2013年 3月稽古日程

3月1日(金) 16:30~21:00 高田馬場 


3月4日(月) 16:30~19:00 高田馬場


3月8日(金) 16:30~21:00 高田馬場


3月11日(月) 16:30~19:00 高田馬場


3月15日(金) 16:30~21:00 高田馬場


3月18日(月) 16:30~21:00 高田馬場


3月22日(金) 16:30~21:00 高田馬場


3月29日(金) 16:30~21:00 高田馬場


※3/4、3/11は、施設の都合上16;30~19:00までとなっておりますのでご注意ください。

※稽古時間は都合の良い時間帯内で構いません。もちろん最初から最後まででも結構です。前日までには希望日時をメールまたは、お問い合わせフォームよりお知らせください。

※稽古場所の詳細や稽古内容、稽古時間のご相談、稽古費用や道具類その他のご質問等につきましてはメールまたは、お問い合わせフォームよりお受けいたします。


2013-02-28(Thu)
 

一気に流れ出る

 本日は、まるで今まで詰まっていたものが取れ、それまで溜まっていた今後の用件に関することが一気に流れ出てゆくかのように、頭の中を駆け巡り書き留めておかなくては忘れそうなほどの案が生まれてきた。こんなことがあるから、「やまない雨はない」というように人間とは希望を忘れずに生きてゆくことが大事だんだなと思った。

 例えば、普段と違う時間のつかい方をしたり、普段と違う環境に身を置いたり、普段と違うひとに会ったりすることでマンネリ化した思考回路が突然ひらめいたり「道筋という目的」が生まれたり、昔の自分と現在の自分を併せ持つことの重要性に気づき、それがキッカケで頭の中の詰まりが取れ、一気に考えが溢れ出てきた。

 武術稽古では、ごまかせないその人の全てが良くも悪くも表れると思うし、そういった稽古の空間全体を通してもごまかせない伝わりが良くも悪くも表れる。武術稽古に対する人の思いはそれぞれあっていいと思う。会を選ぶ者。稽古を選ぶ者。ビジネスを選ぶ者。それぞれの価値観や生き方に沿って空間がつくられてゆくだろう。ただ、武術稽古というコトバの原点は忘れたくない。


2013-02-26(Tue)
 

稽古のバランス

 自分の身体を使う稽古、杖を使っての稽古、刀を使っての稽古、木刀を使っての稽古、それぞれに練るべき目的があり、それぞれ全く違う稽古なのだが、現在は限られた時間の中でバランスをとりながら、それぞれを邪魔しない稽古になってきたように思う。

 以前は、その日のそのメニューを限界までやろうとしていたので、他の稽古に身体が邪魔したり、何度か故障したこともあった。そうなってくると、けっきょく進展がないので、積み重ねながら自然とカラダを変えていけるようにしなければならない。今まで疲れていたものが疲れなくなったり、動けなかった部分が動けるようになったり、無理なくふつうに出来るラインを上げていくような稽古をバランスよく取り入れるようにしている。

 例えば抜刀術稽古の場合、主に現在は6~8種類ぐらいの技をおこなっているが、(全部で20種類ぐらいあるが、現在はその中から整理している)とくに、身体の発見があった部分に検証できるものを集中的に稽古している。それがもっとも興味が湧き、本当に面白いと実感できるからである。ふしぎなもので、苦手であまりやりたくないような技でも、ちょっとしたキッカケから、180度変わって好きな稽古になってしまう。だから、自分にとって効果があるのではと思えるような稽古が見つかれば、苦手であったりキツイ稽古だったものが、得意になり好きな稽古に変わってしまう。実感がともなえば決定的だろう。

 今日は2時間半の一人稽古であったが、体重がこの時期にしては珍しく2kg落ちていた。稽古の最後のほうでおそらく空手の方だろう、ガッチリした私より年上の方が一人でジッと私の稽古を見ておられ、木刀で激しい稽古をしていたのだが、20分ぐらいだろうか、終わったあとに「押忍!」とこちらの方へ来られ、「今のは○○○ですか?初めて生で見ましたありがとうございます!」と意外な声を掛けていただき恐縮してしまう。

 じつは、今日は朝からなんとなく物事の運びが上手くいかない日だと感じていたので、今日一日は何があっても驚きもせず、期待もせずにあきらめようと思っていた。ただ、稽古だけはそうではないようにと願ってもいた。これからもいろいろ稽古内容は取捨選択していくだろうが、「実感をともなう進展」につながる「積み重ねが楽しい」稽古にしたいと思う。


2013-02-19(Tue)
 

食事会

 先日池袋にて、1年2ヶ月ぶりにある方々との食事会に行ってきた。クリエイティブな仕事や活動に関わっている方々なので、共感できる話ばかりで気がつけば4時間以上過ぎていた。初めて会ったのが2007年なので、もう6年が経ってしまっているが、それから現在まで数えるほどしか会っていないにも関わらず不思議と空気感が変わらない。関係性に時間の経過を感じないので会話のテンションも変わらず、いつも不思議だなぁと思ってしまう。他生の縁とはこのようなことなのかもしれない。

 会話の中で、気づかされることや、そうだったのかと、陰の努力話など聞かせていただけたり、何かを生み出す人との会話は非常に有意義で、その努力を惜しまない姿勢には勇気が湧いてくる。やはり親しくさせていただいている方からの、ふだんは表に出さない本音の部分で語り合うことは、さまざまな点において整理がつき、答えの解っているものにしか、または解りそうなものにしか、興味や行動を起こさない自分になっていないかと、あらためて点検してみた。

 もう絞っても出てこないはずのその最後の一滴に価値があり、そのためには絞りつくさなければならない。エクスプレスの語源でもある「外に押し出す」というのは、自分なりの勝手な解釈だが、何かを抽出するためには、押し潰したり、すり潰したり、手作業であれば安易な工程ではないはずだ。潰したり砕いたりしてその中からほんの一部が使えるものとして取り出されるのなら、エクスプレスのもうひとつの「表現」という意味においても、安易な工程では生み出されないだろう。自分を追い込み、もがき苦しんだ時間のなかから、ほんのわずかな発想や手ごたえを実感するにすぎない。だけども何かを生み出すには、手軽な真似事でなく、自分のモノになるための考えや、追い込んだ状況からどのような結果となるかを突き詰め、挑戦し続けていかなければならないのではないだろうか。そのような生産性の低い工程で、自分を高めていくというのは大変なことだと思うが、そこにクリエイティブな世界で生きる人の価値があるようにも思う。

 説明書も、レールも、なにも記されていない、見えない道を進むのは、脱線したり、まわり道をしたり、やりかたを間違えたりするだろう。そのなかで自分だけの生き方の秘伝書をつくりながら確立していけたなら、結果として今までの道のりは全て繋がっており、一つとして無駄なものが無かったということになるのだろう。その苦しい工程から逃げないことで、質の高いものが身に付くのではないかと思う。エクスプレス、急行や特急に使われる言葉の「時間を短縮する」という意味において、人生の時間での得られかたも同じように感じる。

 さまざまにバランスをコントロールしながら、日々変化する環境や状況、自分の体調や心、それらの舵をとりながら、おぼろげにしか解らない地図とアナログなコンパスのみで時化の日や穏やかな日の大海原を、重ねてゆく経験と感覚でこれからも沈没させないように進み続けるのだろう。


2013-02-17(Sun)
 

内抜きによる抜刀の変化

 昨日の稽古で抜刀術に変化があった。
 『潜龍出池』というこのブログの映像リンクにある動画の3番目の抜刀であるが(動画ではまだ内抜きを使用していない)、このときの後ろ脚の使い方を今までいろいろと試してきた。もちろん内抜きによる稽古も研究していたが、当時はとても使いきれるものではなかった。この脚足部の使い方は甲野先生が使われているものであるが、とくに横方向や斜め方向に対する内抜きが難しかった。しかし、昨日の稽古で初動の研究のひとつとして、たまたまおこなっていたところ、今までにない、重心移動の作り方と、その移動距離、そして最終的なまとまりを実感できた。それをカラダに染み込ませるように何度も何度も繰り返し味わった。

 私にとって剣術は一番のものであり、その中でもとくに「抜刀術」に関して理由は分からないが、特別なものとして取り組んでいる。そういった中での重要な操法を実感できたということに大きな感動があり、しばらく感動とともに座り込んでしまった。まだまだ荒削りであるが、この脚足部の使い方は、他の抜刀術においても使えるものがあり、まさに袴を身に付けているその見えにくい部分の秘め事のひとつのような気がして大袈裟に喜んでしまった。

 縮地についての股関節や脚足部の研究や、ソ之字立ちの変化、また骨盤角度と膝頭の関係の適合性など、自分なりに疑問に思っていたり試していたことが、どこかでつながることがある。これは、自身の研究稽古でもそうだし、人に指導しながら教えられることもある。だから、稽古に向かう前に「今日はどんな出来事が待ち受けているのか」と、良い意味で予想どうりにならない稽古に道場へと向かう足が速まってしまう。

 抜刀術をはじめ、剣術や杖術など、一人でも稽古を深め練られるものがあるし、また、対人稽古であっても深め練られるものがある。どちらにしろ、存分に稽古に没頭できる環境というのは、自分で見つけ切り開いていかなければならない。それにしても人間の心と身体はふしぎなものだ。


2013-02-12(Tue)
 

今をどのように感じるか

 上を見ればキリがないのだけれど、現状をいかに充実してすごせるか、意図的にそうしていくには今自分にできる最も人生を掛けてもいいほどのものを、将来のための犠牲としてでなく、今できるだけのベストを感じられるやりがいのあるものとして、上ばかりを見るのではなく今を見つめ、そのような心でなにを追究していけるか・・・・・・それは切実な状況設定での稽古から、武術的状況判断が稽古以外においても、身体を通じさまざまな対応として磨かれていくのかも知れない。だからこそ武術稽古は必要であるし、学ぶべきものは深い。

 先日リンクをさせていただいているTさんから稽古のお誘いがあったときも、本当に行って良かったと思うし、そのようにインフルエンザであろうが、稽古をやろうと誘ってくれる方の存在は大変ありがたい。もっと一日を充実して過ごさなければならないということを考えさせられた日でもあった。
 ほかにも沢山稽古したい方々がいらっしゃるのだが、なかなか時間とお金の関係で叶わず、連絡をいただいたり情報を見たりしているが残念ながら行けないでいる。

 しかし、せっかくのお誘いに対し充実した実のある稽古にするためには、私自身が通じるカラダになっていなければならないとも思う。だからこそ、自身の研究稽古や、稽古に来られる方との指導も含めより充実した稽古にしていかなければならない。だが、自身の研究稽古においても、親しくさせていただいている武術稽古に励まれている方々の存在というものは、大きなエネルギーとなり、非常にありがたいものである。

 武術稽古を探究していくなかで、私自身少しはなにか考え方感じ方は変わってきたかもしれない。それはこれからも変わっていくのだろうし、それに伴いさまざまなことも変わってくるかもしれない。だけども、この武術と縁をもつことができたという事実は変わらず、それがあって今の自分がある。さまざまな流れでそのようなことになってきているが、これまでの流れで出会ってきた方々には、この意味においては感謝したい。

 今日地震の話をしていて、これはおろそかにしていたと思うことがあった。それは、地震があった瞬間のとるべき行動の原則であり、窓ガラスに近づかない、頭上に落ちてきそうなものの下に入らない、まずは自分の身を守ってから相手を助けるなどというお話を聞いた。自分自身、東京に住んで9年目になるが、地震が起こった瞬間に瞬間的にスイッチが切り替わったような行動をとったという記憶がない。3.11の震災のときも、部屋の中で安全は確保しながらも、気持ちは居つき続けていた。だが、このように突然異変が起こった際に、問われるものはあるだろう。地震の大小にかかわらず、揺れた瞬間のモードの切り替えについて、突然の対処に対する心構えとして地震を例に考えてみたことである。 


2013-02-08(Fri)
 

こんなカラダだから検証できること

 インフルエンザ発症から6日が経ち、熱はないものの咳にともなう息苦しさがあり、今日の稽古も中止しようかと考えていたところ、突然Tさんから「ブログを見ました。高田馬場で一緒に稽古やりませんか?」という内容のメールをいただき、いや、ウイルスをうつしてしまってはいけないと一旦お断りしたのだが、そうなってくると稽古のことばかり考えてしまい、モヤモヤを消したくても消したくても浮かんできてしまう。頭がヘンになりそうなので、コリャ行くしかない!と飛び起きて再度Tさんへ連絡して高田馬場にある武道場へと向かったのである。

 受け付け前にてTさんと合流。さっそく武道場へ。そこで偶然にもKさんに遭遇。空いている場所も限られていたため、Kさんのすぐ隣でTさんと稽古にはいる。しかし、今日は行くのをやめようと思った日にいつもの武道場のこの空間が、今日はなにか不思議な空間だなぁと感じずにはいられなかった。なにか今日過ごした空間の記憶は、もしかすると何年後かに忘れられない記憶としてなんらかの形でよみがえってくるものかもしれない。

 マスク着用しての稽古である。発症から6日経っているが周囲に気をつかってしまう。しかしTさんの熱意と情熱に引っ張られると、病気の意識など完全に頭から離れ忘れてしまっている。そう、武術稽古における注目点に頭が気づき考えようとしているから、病気が邪魔だなぁとか感じる隙もないのだ。Tさんがさまざまな所で稽古された体験を、私に対して試してくれる。これはとても刺激になる。身体を通じての刺激で、興味ぶかいのは、私自身の稽古におけるテーマに引っ掛かるものがあり、非常に整理がつくということである。もちろんTさんのように、体術において、身体と感覚が細かくリンクしている部分について、現在の私にとって及ばない領域のことであるが、剣術や抜刀術に置き換えると共通するものが沢山ある。

 19時になりTさんが帰ったので、22時まで気になっていた研究稽古をおこなった。

 まず、この6日間木刀を触る程度のことはしていたが、外出もわずかでほぼ動いてない状態であった。その休みきったカラダで抜刀をやると体にどのような反応があるのか今後の稽古のためにも知っておきたかったのである。

 見た目にも体はしぼんだ感じになったので、詰まりなくスコーンと抜けるのではないかという期待(妄想)があったのだ。

 しかし・・・・・・ダメであった。当然だろう。まず、右手の手の内がなんとも頼りなく鈍くて弱い。詰まりはなかったが、ヤワな体に粘りがなく崩れやすい。可動域の問題でなく、筋力とバランス力の低下による構造の弱さだろう。このパフォーマンスで抜刀術を続けるのは苦痛でしかないのだが、この状態の体で検証するには今しかないので、今後の体づくりのためにも我慢して抜刀を続けた。だが、そういった中でも発見できた部分はあった。抜刀の命は初動であるが、同時に最終的なまとまりでもある。その両方を活かす為に細かい部分を調整し、軌道を修正しなければならない。軌道とは刀の軌道のみならず、身体全体の軌道ともいえる。そこには最適な支点も絡んでくる。

 つまり自分で記していて答えを導いているのだが、上記の問題を解決すべく現在の状況で可能な稽古が、今後の抜刀術をはじめ、剣術や体術に活きてくるものになるだろう。可動域を妨げないかつヨレないまとまりをもつカラダに、手の内をはじめ、各関節部、重心とともに、横方向のエネルギーと縦方向のエネルギーを瞬時に切り替えられる身体の使い方がまとまりをつくるだろう。

 手に入れるための稽古には幾つかの種類があり、現在の私に考えられる方法はまだ大まかに2つぐらいしか思い浮かばないが、今後学ぶもの、出会いなどから、思いもよらない部分を手に入れるための稽古に出会うことができるかもしれない。だが、数少ない現在の2つの種類の稽古も、形を変えながらも継続しておこなわなければならないし、それが全てであり、今の生きがいでもある。


2013-02-05(Tue)
 

ジッとできない

 1月29日に喉の痛みとかるい咳が出はじめたため、風邪だと思っていたのだが、翌30日には頭痛と全身のダルさから、もしやと思い病院へ行ってみた。検査の結果、インフルエンザであった・・・・・・

 いつ以来か記憶にないが、今日で発症から4日目である。熱はあまり上がらなかった。31日の朝にはすでに回復に向かっていた。しかし、周囲に感染させてしまうため自宅に引きこもっていなければならない。とにかく残念だったのは、2/1(金)の稽古を休んでしまったことだ。関係者の方には連絡していたが、個人の稽古としても「縮地」について、先日「なるほど!そうかも知れない!」という部屋の中で感じた部分があり、瞬間とり憑かれたように確認した。電気を消し真っ暗にして確認したり、それを袈裟斬りで確認したりしていると、気づけば1時間半経っていた。

 向かえ身での剣の操法について、今回の骨盤をはじめ脚部の使い方は、体を開く一文字腰に近い半身となる剣の操法との迷い無き違いが明確になり、なぜ迷いが無くなったかというと、必要になってくる身体の操作が求められるからで、それぞれが繋がりまとまるために必要であると感じたからである。もちろん研究段階なので、早く道場で試したいところだが、そこに来てこのインフルエンザである・・・・・・

 最近はこの部屋でのちょっとした稽古が馬鹿にならなくなってきた。以前なら、「やった感のしない稽古」は稽古にならないと思い、「道具に触れるときは存分に稽古に望むときだ」と決め付けていた時期があった。そういう設定を決めてしまうと「やった感に満ちてこないと進展しない」と思い込むようになり、意気込みと、実際に始めてみての気持ちのズレが心の邪魔となり、「疲れないといけない」みたいな錯覚におちいる。

 ところが、稽古するしないの気持ちに関わらず、歯磨きの習慣のように、難しいことを考えずに得物に触れるとあとはカラダが勝手に何かしはじめる。そのまま置いてもいいし、生活の欠かせないリズムのひとつになることが感覚を継続的に研いでゆくことになるのではないかと思う。

 だから、稽古によっては何回やってもやり足りないものもあるし、今日はここに関しては、今の状態でやめておくべきだというものもある。全部繋がっているのだが、「身体を練る稽古」と「技を練る稽古」によるところがあると思う。結果的には同じ意味なのだが、意識が関わってくるものとそうでないものにより、進展するためには稽古における状況を見極めなければならないだろう。

 しかし、安静に過ごすのは退屈でジッとしていられない。

 自宅から徒歩3分ぐらいのところに図書館があるので、遅読な自分だが4冊ほど借りてきた。だが、ジッと読んでいるのも退屈なので、袴にアイロンをかけたり、ダウンコートの襟の破れた部分を縫ってみたり、刀の手入れをしたり、ちょっと木刀を振ってみたり、ハァ、ジッとしていられない・・・・・・


2013-02-02(Sat)
 
プロフィール

金山孝之


       金山 孝之
   Takayuki Kanayama


松聲館 剣術技法研究員

金山剣術稽古会主宰

Gold Castle
殺陣&剣術スクール主宰

高齢者のための剣術教室
クラーチ剣術教室講師


――――――――――――――

1975年生まれ
福岡県 北九州市出身
東京都 世田谷区在住

1999年
映画監督中田秀夫氏との出会いにより俳優デビュー。他分野では、マンダムのモデルや舞台のプロデュース公演などの活動をおこなってきた。

2006年
小林照子先生とのご縁から『 からだ化粧 』のモデルを務める。

2009年
武術の道を志しそれまでの活動を一新し武術稽古と研究に励む。

2011年
武術研究家甲野善紀先生に師事し身体の使い方を研究しながら、『 抜刀術 』『 剣術 』『 杖術 』『 体術 』などの稽古と研究に取り組んでいる。また、先生の書籍、番組撮影、記録映像、その他演武等における打太刀や受けを務めている。

2013年
刀と身体操作の技術向上を目指し裾野を広げるべく
『Gold Castle 殺陣&剣術スクール』を立ち上げる。

2014年
甲野善紀先生より
『 松聲館 剣術技法研究員 』という名称を頂き、自身の経験を活かした指導法を各道場等でおこなっている。
 
高齢者向け住宅にて
『 高齢者のための剣術教室 』をおこなっている。

日信工業株式会社の製品「SAMURAI BRAKE」のプロモーション活動をおこなっている

2015年
『 GM happy コラボレーション 』と題し、ジャンルを問わず定期的にゲスト講師をお招きし、特別共同講習会を開催している

『 金山剣術稽古会 』を立ち上げ、現代における武術稽古の必要性を、身体と心で学べる場として活動している。

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その他ジャンルを問わずお仕事のご依頼や『 剣技指導 』などのご依頼も受付けておりますのでこちらの【 お問い合わせ 】よりご連絡下さい。

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