続飯付けといって相手にくっついたままネバリを掛けつつ崩し(潰し)てゆく。袈裟斬りにしても実際には寸止めのところで相手に降伏の機会を与えているし、籠手斬りにしても、刀の峰を返して打ちつけている。また合戦組太刀では、鎧などの防具の隙間(喉元や脇の下など)への突きを寸止めでおこなっている。潰し技や投げ技にしても最終的には、相手に対して降伏の機会を与えているのである。これが鹿島神流の「包容同化の精神」である。

 私が思うに胴斬りでは、間合いが近くなるため、相手に猶予を与えている間がないのではないかと考える。(唯一学んだのは、抜刀してからの「祓い太刀」である)

 そういった経緯からこの胴斬りについてはあまり深く稽古をしていなかったのである。他にも理由があって、胴斬りといえば殺陣の手でよく目にするので、そういった殺陣的な胴斬りのイメージが頭にあったこともやらなかった理由のひとつかもしれない。

 だが、今日の稽古で私が学んでいる稽古の流儀から、ピタリと当てはまる胴斬りが生まれた。それは、膝の抜きによる重心移動、そして体幹部のまとまりと、居つかず支点を作らない体捌きである。これは、胴斬りという名の、横方向への重心移動のよい稽古になると思う。まだ生まれたばかりなので、刃筋の正確さと、斬れる軌道の研究も習得しなければならない。だが、この胴斬りという、切実な状況から瞬時に起こりなく(せめて小さく)身体と刀が横へビュンと移動しなければならない。だから、この胴斬りは実際に斬らなければ自分が死地に残ってしまうのだ。

 この横方向への膝抜きによる重心移動は、考えなくても自然にそうなるように、今までの使い方がガラリと変わるように、完成度を上げていきたいと思う。そうなることを想像すると、ワクワクしてくるし、実際に稽古をしてみて、通常足を出して軸足を回収するのとでは、速さとまとまりが全然違うので、体感的にも何度でもやりたくなってしまう稽古である。

 この胴斬りの状況設定は、打太刀は上段または八相、仕太刀は左右共に袈裟斬りができるように、左右とも肩に担ぐ感じに、剣をあまり寝かせず肩に付けずに構える。打太刀が、真っ向斬りもしくは袈裟斬りに踏み込んできた際に体を沈めつつ同時に膝を抜いて重心移動をおこない横方向(もしくは、やや斜め方向)へ身体と刀が共に移動してゆく。
 あるいは、鍔競り合いから剣が離れた瞬間におこなうこともありうるだろう。

 このところは、杖術と抜刀術がメインとなって研究していたので、剣術のほうでも現在の身体の使い方のテーマに沿った操法を追求していきたい。杖もそうだが、剣においても、カラダが置いてきぼりになるような操法は死地に居残ってしまうため極力避けなければならない。
 

2013-04-16(Tue)
 

18歳の頃よりも

 杖の稽古を一時間ほぼブッ通しでおこなった。日によって集中してやりたい稽古内容が見つかる。毎回だが、稽古に入ってみないと自分のその時の興味がどこにあるのか自分でも予測できない。

 今回は杖である。新調した道着からの藍染の色落ちがまだあるが、最初に比べればはるかにマシになった。白樫の杖がそのうち藍色に染まるかもしれない。

 杖稽古では、ゆっくりと同速度で連動しながらカラダのまとまりが抜けないようにおこなう場合と、相手を想定し、面や胴に籠手などを狙った打ち込みや突きによる実戦感覚での動きや、杖の遠心力や慣性に極力逆らわず、身をあずけて我を出さずに動いてみることなど、さまざまな操法でおこなっている。大切なことは全体が動き続けることにある。

 今日はそんな中、新たに連動性のある技が生まれた。これは完全に、身体の連動性を模索している最中にパズルのように突然組み合わさり生まれたのである。手の内がどうなっているか、どのように繋がっているか、考えながらではなく、勝手にそこにおさまってしまうような動きの相性というか、再現性のある感覚が手に入った。しかし、左右対称にやろうとしても、反対に持ち替えるとまったく出来ない。気持ちがよくないのでやろうという気にならない。

 そして、今さらながら気がついたのが、極力肘が張り出してはいけないということ。手之内や手首の使い方により、肘が張り出さず、つまり肩が上がらずに突きや打ち込みをおこなう必要がある。これにより、起こりが小さくなり、疲労度もあきらかに激減してくる。細かいセンサーを兼ね備えた強靭な身体を身につけるには、抜刀術もそうだが、この杖術においても、稽古のしかたでカラダが変わってくるだろう。

 話変わって、今年に入ってからたまに垂直跳びをおこなっている。ほんの数回だが、今のところ63㎝である。18歳のころ体力測定で40㎝ぐらいだったと思うので、あれから20年経って約20㎝高く飛べるようになったのは、武術稽古以外何もやっていないので、稽古で身についた体の結果なのだろう。誤解されないように説明しておくが、私がおこなっている武術稽古において蹴ったりジャンプしたりする身体の使い方はしていない。では、なぜ記録が伸びたのか推察するところ、今年の1月に初めて飛んだときに50㎝ぐらい飛べたので、しばらくすると55㎝になり、3月には60㎝に達し、今日63㎝となった。最初は、身体が慣れないため、首や背中が痛くなってしまったが、そのうち、空中でも乱れることなく真っ直ぐにまとまって飛べるようになった。そもそも、チョットやってみようと思ったのは、浮き(離陸)の際の脚足の力と、剣術で身につけた体幹の強さとまとまりを検証できるのではないかと漠然と思ったからで、個人の研究稽古を進めていく中で、先に述べた二つが私のおこなっている流儀には欠かせないものだと理解し、それらを練るための稽古内容にしているので、その結果が垂直跳びに反映されていたのには正直嬉しいことであった。

 次の目標は70㎝だが、ジャンプの練習は一切せず、武術稽古で身体を練った確認として、10回程度飛んだ中でどれだけ伸びたかチェックしていく。一番飛べるのは、最初から5回目ぐらいであとは伸びない。余計な筋肉を付けたくもないのでたまにやるのがいいだろう。しかし、わずかでも滞空時間が長く感じられるようになったのは気持ちがいいものだ。蹴ったり飛んだりすることを禁じている身体の使い方が逆にジャンプ力を上げてしまうという面白い結果であった。

 18歳のころは、ボクシングをやていたので、体力測定において際立っていたのは、反射神経のテストと、片足立ちでのバランステストは今でも驚かれていたのを覚えている。だが、この二つはおそらく今のほうがもっと良い結果が出るだろう。しかしながら圧倒的なものを身につけるには、あと何年何十年かかるか判らないが、武術稽古に精進していかなければならない。楽しいということがなければ(楽しさの種類がさまざまにあるが)身体は受け入れてくれないし、そのような工夫や環境づくりが必要でもある。

 
2013-04-13(Sat)
 

日常に潜む光と影

 環境によって自分がどのように振舞えるかが重要であると感じた。自分にとって足を引っ張る自分にならないためにも、環境というものに対するこだわりを持つことが極めて重要であると理解したのである。

 なぜなら、自分自身が常に滞ることなく変わってゆかなければならないからである。それは、日々何かを発見し吸収し排除してゆくという、自分のなかにある容量のなかで取捨選択しながら循環し進んでいかなければならないからであり、いつまでも、過去の生き様から停滞した発想では時間に取り残されるだけであろう。

 だからこそ、時間という現実的で冷酷なものを相手に生きてゆくには、日々の身体と心の新陳代謝が重要で、みずみずしく生き抜くためには、逃げず誤魔化さず、雑音や誘惑に貴重な時間を割かれないように、己の環境を徹底することが現在の私にとっての、武術の道であるように思う。

 そのことについて、迷いなくスッキリと整理することができた気がする。

 今日は、西日がとても美しく感じられ、なぜだか眩しさを感じることなく、真正面から浴びつづけた金色の光をしばらく見つめながら、一昨年京都の鞍馬神社の境内で見たあの光を思い出しながら、心がスッカリ洗われたような気分になり、自身で決める環境の大切さに気がついたのであった。

 陰と陽の関係性のように、光があって影がある。それは必ずそうであり、常になにごとにも紙一重のところで、光になったり影になったりするという、時に残酷な試練が待っている。だが、その紙一重は己の行動の結果でもある。その関係性から逃れることは決してできない。だから、精進することがみずみずしく生きてゆくためには重要なのだ。


2013-04-07(Sun)
 

身体と精神のつながり

 前回の稽古に引き続き、今日も「腹」の意識と「軸足」の使い方(準備の仕方)を取り入れながら稽古をおこなった。

 日常において、腹の意識はなかなか難しい。今まで何も意識していなかったならなおさらだ。だが、抜刀術では、腹を実感することが出来る。前回も使った言葉だが、身体各部分を統合する感覚であり、刹那にかける不安定極まりない身体と精神をあずけることができるというか、ある部分を意識することで精神の集中と身体のまとまりが起こりうる気がするのである。今現在いろいろと感じることがあるが、それらは気のせいかもしれないし、思い込みなのかもしれない。だけど、「もしかして!」というような感覚はいくつか感じるので、今はその感覚を追い求めていくしかない。とくに感じるのは、意識からなる身体の変化があるように感じる。感情によるコントロールではなく、身体のある部分と、精神のある部分を通すということ。イメージするなら、拳銃のフロントサイトとリアサイトを合わせるような感覚。あくまでも仮説だが、感動したり恐怖したときにおこる鳥肌のように、ある意識のコントロールにより、喉元あたりからスゥーっと腹の下あたりに流れが感じられないだろうか。そしてそれを感じたときには、視界がクリアに感じられ、気持ちが穏やかに清々しくなり、肩回りがフワっと軽くなると同時に肩回りから流れを感じないだろうか。

 具体的な仮説になってしまったが、実は近い感覚があった。おそらく思い込みや気のせいだろう。だが、この時に感じたことは、技に応用できるかわからないが、この感じはきっと体にいいだろうなと実感した。そう、今までは身体のことに意識が集中していたが、心がどのような状態にあるか、という部分も感覚的に位置があるように思ったのである。しかし、あまりこのような分野に深入りしそうになるのは、私自身の武術の方向とは異なってくるので、あくまで、技に関する身体のつくりかたの研究として、気づいた点である。

 今日の稽古では抜刀術の「趺踞」に進展があった。この座りでおこなう極めて不安定な状態からの抜刀は、初めは構えるだけでも大変だが、そこから抜き始める初動がじつに悩ましいところである。

 しかし、腹の意識とある点に向かって内側に浮きをかけることで、身体がまとまり、初動に入る準備が整っているのを実感した。抜刀でも問題なく、この腹の意識がどう作用しているのか判らないが、気のせいでも思い過ごしでもいいので、抜刀や杖などが進展してゆくことで、その効果というものを実感していくことが大切だと思うのである。


2013-04-06(Sat)
 

終わりのないものへ

 身体に無理をして、自分の限界値を上げようとすることは果たしてどうなのだろうか・・・・・・

 短期決戦や、あと何年かしたらそろそろ引退だ。というような、短い設定で考えてしまうと、その間に身体を酷使して使い切ろうと考えることもあるかも知れない。結果、大きな故障や、我慢と苦痛に耐え続け、精神的に大きな反動がくることもあるだろう。

 人生の生涯を通じて、やり遂げるものがあるのなら、身体の限界まで酷使して、あとは身体が勝手に強くなるだろうという、安易な達成感はマズイだろう。しかし、私自身、この肉体と精神のギリギリに追い込むことは必要であるとも感じている。そこには矛盾があるのだが、目的をしっかりと持つことが大事で、自身のカラダとのコミュニケーションをとりながら、稽古を継続できる身体と精神でなければならないと思っている。

 そのために、感覚を磨くには、安定した環境と、些細な変化も気付ける健康なカラダを維持しておかなけらばならない。そうなってくると、毎回限界までの稽古をおこなうのは、継続を損なってしまうリスクが高いだろう。

 稽古の意欲と、いつでも試せる、動けるカラダを途切れさせないように、食事も含め、体調管理、稽古内容など、まだまだ見直さなければならない点がある。現在の自分が自然にできる範囲内で、自分の中にある感覚を育てていくために、環境を整える工夫が必要に思う。

 「急がば回れ」「塵も積もれば山となる」という言葉にあるように、地道な継続が、確実に途切れない進展につながるのだろうし、それ以外に方法はないとも思う。

 果てしなき道のりであるが、山あり谷あり、どんな人生を選んでもそうだが、継続するということは、大変なことである。もちろん現在は、とても充実した武術稽古の日々を送っている。(まだまだまだまだ物足りないが・・・・・・)だからこそ、情熱というエネルギーが燃え尽きないように、もっともっと、武術稽古と、日常がリンクし、共に発展できるような、すべてがつながり、成長していける。そんな循環にしなければならない。

 終わりのない武術稽古に向かっていくために・・・・・・


2013-04-05(Fri)
 

軸足の使い方

 今日4月1日は久しぶりの研究稽古であった。まず新調した道着と袴で稽古をおこなう。動きやすさに支障はないか気にはしていたが、まったく問題はなかった。ただ、袴などまだ固いため着崩れがしやすい。そしてそれを直していると正藍染めの藍が手についてしまい困ってしまう・・・・・・まぁしかし、一人稽古であれば藍が落ちても誰にも迷惑はかからないだろう。しばらくは一人稽古用として使用することに決めた。

 自身の研究稽古期間が空いてしまうと身体がウズウズしてしょうがない。家で得物に触ってもやはり全然違う。おそらく身体が、いつもの稽古空間でいつものカラダと脳の感覚を早く味わいたくて、周期が遅れてしまったものだから、なにやらストックがいっぱい溜まってきているような消化不良な感じを覚えるのである。

 まさに今日はそんなストックから、今後の稽古で身体を練るために重要な自得があった。

 タイトルにもあるように、「軸足の使い方」の重要性に気がつき、抜刀術や杖術すべてに有効であった。

 まず、先日から意識していた「腹」についての感覚が抜刀術の「逆手前方抜き」という(このブログの映像リンクにある動画の5番目の抜刀術)抜刀の際に、「腹」の感覚を変えないためには、瞬間軸足になる左後ろ脚の使い方に気がつき、有効であるという実感があった。この抜刀は、胸元辺りを突いてくる相手に対し、逆手で右斜め前に移動しながら縦に刀を抜き相手の左腕に刃筋を合わせ、柄を下げることでこの腕を斬り上げるか、もしくは相手に向けた切っ先でそのまま突き刺すように考えた抜刀である。

 この抜刀の重要な点は、体の開きによる剣の走りを用いず、右前脚の膝抜きと、まとまった体幹部からなる重心移動をそのまま抜刀のエネルギーとしている。この抜刀での左後ろ脚の使い方を、他の抜刀術でも試みたところ、全てにおいてまとまりと、速やかな移動が実感できた。ある抜刀では、居つく感覚がどうしても払拭できないため、後ろ足の踵を上げていたのだが、今日初めて、踵をつけたままでも居つかず抜けたのである。おそらくこれは自分にしかわからない信じられない感覚であった。

 今までにも、袈裟斬りの研究などで後ろ脚の使い方は気づき始めていたのだが、やはり「腹の意識」という需要がより具体的に「軸足の使い方」という供給に結びついたのではないかと思う。もちろんこういった脚足の使い方は、驚くほどのことでもないし、甲野先生なら当たりまえのように捉えられていると思う。しかし、さまざまな導きや資料から実感として自得があったものは大切にしていきたい。私の身体は私にしかわからないので、実感できるものは、追求して自得につなげたい。

 杖でも同様に軸足の使い方で、よりまとまったまま連動することが出来た。いろいろ試してみたが、あきらかにこの使い方でなければならないと確信した。しかし、この脚足の使い方は、抜刀術でも杖術でも剣術でもすべて有効だが、身体が練られる喜びの反面、今まで楽な稽古をしていたと思ってしまうほど、身体にビシビシ疲れが迫ってくる。まだ余計な力みなどがあるからだろうが、しばらく帰りの際の歩き方が変わってしまうほど、邪魔にならない運用法ではある。この稽古から今後どのように身体と技が変わってくるかわからないが、非常に楽しみである。ただ、怪我や故障をしないように無理だけはしないように、「腹の意識」から身体を点検していけるようにしたい。


2013-04-02(Tue)
 
プロフィール

金山孝之


     金山 孝之
  Takayuki Kanayama


松聲館 剣術技法研究員

金山剣術稽古会主宰

Gold Castle
殺陣&剣術スクール主宰

高齢者のための剣術教室
クラーチ剣術教室講師


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1975年生まれ
福岡県 北九州市出身
東京都 世田谷区在住

1999年
映画監督中田秀夫氏との出会いにより俳優デビュー。他分野では、マンダムのモデルや舞台のプロデュース公演などの活動をおこなってきた。

2006年
小林照子先生とのご縁から  『 からだ化粧 』のモデルを務める。

2009年
武術の道を志しそれまでの活動を一新し武術稽古と研究に励む。

2011年
武術研究家甲野善紀先生に師事し身体の使い方を研究しながら、『 抜刀術 』『 剣術 』『 杖術 』『 体術 』などの稽古と研究に取り組んでいる。また、先生の書籍、番組撮影、記録映像、その他演武等における打太刀や受けを務めている。

2013年
刀と身体操作の技術向上を目指し裾野を広げるべく
『Gold Castle 殺陣&剣術スクール』を立ち上げる。

2014年
甲野善紀先生より
『 松聲館 剣術技法研究員 』という名称を頂き、自身の経験を活かした指導法を各道場等でおこなっている。
 
高齢者向け住宅にて
『 高齢者のための剣術教室 』をおこなっている。

日信工業株式会社の製品『 SAMURAI BRAKE 』のプロモーション活動をおこなっている

2015年
『 金山剣術稽古会 』を立ち上げ、現代における武術稽古の必要性を、身体と心で学べる場として活動している。

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