腹と意識

 ここ10日間ほど、いろいろな所に出かけたりで目まぐるしい日々であった。埼玉の所沢に千葉の松戸、それから静岡の掛川に、八王子市の南大沢など、さまざまな用件をこなしてきた。

 そんな慌しいなかでも、このところ頭から離れないのは「腹」についての意識である。とくに丹田と言われる部分で、臍下三寸の体内三分の一程の箇所とか諸説さまざまに研究されている箇所でもある。

 私自身勉強不足なため、この部分について説明はできないが、今までの稽古の実感から、重心位置の全方向からの精妙なとりかたによる力みの抜けた骨格構造の位置に各部分がおさまり、その中枢となる腹は、どのような稽古鍛錬でつくりあげることが出来るのかわからないところだが、腹のつくりかたと腹の使い方は異なるのかもしれないと考えている。その腹のつくりかたと使い方は研究中のため、実感が伴うまではなんとも言えないが、日常のチョットした意識からでも、身体は変わってくるように思う。むしろ日常の習慣が大事であろう。肩や股関節のように、構造による使い方でハッキリと効果がでるように、腹においてもさまざまに動かせる部位のため、より精妙な感覚が必要となるように思うしその効果は必ず秘められていると信じている。

 先日不思議なことがあった。私のお腹に触れていた人に対し、何も伝えず何も動かさず、ただ腹に集中し他の部分をリラックスさせるように力感をぬいたところ、「ワァッ!」っと驚かれて、「どうしたの?」と聞いたところ、お腹が心臓の鼓動のように激しくドクンドクンとなっていたそうで、お腹からそんな振動があったので驚いて声に出してしまったそうだ。あらためて触ってもらい検証しようと試みたが同じようにはならなかった・・・・・・

 おそらく腹だけではなく、他の部位との関連もあるだろう。そのあたりの微妙な感覚がわからないのだが、今現在意識していることは、腹を自分なりにつくり、そこの意識から、他の部分の構造的な位置も力感なくおさまる箇所を求めている。そうか!意識ということも重要な変化を与える要因になっている可能性がある。抜刀術や手裏剣術の稽古では、身体は同じように動いたつもりでも、意識によって明らかに結果に表れてしまう。その中でもとくに手裏剣術は、意識との関連が深い。

 意識によってなにか肉体的変化が起きそれが実感できれば、稽古の質が大きく進展してくるだろう。


 抜刀術に入る初動は、打太刀がいれば否応なしに動き出しが引き出されてくるが、一人稽古の抜刀の場合、身体のさまざまな部分をどう納得させつつスタートを切るかが、もっとも難しいところではないだろうか。

 そこで重要な不安定と安定をバランスするのが、丹田といわれる部分ではないだろうか。ゆるみと緊張を適度に統括し、初動の不安定と、終わりのまとまりを、実感としてどうだったかを判断できる部分。とくに抜刀術ではこの感覚が、成功と失敗の判断基準にいつ頃からだっただろうか・・・・・・抜刀ではもっとも重要にしている感覚である。

  
2013-03-31(Sun)
 

2013年4月稽古日程

4月1日(月) 16:30~21:00 高田馬場 


4月5日(金) 16:30~21:00 高田馬場


4月8日(月) 16:30~21:00 高田馬場


4月12日(金) 16:30~21:00 高田馬場


4月15日(月) 16:30~21:00 高田馬場


4月19日(金) 16:30~21:00 高田馬場


4月26日(金) 16:30~21:00 高田馬場


4月29日(月) 16:30~21:00 高田馬場


※稽古時間は都合の良い時間帯内で構いません。もちろん最初から最後まででも結構です。前日までには希望日時をメールまたは、お問い合わせフォームよりお知らせください。

※稽古場所の詳細や稽古内容、稽古時間のご相談、稽古費用や道具類その他のご質問等につきましてはメールまたは、お問い合わせフォームよりお受けいたします。


2013-03-28(Thu)
 

10年ぶりに!

 1999年3月に6年間働いた会社を退社し大阪に引越しした。その年の8月に中田秀夫監督の映画『カオス』に出演し、それが人生で初めてカメラの前に立った経験であった。翌2000年に再び中田監督の映画『ラストシーン』撮影のため、一ヶ月間東京の巣鴨にあるウィークリーマンションから、毎日調布にある日活撮影所へ撮影のため通っていた。

 『カオス』では、オープニングカットのワンシーンのみであったため、東京に一泊しただけであったが、『ラストシーン』では、一ヶ月間ほぼ撮影所で、共演者の方や、スタッフの方、その他関係者の皆さんと親しくなり、その生きている撮影現場の空間がとにかく感動的であった。

 中田監督には本当によくしていただいたと思う。ありえない経験の数々だったと思う。無事にクランクアップとなり、当時勉強のために住んでいた大阪へと戻ったが、あの撮影所に毎日通っていた環境が忘れられず、三ヶ月後には埼玉県の所沢に引っ越したのである。それまでは大阪で、僅か一年八ヶ月しかいなかったが、それなりに自分の環境と位置を築きながら役者として活動していた。

 大阪では、自主制作映画であるがTUTAYAにもレンタルされる作品(当時としては画期的であった)に出演したり、大阪で活動していた事務所では、CMのオーディションにも受かりガリバーというCMで竹中直人さんと共演したり、事務所内でも名前が知られつつあった。しかし、東京への憧れが強くなり、大阪でお世話になった監督や、事務所のマネージャー、事務所の社長、そして役者仲間に挨拶し、すべてを一から始めるべく東京へと向かったのである。

 そして2000年の11月に埼玉県所沢市に引っ越しが決まった。なぜ所沢を選んだかというと、夜行バスが大阪のなんばから東京の池袋まで出ており、それに乗って池袋の不動産屋に入り家賃などの条件から、都内からだんだんと離れていき、折り合いがついた場所が所沢であったからだ。

 この所沢で初めて髪を切りに行ったサロンが、所沢駅西口プロペ通りにある『FACE DECO』というサロンで、カットをお願いしたのがオーナーでもある関口雄二氏だった。このサロンは2000年にオープンしたということで、当時は所沢に3店舗お店を構えていて、まさに関口さんはカリスマ性の塊のような存在であった。

 初めてカットをお願いしたとき、関口さん(ふだんは雄二さんと呼んでいるが)から、「こんど雑誌の撮影があるから出てみない?」と言われ、僕は「はい、よろしくお願いします!」と即答。ただモデルの経験は初めてだったので、カメラの前でどうすればいいのか判らなかった・・・・・・

 撮影当日、場所は新所沢にある航空公園近くの米軍の通信基地近辺。出発前のサロンでのスタイリングやメイクにより、鏡を見ても他人を見ている感覚で、その技術のスゴさに驚いた。だが、モデルとしては全くのド素人であるため、ポーズが作れない。だから、自分のなかでシチュエーションを作って演技をしようと考えていた。今思い返しても、10年以上前のことだが、サロンの皆さんがレフ板を持ったり、カメラを持ったり、ワイワイと楽しかったのを覚えている。その写真の数々は今でも大事に保管しているが、驚いたことは、その中の写真が、『RIKEI』という雑誌の表紙を飾ったのである。まさか、初めて行ったサロンで撮影の話をいただき、初めてのモデルの経験が雑誌の表紙になったという、自分自身驚く出来事であった。

 さらに翌年、今度は『理容文化』という雑誌の表紙モデルをやることになり、その他にも何度かヘアーショウなどに呼んでいただき、僕自身モデルという意識をもつようになった。この経験から、マンダムがおこなっている『ギャツビー(e)CLUB』というモデルオーディションに受かり、二年半の契約で、さまざまな雑誌の撮影や、全国のコンビニやドラッグストアの商品のポップやパンフレットなどに載ったり、活動の幅が広がってきた。

 そんなギャツビー関連の仕事から、都内に引っ越すことを決断し、現在の場所になっている。所沢に住んだのは三年間だったが、都内に引っ越してなかなか関口さんのお店に行けず気付けば2013年になってしまった。

 僕自身、2013年は武術と自分との今後を考えたときに、どうしても関口さんのカリスマ性と太陽のように周囲を明るく照らすパワーを感じたくて、約10年ぶりに予約の電話をしたのであった。

 あれから10年ちかく経っているので、もしかすると忙しさでカットはされてないかと思ったが、電話で担当スタッフの方に「大丈夫ですよ!」と言われ「ヤッター!」と心の中で叫んでしまった。さらに驚いたのは、スタッフの方から「ビルが出来ましたので今はそちらでやっていますが場所はご存知ですか?」と言われ「エッ!ビルですか!判らないです!」と言うと、「では、近くですのでFACE DECOのほうに来てください、ご案内いたしますので・・・」ということになり当日を楽しみに電話を切った。

 久しぶりの西武新宿線に乗って所沢へ、かつては都内へ行くためにしょっちゅう乗っていたのだが、もう乗り換えとかがわからない・・・・・・さらには所沢駅が大きくなっていた。プロペ通りは懐かしさがこみ上げるほどあまり変わってはいなかったが丸井がなくなっていたり、微妙な変化はあった。

 いざ、FACE DECOへ!緊張とともに扉を開いたが、みなさん若い。だが、優しさと明るさと人懐っこさは、昔のままだなぁと感動した。親切な女性スタッフに案内されて、CLASSY (by FACE DECO 関口テラス店)へ。今では6店舗(もっとあるのかも・・・)を構えるオーナーの雄二さんに10年ぶりにお会いした。それは、初めてお会いした2000年と同じように固い握手で始まった。

 その瞬間に、「あぁ、雄二さん変わってないなぁ・・・・・・」と感動した。そして、当時のサロンスタッフの方ともお会いすることが出来た!師岡さんと鈴木(貞さん)さんが当時と変わらない雰囲気でいてくれたのだ。もちろん出世されて今では後輩達を引っ張っていく立場だと思うが、変わらない優しさと明るさと人懐っこさは、雄二さんの太陽を浴びている証拠なんだろうなと感慨にふけった。

 モデルとしてのキッカケを与えてくださった雄二さんに約10年ぶりに髪を切ってもらいながら、僕自身の武術との縁やこれからについて、伝えておきたかったのだと思う。おそらく、ここからまた新たなキッカケとなるエネルギーをもらいたかったのかもしれない。

 2000年に夜行バスでなんば~池袋に向かい、その足で不動産屋に行って所沢に決めたことは、自分にとってよい運命であったと思う。人生はいろいろなことが繋がり続けながら現在があるのだが、どんなに素晴らしい思い出の数々であっても、がんばれることは現在の出来事なのである。もちろん現在を精一杯頑張りたいのだが、こういうことは何年か経って振り返ったときに、あらためて素晴らしい日々だったと感じるもの。だからこそ、今を、そこに至るつながりを感じながら、さまざまな人たちと時間を共に生きているのだと、未来に向けて自分の道を歩んでいきたいと思うのである。


2013-03-25(Mon)
 

歩みと道と目線

 今日は以前何度か共演したことがある女優さんの出演する舞台を観に行ってきた。この舞台を統括している方も以前舞台で共演したことがあるのだが、その飛躍には驚くばかりである。その間、僕自身は武術の道に出会い、そして今現在も、模索しながら日々稽古に没頭している生活である。

 初日の公演を見にいったのだが、とても良い舞台であったと思う。舞台を観るにおいても、芝居だけでなく全体の雰囲気や、そこに出ている方々の生き様などを勝手に想像しながら、僕自身の生き方についても考えさせられる時間であった。

 先日、僕の友人でもある映画監督と会ったときに、「金山くんは役者やってて欲しいんだよね・・・」と何度も言われ、ありがたいと思うと同時に、果たして僕にその情熱はあるのかなぁと思っていた。

 そんななか、知り合いの方が出演している舞台を観にいったのだが、観おわってみて感じたことは、ステージの違いなのかもしれないと感じたことだ。

 技術を得るための日々の研究。失敗をしないための基本の訓練。あらゆる状況を想定しての瞬間的な対応。そのほかさまざまに本番のために磨かなければならない努力が積み重なった結果を役者はステージやスクリーンの中で表現してゆく。

 自分にとってのステージは現在判っていないが、そのための稽古はおこなっている。もしかすると、その日々の稽古が僕にとってのステージなのかもしれない。それぐらいの想いが稽古にはある。

 いろいろと迷ったりすることはあるけど、僕がずっと決めていることは、生涯情熱を掛け続けることのできる人生を歩みたいと選んだことで、役者の道を選んだのだが、現在はその情熱の全てが武術(剣術)にある。だが、きっと役者をやってきたことは、現在の武術の道においても繋がっていることだと思うし、舞踏家であり俳優でもある田中みん(さんずいに民)さんを見て、あの存在感はただものではないと感じながら出演作品を見ては励まされてしまう。

 ステージは違えど共通する部分は繋がっており、そこのエクスプレス(自分を追い込んで得られる表現法)が磨かれてくるのではないかと思う。それは、技術的な経験値は違ってくるが、核の部分である、人間としての技術では決して見に付かない、存在感や生き様における雰囲気からなる魅力だと思う。だから付け焼刃でない、日々の精進が本物になれるための第一歩なのかもしれない。遠くをみれば果てしなさと現実とのギャップに何も手に付かなくなるが、まずやるべきこと(唯一やれること)に目を向ければ、細くて頼りない道かもしれないが、歩むべき道は存在してくれている。その道を進めば、急坂になったり急カーブになったり、なんにも変わらない地平線が続いたり、どちらかを選ばなければ進めない分かれ道に遭遇したり、とにかく歩めば歩むほど、道は変化しつづけるだろう。

 肝心なことは歩むことで、歩めば道は現れる。状況によって、遠くを見たり足元を見たりしながら一歩一歩自分で選んだ道を歩いていきたい。

 今日は舞台を観にいったことで、また自分の目線が変わってきたと思う。これからも道を踏み外さないように、周りの方々の支えに感謝しながら進んでゆきたいと思う。


2013-03-20(Wed)
 

斬りの初動

 先日11日の稽古で、杖の手之内の変化が(自然とおこなっていた)剣においても重要であることがわかった。その日は、あぁそうか!と感じたまでであったが、さきほど重たい木刀を振った際に、あまりにあっけなく軌道を走ったので、「これは忘れないように記憶に刻まなければならない」と思い、メモとともにブログに記しておこうと思った。

 木刀の次に真剣でも試したが、同じように実感なく小袈裟、大袈裟ともに軌道を切っ先が走る。これは、向かえ身からなる体幹のまとまりをロスなく斬りに伝達する構造の使い方としては私にとって大きな進展であった。

 僕が思うに、初動が決まれば得物に任せることができると思うし、関わり過ぎてしまうと邪魔だと身体に跳ね返って来るようにも思う。居つかないためにも、初動をいかに決めるかということが今後のテーマになってくるだろう。こうなってくると、袈裟斬りだけでなく、さまざまな斬りの初動、または抜刀術でなにか同じように進展があるかもしれない。

 キッカケは杖の稽古であり、身体から教えられたことで、「なんだそんなことか・・・」という程度のことだが、実感があるのと、ないのとではまるっきり違ってくる。

 次回の道場稽古でいろいろと検証しよう。しかし杖は先生でもある。


2013-03-14(Thu)
 

感覚から通じ合うもの

 昨日は、先日連絡をいただいたIさんと久しぶりに稽古をおこなった。右の肩甲骨がひどく痛むという状態にもかかわらず参加されることに、僕も嬉しさとともに「このような身体の状態が稽古してみてどのような現象になるのだろうか」という把握しておきたおい部分でもあった。

 だがじっさい僕が思ってた以上にIさんは痛そうであった。Iさんいわく「この感じはかるい肉離れかもしれません」と言われていたが、見た目にも身体のバランスが傾いて固まっている様子であった。この日は脚足部の使い方などを重点的に稽古していこうと考えていたので、膝行や水鳥の足による杖を使った手の内との連動、また杖術においては、初動から足を動かすことに重点を置き、それらを活かした組杖稽古をおこなった。また、抜刀術においては、まず手足の連動を感覚として身につけるために、歩きながらの巴抜きをおこなった。

 僕の場合、杖の稽古でとくに重要にしているのは「足」である。同時に手之内も連動してくるが、居つかないこと、支点を固定しないこと、滞りながら力を溜めて合わせる動きにならないことなど、全てにつながる動きの質を練っていくためにも、動きのなかに意味がなければならない。

 この日も、打太刀仕太刀による組杖稽古をおこなった。与えられた型稽古をおこなう場合、その技をいかにして使えるようになるか(互いに現象を引き出せるか)ということを研究するのだが、型を新たに作る場合や、変更する場合は、その意味(理合い)がなければならない。だが、このことについては、組太刀稽古などでのもっとも難しいところであり、こうやった方が手っ取り早いということは多々ある。しかし、それは互いに相手のおこなうべき動きをあらかじめ把握しているからでもあり、「じゃあこうきたらこの方がいい」「それに対してはこうしよう」などと続けていくとキリがない。

 目先の勝ち負けにこだわった組太刀の型になってしまうと、身体を練っていくための稽古が、想定内だけの工夫になり、より厳しい条件の体捌きの研究が損なわれてしまうおそれもある。

 かといって、打太刀がわざと技にかかってしまうのも、同じく相手の動きをあらかじめ把握しているから、負けまいと太刀筋を変えるのと同様に、負けなければ空気が悪くなると自ら崩れてゆく。どちらにしても、忘れてはならないのは、自分は何をするために動いているかということでその一手一手に最高の動きが求められる。打太刀仕太刀ともにそのような理合いに沿った動きの中で、型が導く現象を互いに感じられることがもっとも重要であろう。

 組杖稽古から話がだいぶ逸れてしまったが、やはり相手をつけた稽古は、間合いや相手との打ち合いに求められる手之内や足捌き、それに加え蹴らない歩法と浮きをかけた打ち込み、さらには股関節の屈曲による潰しなど、自分のペースで出来ないため、集中力など相手から引き出されるものが多い。気がついてみると、Iさんの右肩甲骨がだいぶ解れてきたようだ。やはり杖はこういった身体の不調時でも、逆に調子が良くなる使いかたもあるように思う。
 このように、相手が付いた稽古の場合、状況設定から互いに引き出せる稽古法にしていかなければならないと感じた。そのためにも、得物を使った稽古は極めて効果的だと思う。

 抜刀術では「巴抜き」をおこなった。ブログの映像リンクにある抜刀術の四番めの型である。この巴抜きは相手が上段に構えていつでも真っ向に斬り下げることができるという状況設定であり、術者としてはまず斬り上げにて相手の左腕を切断した刹那切っ先が閃き大袈裟にて相手の右腕を斬り落とすという太刀筋である。

 Iさんに伝えたことは、斬り上げの際の右手の使い方と右腕の支点の移動。だけど、そのカラダの使い方はあくまでも感覚的なものであって、その言葉になぞってしまうと、刀の軌道に角がでてしまうので、僅かな操作による刀のバランスの変化からなる、刀自体の軌道に任せるように取り扱ってみてはというような内容の言葉しか伝えていなかったのだが、驚くべきことにIさんは難しいとされる斬り上げからの切っ先の閃きに連動した力感のない斬り下ろしが出来た。これは、今まで私が会にいたころ指導して出来たひとはまだ誰もいなかった。それは、当時の私の未熟さもあったのだろうが、それ以外にも原因はあり、いろんな情報を詰め込むことで、感覚というものより、頭で理論を考えその通り遂行して結果を待つといったような、文章や言葉といった、すべてではない情報から、伝えきれない部分を感じさせる稽古空間でなかったのかもしれない。文章や言葉には、実は惑わされている部分があって、それらはすべて例えの表現にすぎないと思ってしまってもいいほどの、解釈のズレがあり、そこにおちいってしまうと、余計なものを消し去ることが困難になってくる。だからIさんとの例は非常に稀なケースだが、感覚の部分で伝え、感覚の部分で吸収し、その日のうちに刀の軌道が理解できたということに感動と驚きがあった。もちろんIさんのセンスによるところが大きいのだが、今後のいろいろな方への伝え方として、人により解釈は違い、自分では的を得た文章や言葉だと思っていても、それが理解を遅らせる場合もあれば、間違った解釈により、余計な時間がかかってしまうこともある。だが、すべて、感覚で伝えていくのもダメである。相手との気持ちの通じ方が、その都度臨機応変的に、表現されていくものなのかもしれない。Iさんのお陰で実のある稽古が出来た一日であった。


2013-03-13(Wed)
 

演じ続ければ演じてないことになる

 先日、僕の友人である映画監督のHさんと近所の魚料理専門の居酒屋でご飯をたべた。彼もまた、何年経ってもいつもと変わらない関係でいられる仲間のひとりである。Hさんとは同い年で誕生日は僕のほうが一週間早いのだが、いろいろと教わることばかりである。「金山くんは普段の自分を演じすぎて苦しくなってきてるんだよ。だから作品で芝居をしている時のほうが楽なんじゃない?本来の自分を出せば?」そうは言っても自分でもよく分からない・・・・・・

 Hさんとは2006年ぐらいに共通の友人の紹介で知り合うことになったのだが、なぜだかその当時からまるで僕の歴史を知っているかのように、ニヤニヤしながら僕を誘導しようとするのだ。商業映画を監督した実力と、さまざまな現場の経験から、人間を観察する能力が磨かれているのだろう。まぁしかし、彼とのくだらない話はなにより楽しいし彼にしか話せないこともある。先日、その共通の友人であるOさんが小説でグランプリを獲ったという。なんというコンテストかは分からないが賞金が50万だというから驚きだ!Yahoo!ニュースにも載ったらしい。

 そんなクリエイティブな友人達が頑張っているのは励みになる。そしていつまでも変わらない付き合いでいてもらえるのは有り難いことだ。僕自身、今もっとも興味があることは、自分をどう演じるかだ。苦しさや辛さを乗り越え演じきれたなら、そのときには何かが変われているかもしれない。生涯をかけて情熱をかけられるものを探して役者という道を選んだのだが、かつてはさまざまな役を研究し演じることに、役者としてのふり幅の大きさに魅力を感じ、常に演じるということに飢えていた。だから、舞台であったり映画やテレビで演じる際には、日常では決して出せない心の奥の引き出しにしまってあるストックをベースに人物がつくられてゆく。この作業が僕自身、役者としての醍醐味であり、ときに普段の自分を見失うこともあった。

 だが、芝居が終わってしまえば、その役の人物とは別れなければならない。非常に儚いものでもある。だからこそ台本にあるキャラクターではなく、台本にない自分自身というキャラクターをどのようにつくり上げて行くのかということ。そこに面白さとやりがいを感じるのである。これは武術というものに出会ったことで、ひとり歩きしはじめたもう一人の自分をどのようにコントロールしなければならないかという問題でもある。役者の場合、技術や小手先の芝居よりも、その人物の心をどう捉えているかということが重要で、例えば接客業においても、ソツなくマニュアル通りに絶対にミスをしないという気持ちのみが全面にでてしまうと、客からしてみれば小バカにされた印象を受けることも少なくない。いづれにしても重要なのは中身をどう学び育てていけるかということだと思う。


2013-03-12(Tue)
 

半年振りに

 打太刀、仕太刀となり組杖稽古や、打太刀をつけた抜刀術をおこなった。やはりこういった剣術稽古になると、一人稽古とは違った発見もあるし、相手との「間」や「起こり」に対する初動など、半年振りの打太刀をつけた抜刀稽古の不出来さに、自分自身愕然としてしまった。しかし、技術云々というより、対人間に対する感覚の問題であり、これからのさまざまな稽古において私の対人感覚のスポンジはスッカリ乾いてしまっているので、ひとつひとつ吸収したいところだ。

 組杖稽古では、杖の特性とそれに応じた身体の使い方で、いくつか考えた型が有効であることを実感した。このように打太刀、仕太刀による組杖稽古により動きの精度が格段に上がっていくだろう。そういった意味でこの剣術稽古の深い部分を追求していける稽古相手と出会えることは、かなり限られた条件なのだとつくづく思えるし、おそらく武術というものにある「縁」なのだろう。

 しかし時間が経つのが早い。そしてよく喋っている。ときに稽古を中断し話し込んだり、流れが途切れず稽古に戻ったり、こういった感じは久しぶりであった。

 向かえ身と、肩の詰まりのない左右からの初動が、なにか背中のまとまりに関連しているように思う。稽古初期段階のころにおこなっていた、身体の可動域を大きく使っての実感あるカラダの使い方から、現在は、可動域の範囲内で詰まりなく効率よく身体の左右上下の部位を少しずつ動かし、得物の慣性を利用する使い方を意識するようになってきた。とくにこのブログの映像リンクにある抜刀術の四番目におこなっている「巴抜き」(順番に「懐月」⇒「稲妻抜き」⇒「潜龍出池」⇒「巴抜き」⇒「逆手前方抜き」⇒「津波返し」)は以前と比べ、剣の重さを感じることなく、肩の詰まりも感じず、実感なく初動のエネルギーのみで終えている感覚である。そしてこの「巴抜き」は、その場でおこなう場合と前に出ながらおこなう場合、以前はそれぞれ身体の使い方を分けていたのだが、去年の9月から脚足の使い方に大きな違いはなくなった。

 左右差し替えではなく、向かえ身での水鳥が、上体と下体のうねりをつくらず、左右のエネルギーを伝達する方法ではなく、上下のエネルギーを伝達する方法になることが明確になっている。これは、その流儀の「核」となる部分であり、そこの使い分けというのは、カラダをつくっていく意味において統一しなければ、使える身体の構造が出来ないと思う。

 先日も一年以上やっていなかったある鍛錬稽古をしたのだが、内転筋が発達し、股関節を最大に屈曲させることが非常に困難になってしまった。一週間たった今でもまだその影響が残っているので、その鍛錬稽古は私の場合やらないことに決めた。

 今日は杖術の「巴」に発見があった、これは打太刀をつけなければ気づかなかったことで、これも上記に書いたように、左右の使い方でなく、上下の使い方により、背中から前方へ打ち下ろす際の腕の軌道がまとまるようになった。上下のエネルギーが使えれば、腕はそれらを活かすために、体に近いところにあったほうがより効果的だろう。

 このように杖一本あれば、各基本的な技から、それらの組み合わせ、打太刀をつけた組杖稽古など、充実した稽古になる。剣術稽古の最初の手掛かりとしても、杖は比較的安価であるし、持ち運びも楽であるためオススメしたい。


2013-03-09(Sat)
 

三間の移動

 きのうの抜刀術稽古にて、膝の内抜きをおこなう際に、感覚を呼び起こすため抜刀を一旦中断し、刀を置き脚足部の使い方の研究に取り組む。

 まず、壁から一間(1.82M)離れたところから、内抜きによる重心移動にて壁にぶつかるように移動する。このときの足の歩数は、ソ之字立ちの前足から進むため約2.5歩とした。これは、示現流における蜻蛉の構えからのかかり打ち(立木打ち)での重要な歩法でもあり、2.5歩で瞬時に間合いを詰めるという技術が秘められている。蹴り足で跳ぶように歩を進めれば、一歩一歩着地した際にその場で失速してしまうが、自分の体重をうまく移動するための初動に使えれば、その初動のエネルギーをさいごまで繋げていける。

 今回の脚足の研究は、示現流の立ち方(足を肩幅ほど開いた向かえ身で左足がやや前に出た立ち方)ではなく、鹿島神流などにあるソ之字立ち(つま先を外側へやや開き前後の足は一直線上にある)でおこなった。

 このソ之字立ちの場合、もうひとつの膝抜き稽古として、横方向の重心移動のための初動のキッカケとして、前後にある脚の後ろ脚の膝を内抜きにかけて転ぶと、ギリギリまで転びそうな感覚をつかみながら転ぶことが、板の間であっても丸く力が分散するように転ぶことができる。
 前方向への重心移動の初動は、前脚の膝を抜いて転ぶ稽古もおこなったが、この場合、横方向に比べギリギリまで感覚をつかもうとすると、倒れそうになる瞬間に身体を、横に入れないといけないため少々危険である。じっさいに内抜きの際、袴に足が引っ掛かり本当に転んでしまったが、やはり、転び方のリアリティが違った。膝を使っての重心移動の検証のため、受身に入るのは初動をつくった瞬間なのであまり猶予がない。

 一間から徐々に距離を広げ、最終的には三間(5.46M)で壁までたどりつくことが出来た。以前、示現流の立木打ちで三間の間合いから2.5歩で打つことはできたが、それには木刀が届いた距離であり、今回は体が三間移動できた。もちろん床の上を滑っているためそのような距離がでるのだが、その滑りを継続させるには、重心の使い方が不可欠であり、特にその初動が重要であると実感した。
 また、ほかにも発見があり、滑空する際に身体が前につんのめることが度々あるのだが、それはおそらく、重心の掛け方と移動のエネルギーのバランスが崩れたときに、まえにつんのめってしまうと思うのだが、これも足の使い方で、床を噛んでつんのめることなく、最後まで滑空し続けることができた。だが、これはあくまで、「2.5歩でどこまでいけるだろうか」という膝の抜き方による、初動エネルギーを実感したかったものであり、まだまだ粗い稽古である。だが、まるで手裏剣術のように、精妙に自分のカラダを飛ばすのは面白く、徐々に距離をとりながら何度も何度もやりたくなってしまう稽古のひとつとなった。距離は、杖が4尺なのでそれで測り、16尺と20尺のだいたい真ん中ら辺で18尺(三間)とした。

 抜刀術稽古に戻ると、やはり感覚がずいぶんと変わった。そうすると今度は膝を抜かない方の足の使い方、立ち方の重要性に気がつき、言ってしまえば『潜龍出池』という抜刀術だが、ハナレに関わってくることが解った。つまり初動を変えてその感覚が染みかけてきたときに、その部分以外の感覚にも気づいてあげなければならないということだろう。
 だが、こういう進展があっての失敗は嬉しい失敗だ。体の動き方における構造の相性みたいなものが、「こうでなければならないはずだ」というものでなく、身体で実感し検証してみて、「断言はしないがおそらく現状はこういう感じじゃないだろうか」という発見した喜びの連鎖が続けば、こういう稽古の時間というのは限られた人生の時間の中でいったいどれほど積み重ねることができるのだろうかと思うと、不安や喜びや焦りや寂しさなどいろいろな思いが駆け巡り、やはりその瞬間を大事にしなければならないのだと感じさせられる。
 そう、時間というのは瞬間の積み重ねであり、僕にとって大事にしている瞬間は武術稽古である。だが、その瞬間の時間以外にも大事にしなければならない瞬間があるだろう。その機をどう気づき捉えることができるか感じ考えなければならない。


2013-03-03(Sun)
 
プロフィール

金山孝之


     金山 孝之
  Takayuki Kanayama


松聲館 剣術技法研究員

金山剣術稽古会主宰

Gold Castle
殺陣&剣術スクール主宰

高齢者のための剣術教室
クラーチ剣術教室講師


――――――――――――――

1975年生まれ
福岡県 北九州市出身
東京都 世田谷区在住

1999年
映画監督中田秀夫氏との出会いにより俳優デビュー。他分野では、マンダムのモデルや舞台のプロデュース公演などの活動をおこなってきた。

2006年
小林照子先生とのご縁から  『 からだ化粧 』のモデルを務める。

2009年
武術の道を志しそれまでの活動を一新し武術稽古と研究に励む。

2011年
武術研究家甲野善紀先生に師事し身体の使い方を研究しながら、『 抜刀術 』『 剣術 』『 杖術 』『 体術 』などの稽古と研究に取り組んでいる。また、先生の書籍、番組撮影、記録映像、その他演武等における打太刀や受けを務めている。

2013年
刀と身体操作の技術向上を目指し裾野を広げるべく
『Gold Castle 殺陣&剣術スクール』を立ち上げる。

2014年
甲野善紀先生より
『 松聲館 剣術技法研究員 』という名称を頂き、自身の経験を活かした指導法を各道場等でおこなっている。
 
高齢者向け住宅にて
『 高齢者のための剣術教室 』をおこなっている。

日信工業株式会社の製品『 SAMURAI BRAKE 』のプロモーション活動をおこなっている

2015年
『 金山剣術稽古会 』を立ち上げ、現代における武術稽古の必要性を、身体と心で学べる場として活動している。

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