インドネシア滞在記⑥                    2014.12.3~2014.12.8(全六回)

最終回

 2013年9月17日に広告代理店の方からこのブログに連絡が入ったことから全ては始まった。日信工業株式会社という自動車やオートバイのブレーキ製造メーカーさんの新商品発表に向けてのプロモーション活動として私に依頼が来たのであった。

 本社が長野県上田市にあり『真田幸村』所縁の地であるため、サムライを新商品のイメージとしてこのプロジェクトは始まった。数十万円したという真田幸村の甲冑は既に用意してあった。代理店と日信工業さんとの会議の中で、そのイメージに合う人物と甲冑に合う体型の人物を探していたところ、YOUTUBEに配信してある私の演武動画が目に止まり、連絡が入ったという次第である。

 2014年7月12日に栃木県の那須で初めて甲冑を身に着けての撮影をおこなった。この写真が『SAMURAI BRAKE』のイメージモデルとなる重要なものとなった。
 2014年10月30日には長野県上田市にある日信工業株式会社本社の工場で撮影をおこなった。この日一日、上田の街で沢山の写真を撮影した。
 2014年12月3日~12月8日にかけてインドネシア国内でのスチール撮影と、インドネシア唯一の国際サーキット「セントゥール・インターナショナル・サーキット」にておこなわれた『YAMAHA ASEAN CUP RACE』のイベントに参加。これらのプロモーション活動はFacebookを通じて今後も発信されてゆく。

 ※(カテゴリにある武術稽古の旅から前回までの記載を一括して見られます。)





【2014年12月8日】

インドネシア6日目

 今朝は9時30分に起床。3時間ずつ眠れたので(咳により目が覚める)ずいぶん快適である。11時にフロントのロビーで皆さんと待ち合わせし、今日は帰りのためのんびりとした雰囲気でチャーターバスに乗り込み、宿泊していたボゴールからジャカルタまでバスに揺られながら、途中で骨董通りならぬアンティーク店が一列に十数店並ぶ通りに立ち寄り、次にジャカルタ中心部にある「サリーナ」というデパートで、土産物などいろいろと買うことが出来た。(私の探していたものを見つけて下さり、さらに特別にプレゼントまでしていただいたA社長には大変感謝しています。)

 それにしても今日は、インドネシアに来て一番の渋滞である。天候は、熱帯気候特有の快晴かと思えば突然スコールになったりとその繰り返しである。ボゴールのホテルからジャカルタ・スカルノ・ハッタ空港まで70㎞そこそこだが、7時間半移動に時間が掛かり買い物のため立ち寄った時間を差し引いても6時間バスに揺られていた事になる。日本からインドネシアに行かれる方は渋滞には覚悟しておいた方がいいだろう。

 渋滞を見越していたため、空港には余裕を持って到着することが出来た。23時55分の成田行きの便に乗るのだが、出発時刻までまだ4時間ぐらいあるので、ゆっくりと手続きなどを済ませたのちレストランで2時間ぐらい時間を潰し、1時間ぐらい前に搭乗ゲートに入った。

 深夜のフライトなので機内に乗客は多いがシーンと静かである。明かりが消えるとすぐに眠たくなってしまった。帰りのフライトはほぼ7時間であった。窓際の座席であったため、機内から見える星空と夜が明ける間際のオレンジ色の地平線があまりに美しく思わずデジカメを取り出しシャッターを切ってしまった。

 無事に成田に到着し手続き終了後、ここでA社長、Yさん、Sさんとお別れし、コインロッカーに預けておいたダウンコートを取り出し成田エクスプレスに乗って帰宅した。日本の空気の良さと水の安心にホッとするも、インドネシアでの人とのコミュニケーションから受ける印象と対極にある日本での寂しさを感じながら、密集した人、人、人の中で交通渋滞や割り込みが日常茶飯事でも殺伐とした雰囲気が全く無いインドネシアでの人々の陽気で素朴な人柄に強く惹かれる思いが残った。

 あっという間の6日間であった。時間の流れが早く優秀な人達の中に居たことで、物事の展開の速さやその一つひとつの取り決めなど世の中には頭脳明晰でそれを存分に発揮できる環境を作って仕事をしている人が居るのだということが身近に感じられ貴重な経験であった。もちろん次に向かってまた進み出して行くのであるが、私も今回の撮影とイベントで現場から引き出されるものがあったと思う。そして最後まで体調が悪いなか自分なりの仕事が出来た事は今後の自信ににもなっていくであろう。


 お世話になった広告代理店のA社長、デザイナーのYさん、共に別行動で撮影をおこなったSさん、東京でFacebookを担当しているMさん、現地でお世話になった日信工業のOさん、Hさん、CHEMCOのY副社長とスタッフの方々、その他にも沢山の方々にお世話になりました。
 あっという間の6日間でありましたが、一日一日が濃いものでありましたので、その日々の中で皆さんと絆を深めることが出来たのではないかと思います。今後に向けてまた一つ大きな経験をさせていただきました。チャンスがあればまたインドネシアに行ってみたいと思います。

 ありがとうございました。


 ≪完≫





【今日の写真】

2014.12.7 インドネシア44
 日信工業のOさんとのツーショットです。日本でもお会いしていますがとても熱い方です。


2014.12.7 インドネシア45
 デザイナーのYさんとのツーショットです。その場を和ませてくれるとても貴重な方です。


2014.12.7 インドネシア46
 広告代理店のSさんとのツーショットです。この写真にも表れているように、いろいろな街での撮影で本当にお世話になり厚い信頼関係が生まれました。


2014.12.7 インドネシア47
 CHEMCOのスタッフの方々、A社長、Oさん、Sさんとの写真。気候は違いましたが、見上げる空の景色は日本と同じで、空や雲に国境はないんだなぁとフト感じました。


 2014.12.7 インドネシア48
 A社長が朝、ホテルのプールで泳いでいた際に見つけたというゲンゴロウ。とにかくA社長を見ていると、凄い人がいるものだと感じます。頭脳明晰であり、面白くて、現実にこのような人が居ることに驚きます。凄く振り幅の大きな方です。


2014.12.8 インドネシア49
 眠りから覚めフト窓を覗いたときに、地平線の彼方から陽が差し込んできたので思わずデジカメで写真を撮りました。5時52分頃の写真。


2014.12.8 インドネシア 50
 同じく6時14分頃の写真です。自然の壮大さ、自然の不思議さ、美しさ、それらの恵み、あたりまえのように感じていたことをあらためて思い直すと、もっと自然とともに寄り添って生きていける自分でありたいと思いました。





 2014年12月3日に出国し~12月9日早朝に帰国。そして2015年1月30日深夜にこの日記が全て完結した。拙い文章で恥ずかしい限りであるが、自分の経験したことを形にしようと記すことにした。今こうしてノートに記した自分の文章を見ながらブログに打ち直してみて、かなり記憶が薄れてきていることに気が付いた。もちろん覚えてはいるのだが、寝ていた時に見た夢を思い出すような感じである。現実感がないような、遥か昔の出来事のように思う。それは、私自身の活動もいろいろと増えてきたことも関係しており、振り返る暇がないからであろう。ありがたいことであり、前に前に進んで行かなければならないと思う。今回の旅で得た経験は非常に大きい。人にはそれぞれ能力があり、それはその人それぞれの興味と情熱から高められたものなのかもしれない。逆に言えば、興味と情熱がなければ気付かぬ能力は隠されたままであろう。興味と情熱を掛けられる人生を見つけ、能力を高める学びを日々探求し、前に前に進んで行けることが重要なのかもしれない。なかなか思うようには行かないが、人はやはり前に進めることが生きていく中では大事なのだと思う。私の武術稽古の話になってしまうが、指導者の立場の時に大事に思っていることは、一つでもいいから何か持って帰ってもらえるようにその方にあった内容の稽古を考えている。もちろん上手くいかないこともあるが、前に進む実感無くして成果は上がらないのである。その進めるためへの導きが指導者や会社で言えば管理側には求められるだろう。

 2015年ももうすぐ2月に突入するが、2月もいろいろと忙しくなりそうである。これからどのような人と出会い、どのような出来事が待ち受けているのか分からないが、私は武術稽古の進展がもっとも重要なので、その中でどのような思考になり、どのような身体の使い方に気が付くのか常に追い詰められているような状況で取り組んでいる。だが、そのことと人との出会いもどこかで繋がっているように思う。人生どこで何が起こるか分からないが、大事なことは、出会いを待ちそのことばかりに気をとられ何がしたいのか分からずその場に身を置くことよりも、自分の足りないもの、やるべきことに向かい真剣に取り組むことが、前に進むためへの行動であり、そういった環境や空間でこれからも生きていきたいと願っている。

 人にはそれぞれの面があり、その一面だけを見て心が揺れ動かぬように、私自身もっともっと成長しなければならない。今回のインドネシアの経験で、普通に生活していては気付かない人の才能というものをさまざまな所で見てきた。人を知るにはまず自分を知らなければならない。武術稽古を通じてもっと自分自身に気付くことが私にとって前に進むことが出来る一つのカギであろう。





 Facebookに『SAMURAI BRAKE』の写真と記事が掲載されています。
https://www.facebook.com/pages/SAMURAI-BRAKE/522076457928248?sk=timeline
 今後の展開を楽しみにしていて下さい。


2015-01-31(Sat)
 

インドネシア滞在記⑤                    2014.12.3~2014.12.8(全六回)

第五回

 2013年9月17日に広告代理店の方からこのブログに連絡が入ったことから全ては始まった。日信工業株式会社という自動車やオートバイのブレーキ製造メーカーさんの新商品発表に向けてのプロモーション活動として私に依頼が来たのであった。

 本社が長野県上田市にあり『真田幸村』所縁の地であるため、サムライを新商品のイメージとしてこのプロジェクトは始まった。数十万円したという真田幸村の甲冑は既に用意してあった。代理店と日信工業さんとの会議の中で、そのイメージに合う人物と甲冑に合う体型の人物を探していたところ、YOUTUBEに配信してある私の演武動画が目に止まり、連絡が入ったという次第である。

 2014年7月12日に栃木県の那須で初めて甲冑を身に着けての撮影をおこなった。この写真が『SAMURAI BRAKE』のイメージモデルとなる重要なものとなった。
 2014年10月30日には長野県上田市にある日信工業株式会社本社の工場で撮影をおこなった。この日一日、上田の街で沢山の写真を撮影した。
 2014年12月3日~12月8日にかけてインドネシア国内でのスチール撮影と、インドネシア唯一の国際サーキット「セントゥール・インターナショナル・サーキット」にておこなわれた『YAMAHA ASEAN CUP RACE』のイベントに参加。これらのプロモーション活動はFacebookを通じて今後も発信されてゆく。

 ※(カテゴリにある武術稽古の旅から前回までの記載を一括して見られます。)





【2014年12月7日】

インドネシア5日目

 無事に全ての日程を終えることができ今は心からホッとしている。何と言っても今日は日曜日であり、セントゥール・インターナショナル・サーキットでのレースがおこなわれる日であり、イベント会場の賑わいも昨日と比べて何倍もの人の多さと会場の熱気を感じた。(後で知ったが、昨日と合わせて延べ6万人の入場者数であったという)

 そんな中今日も鎧を身に纏い、SAMURAI BRAKEのブース前で演武をおこなうのであるが、昨日のイベントをおこなったことでいろいろと分かってきたので全体的に慣れ、要領が掴めてきた。気温は昨日以上に暑かったが、限界になるような危なさは今回一度も感じることはなかった。

 演武を5分おこない、続いて写真撮影が40分位おこなわれ、ホテルで20分休憩して繰り返しおこなうというパターンであった。今回のインドネシアでの写真を撮影された総数は数えていないので判らないが、軽く数千枚は撮影されたと思う。

 そして今日は、250㏄クラスでおこなわれた「YAMAHA ASEAN CUP RACE 」に参加するため、SAMURAI BRAKEのブースがあるイベント会場からサーキットまで移動し、日本とインドネシアのピット前での撮影をおこない、さらには大胆にもレース前のグリッドに着いているポールポジション、二番手、三番手までそれぞれのライダーの横で写真撮影をおこなった。現場にはたくさんの報道関係者が撮影していたので、その方々からカメラを向けられた際に刀を抜いて簡単に演武をおこなった。こういった、世界グランプリなどもおこなわれていたインドネシア唯一の国際サーキットでレースが始まる寸前に、メインスタンドからも多くの観客が見ている中、コース上で演武をおこなったのは恐らく今まで他に例が無いのではないだろうか・・・・・・  

 今回の怒涛の日々の中で実に大胆な経験をたくさんさせていただいた。体調は咳が止まらず睡眠時間も一時間置きに目が覚める毎日で疲れている筈なのだが、そんなに疲れていない自分に驚いている。その体調に意識が向かっていたせいか、緊張で硬くなったり上がってしまうような事が全く無かった。むしろ私自身素の状態で居るときの方が、周囲の人と一緒に居ると緊張してしまうから不思議なものである。

 大一番を終え、無事に私の仕事を終えることができ、また何か次に繋がれば幸いである。本当に想定外の一週間は毎日が濃く刺激的である。明日は、AM11時00分頃にこのホテルを経つ予定なので10時間位は寝られそうである。もっとも咳のため何度も目覚めるのであろうが・・・・・・ボゴールからジャカルタまで約40㎞位の距離をトラックのような板バネのバスに乗り買い物などしながらゆるやかに移動しPM23時55分に成田に向けて飛び立つ予定であるが、不思議な事に寒い日本に行って今までのような日々を送ることの実感がまるで無い・・・・・・僅か5日間でこのような感覚になってしまうので、人間というのは実に変だと思ってしまう。

 今回デジカメを持っていったがあまり撮るチャンスがなかった。甲冑を着て写真を撮ろうという気にもならないが・・・・・・そのため、のちほど沢山撮っていただいたものを送って頂けるので、そちらの写真をブログなどに掲載しようと思う。

 とにかく、大きな仕事が終わり今夜はゆっくり休みたいと思う。


 ≪2014年12月8日につづく≫





【今日の写真】

2014.12.7 インドネシア35
 日本チームのピット前での写真。 こういう形で日本人同士異国の地で交流が持てるのも嬉しいものです。 


2014.12.7 インドネシア36
 インドネシアチームのピット前です。今回の第11回「YAMAHA ASEAN CUP RACE 」においてインドネシアが通算7度目のアセアンNo.1に輝いたそうです。


2014.12.7 インドネシア37
 ピットロードにてTVカメラの前で演武をおこないました。


 2014.12.7 インドネシア38
 コース上にてマスコミのカメラの前で演武をおこないました。


 2014.12.7 インドネシア39
 同じくコース上にて演武。イベント会場から徒歩で移動してきたため、足元が草鞋から雪駄になっていますがお許し下さい。


 2014.12.7 インドネシア40
 予選2位、決勝3位のRey Ratukore選手との撮影。スター性のある方でした。


 2014.12.7 インドネシア41
 3番グリッドの選手との撮影。TVカメラの前にて。


2014.12.7 インドネシア42
 ポールポジションのグリッドは日本からの招待選手である大崎誠之選手です。レース前とは思えないほどリラックスした雰囲気で挨拶いたしました。ブレーキはもちろんSAMURAI BRAKEです。


2014.12.7 インドネシア43
 甲冑武者がサーキットに居る事で、現場は盛り上がっていました。メインスタンドのお客さんが見ている中、まさかレースの直前にコース上でこのようなパフォーマンスをさせていただけるとは夢にも思っていませんでした。イベントを盛り上げるため、レースを盛り上げるため、そして我がSAMURAI BRAKEの宣伝のため、これからも頑張っていきたいと思います。


 Facebookに『SAMURAI BRAKE』の写真と記事が掲載されています。
https://www.facebook.com/pages/SAMURAI-BRAKE/522076457928248?sk=timeline
 今後の展開を楽しみにしていて下さい。


2015-01-24(Sat)
 

インドネシア滞在記④                    2014.12.3~2014.12.8(全六回)

第四回

 2013年9月17日に広告代理店の方からこのブログに連絡が入ったことから全ては始まった。日信工業株式会社という自動車やオートバイのブレーキ製造メーカーさんの新商品発表に向けてのプロモーション活動として私に依頼が来たのであった。

 本社が長野県上田市にあり『真田幸村』所縁の地であるため、サムライを新商品のイメージとしてこのプロジェクトは始まった。数十万円したという真田幸村の甲冑は既に用意してあった。代理店と日信工業さんとの会議の中で、そのイメージに合う人物と甲冑に合う体型の人物を探していたところ、YOUTUBEに配信してある私の演武動画が目に止まり、連絡が入ったという次第である。

 2014年7月12日に栃木県の那須で初めて甲冑を身に着けての撮影をおこなった。この写真が『SAMURAI BRAKE』のイメージモデルとなる重要なものとなった。
 2014年10月30日には長野県上田市にある日信工業株式会社本社の工場で撮影をおこなった。この日一日、上田の街で沢山の写真を撮影した。
 2014年12月3日~12月8日にかけてインドネシア国内でのスチール撮影と、インドネシア唯一の国際サーキット「セントゥール・インターナショナル・サーキット」にておこなわれた『YAMAHA ASEAN CUP RACE』のイベントに参加。これらのプロモーション活動はFacebookを通じて今後も発信されてゆく。

 ※(カテゴリにある武術稽古の旅から前回までの記載を一括して見られます。)
 




【2014年12月6日】

インドネシア4日目

 今日も一日が終わってホテルの部屋に戻りこの日最後の作業である日記に取り掛かる。

 気が付けばインドネシアに来て四日目となり、時間は流れそれなりにやるべき事はやっている。
 結局体調は何一つ良くなっていないが、きっと何か意味するものがあるように思う。(今は未だ分からないが・・・)今日の仕事は現地に来て実際にやってみなければ判らない大変なことは沢山あるが、こういった経験も日本に居た頃には久しく味わっていないので良い経験となっている。

 兎にも角にも今日のイベント初日を無事に終えることが出来、体調も含め明日への見通しも立ってきたので安心したところである。インドネシアに来てのこの四日間はこの咳のため毎晩熟睡する事が出来ず、一時間置きに咳で目が覚めては洗面所に行っていた。だが、今朝の体調で今日一日イベントをおこなうことが出来たので、明日は大丈夫であると確信出来た事が大きい。毎日体調の事を記しているが、本当にこのインドネシアでの思い出を後々思い浮かべた時に、この絶体絶命とも言える体調の悪さとどうにもならない歯痒さが記憶に残り続けるだろう。外国人となってみて、こういった部分の大変さが身に染みて分かった。

 さて、今日は午前7時30分にホテルのフロントに集合し、セントゥール・インターナショナル・サーキットのメインスタンド裏にある会場に、今回私が真田幸村としてイメージキャラクターを務めている日信工業さんの製品「SAMURAI BRAKE」のブースがあり、他のさまざまなメーカーのブースとはあきらかに異なった「侍」のブースであるためインパクトが強く、ひと目見ると忘れない印象に残るブースだと思う。
 その我々のブース内には、SAMURAI BRAKE搭載の125㏄クラスのチャンピオンマシンが展示されており、壁には以前那須で撮影した鎧姿の写真が壁一面に大きく展示されており、これはかなり重要な役割であることを再認識したのであった。

 雨期に入ったインドネシアであるが、今朝から晴天となりインドネシアの人達も暑い暑いと言っていたが私は別段そんなに暑いとは本当に感じていなかった。いざ鎧を装着し動いてみると汗は周囲の人が気にするほど尋常じゃなく出てしまうが、私としては夏場の高田馬場にある道場での武術稽古と大して変わらない感じなので特に大変だとは全く感じなかった。

 今日は一時間のイベントを五回に分けておこなう予定であったが入場者数の入り具合と、午後から振り出した雨のため二回となった。まあ今日はレースの予選日なので明日日曜のレース本番日は今日よりも確実に人が多いので、今日は良い予行演習になったのではないだろうか。

 それにしても侍姿というのは人気があり、かなりの人数の人達と撮影をおこなった。そんな中インドネシアのTV局からの取材があり、なんと、私がマイクを渡されレポーターの女性からの質問に答えるという出来事があった。

 明日は、インドネシアに来て最も力を入れなければならない重要な日なので、私に出来ることを私なりにおこなっていくしかないだろう。海外に来ての大変さと不自由さを痛感している日々であるが、今後にとっての大きな経験であることは間違いないので、苦しいなりに味わい糧にしていこうと思う。


 ≪2014年12月7日につづく≫





【今日の写真】

2014.12.7 インドネシア27
 インドネシアのTV局が取材に来ており、リポーターの女性からインタビューを受けました。甲冑を着ていると体の不調も治まり、もう一人の私が姿を現すような気がいたします。


2014.12.7 インドネシア28
 取材前の打ち合わせの様子。結構突っ込んだことを質問されましたが、SAMURAIの意志で答えさせていただきました。


2014.12.7 インドネシア29
 取材後リポーターの方と記念撮影。この他にも翌日はサーキットで幾つかのTVカメラに撮影されました。


2014.12.6 インドネシア30
 日信工業のSAMURAI BRAKEを搭載した125㏄クラスのチャンピオンマシン。インドネシアでは、スクーターや大きな排気量のバイクよりも、こういった感じのオートバイが最も多く走っています。


2014.12.6 インドネシア31
 SAMURAI BRAKEの説明書きに添えられた写真は、日信工業の本社がある長野県上田市の工場で撮影したものです。レース活動を支えるため世界各地に工場があります。


2014.12.6 インドネシア32
 LORIN SENTUL HOTELに泊まった翌日12月6日イベント初日の朝。昨日と違って快晴の空に思わず私の泊まっている四階の部屋から見えるセントゥール・インターナショナル・サーキットを撮影。右側にメインスタンドが見えその裏側に、コンサートのステージや、バイクのトライアルなどをおこなう広大なスペースのイベント会場にたくさんのメーカーのブースがあり、我々SAMURAI BRAKEのブース前で演武をおこないました。


 Facebookに『SAMURAI BRAKE』の写真と記事が掲載されています。
https://www.facebook.com/pages/SAMURAI-BRAKE/522076457928248?sk=timeline
 今後の展開を楽しみにしていて下さい。


2015-01-16(Fri)
 

インドネシア滞在記③                    2014.12.3~2014.12.8(全六回)

第三回

 2013年9月17日に広告代理店の方からこのブログに連絡が入ったことから全ては始まった。日信工業株式会社という自動車やオートバイのブレーキ製造メーカーさんの新商品発表に向けてのプロモーション活動として私に依頼が来たのであった。

 本社が長野県上田市にあり『真田幸村』所縁の地であるため、サムライを新商品のイメージとしてこのプロジェクトは始まった。数十万円したという真田幸村の甲冑は既に用意してあった。代理店と日信工業さんとの会議の中で、そのイメージに合う人物と甲冑に合う体型の人物を探していたところ、YOUTUBEに配信してある私の演武動画が目に止まり、連絡が入ったという次第である。

 2014年7月12日に栃木県の那須で初めて甲冑を身に着けての撮影をおこなった。この写真が『SAMURAI BRAKE』のイメージモデルとなる重要なものとなった。
 2014年10月30日には長野県上田市にある日信工業株式会社本社の工場で撮影をおこなった。この日一日、上田の街で沢山の写真を撮影した。
 2014年12月3日~12月8日にかけてインドネシア国内でのスチール撮影と、インドネシア唯一の国際サーキット「セントゥール・インターナショナル・サーキット」にておこなわれた『YAMAHA ASEAN CUP RACE』のイベントに参加。これらのプロモーション活動はFacebookを通じて今後も発信されてゆく。

 ※(カテゴリにある武術稽古の旅から前回までの記載を一括して見られます。)
 




【2014年12月5日】

インドネシア3日目

 本日は午前10時にホテルのフロントにてプロジェクトメンバーのSさんと合流し昨日に続いてチャーター車に乗りジャカルタからボゴールに向けて出発した。

 ここでこれまでのルートを確認すると、12月3日にジャカルタ・スカルノ・ハッタ空港に着き、そこから車で1時間ほど走ったジャカルタのホテルで宿泊。12月4日にジャカルタからチカランという街に移動し、日信工業の製品などを作る工場があるCHEMCOにて打ち合わせをし、広いCHEMCOの敷地内で撮影をおこなう。その後再びジャカルタへと移動し撮影をおこない、そのままジャカルタ中心部で宿泊した。

 そして本日12月5日は、インドネシア唯一の国際サーキット「セントゥール・インターナショナル・サーキット」があるボゴールという街に向かいながら、のどかな田舎の大きな川の側で撮影し、次に市場のような道端で撮影をおこなった。この時は小さな子ども達が最後までずっと私の周りを取り囲むようにくっ付いてきてなかなか楽しいひと時であった。この日の最後はボゴールに入り道路脇にある小さな大衆食堂にて食事をおこなった。午前中からずっと車で移動し、イメージに合う場所を求めて走りっぱなしであったため、15時頃にこの日初めての食事となった。インドネシアでは一般的とされる一品料理のお店である。私の場合、食事は栄養があるものをさっさと腹に詰め込めばいいという感覚なのでランチセットやコースよりはこういった方が簡単でいい。

 その他の料理店では、Sさんから車中で聞いたパダン料理はいろいろな種類の料理が各お皿で運ばれてくるそうである。そういうお店は、お店の外にあるディスプレイにお皿がたくさん積み重なっているので判りやすい。インドネシアも色々な宗教が混在している国家であるが、日本と大きく違うのは、名前を書くように自分の宗教を人に対して示すことであると聞いた。服装も違ってくれば食事も違ってくるだろう。

 鶏の胸肉が入ったスープと白米の料理を注文。食事前に甲冑を着て撮影。お客さんは他に居なかったので、店主の女性と記念撮影。テーブルには、アムソリさん、ドライバーの方、Sさん、そして私の4人が座り食事をした。なかなかスパイシーで美味しかったのでご飯をおかわりした。ここでSさんを介してアムソリさんに教わったのは「飯は無し、魚はイカン、菓子を食え。」という言葉遊びである。つまりインドネシアではご飯のことを「ナシ」と言い、魚は「イカン」と言い、お菓子のことは「クエ」と言うのである。アムソリさんは長時間弾の尽きることの無いマシンガンのように喋り続けるので通訳の方でもあるのだが、Sさんがインドネシア語を使うので、ほぼインドネシア語でのマシンガントークであった。私はさっぱり分からないので聞いているだけで楽であったが、Sさんはかなり疲れたのではないだろうか。

 食事を終え店を出る時には大雨となっていたため撮影はここまでとなり、今日の宿泊地であるセントゥール・インターナショナル・サーキットのすぐ側にある「LORIN SENTUL HOTEL」に宿泊。雨の降るなかホテルから徒歩5分位のところにあるイベント会場に行き日信工業の「SAMURAI BRAKE」のブースを訪れる。もう日が落ち薄暗くなってきたが、まだ会場の設営がかなり進んでいない状況に、お国柄というか冗談では済まない焦りを皆で感じながらも、私がホテルに戻り仮眠を取っている間も皆さん頑張ってブースを仕上ていたようである。

 咳が止まらず調子は全くよくならない。明日、明後日のイベントは相当な覚悟が必要となってくる。なんせ毎晩1時間おきに咳で目が覚めるのだから・・・・・・とにかく、今夜は22時40分頃に寝て明日は6時に起きる予定である。明日からが本番なので気を引き締めて自分を見失わないように取り組んでいこうと思う。


 ≪2014年12月6日につづく≫





【今日の写真】

2014.12.4 インドネシア22
 インドネシアの若者なら皆知っているという「クブンジュルックのバイク通り」での撮影。細い道の両脇のほとんどがバイクショップであり、お店によりさまざまな部品が置いてありました。バイク好きの若者が集まる場所ですが、何の問題も無く皆さん友好的に接してくれました。まあ、鎧に刀ですからそれはそうかもしれませんが。


2014.12.4 インドネシア23
 日信工業のNISSINと刻印されたブレーキのバイクオーナーさんを発見。何とインドネシアで日信工業のブレーキ(SAMURAI BRAKE)のシェアは60%というから驚きです。人口2億5000万人、平均年齢が28歳というエネルギー溢れる国で日本の技術が世界で認められているということですね。


2014.12.4 インドネシア24
 モナス塔(独立記念の塔)の前で撮影。72歳とは思えない仕事をして下さる、通訳兼ガイドのアムソリさんはかつて日本人に大変お世話になったことがあり、その気持ちが今回の非常にありがたい対応の数々に表れているのではないかと思っています。もちろんそれにはインドネシアだけでも渡航16回目というSさんの「旅人」として培った人柄もあってのことだと思います。


2014.12.4 インドネシア25
 モナス塔広場の入り口で警護している警察官のリーダーと記念撮影。アムソリさんの交渉で撮影許可がアッサリ取れたばかりでなく非常に協力的な対応になり、日本では絶対にありえない会話の流れに、インドネシアという国の面白さを肌で感じた瞬間でもありました。


 Facebookに『SAMURAI BRAKE』の写真と記事が掲載されています。
https://www.facebook.com/pages/SAMURAI-BRAKE/522076457928248?sk=timeline
 こちらのブログでも毎回写真を掲載出来ればと考えています。


2015-01-08(Thu)
 

インドネシア滞在記②                    2014.12.3~2014.12.8(全六回)

第二回

  2013年9月17日に広告代理店の方からこのブログに連絡が入ったことから全ては始まった。日信工業株式会社という自動車やオートバイのブレーキ製造メーカーさんの新商品発表に向けてのプロモーション活動として私に依頼が来たのであった。

 本社が長野県上田市にあり『真田幸村』所縁の地であるため、サムライを新商品のイメージとしてこのプロジェクトは始まった。数十万円したという真田幸村の甲冑は既に用意してあった。代理店と日信工業さんとの会議の中で、そのイメージに合う人物と甲冑に合う体型の人物を探していたところ、YOUTUBEに配信してある私の演武動画が目に止まり、連絡が入ったという次第である。

 2014年7月12日に栃木県の那須で初めて甲冑を身に着けての撮影をおこなった。この写真が『SAMURAI BRAKE』のイメージモデルとなる重要なものとなった。
 2014年10月30日には長野県上田市にある日信工業株式会社本社の工場で撮影をおこなった。この日一日、上田の街で沢山の写真を撮影した。
 2014年12月3日~12月8日にかけてインドネシア国内でのスチール撮影と、インドネシア唯一の国際サーキット「セントゥール・インターナショナル・サーキット」にておこなわれた『YAMAHA ASEAN CUP RACE』のイベントに参加。これらのプロモーション活動はFacebookを通じて今後も発信されてゆく。

 ※(カテゴリにある武術稽古の旅から前回までの記載を一括して見られます。)

 



【2014年12月4日】

インドネシア2日目

 今朝は6時に起床。4時頃に外のどこかで大きな祈りの音が1時間位続いていたため、あまり熟睡できず、その頃は咳で胸が苦しかったが手を当てて寝ていたらずいぶん楽になった。

 今日はまず、日信工業の製品を作っているCHEMCOという会社の工場に行き、副社長のヨハネスさんを中心に会議室で打ち合わせをおこなった。その後ヨハネスさんがオーナーを務めるお店でピザをご馳走になる。こういったサイドビジネスがオープンなところはインドネシアならではだろうか。空手の有段者でもあるヨハネスさんは、やはり他の人とは違っていて、どこの国にも凄い人はいるなと感じた。きっと苦労と努力を積み重ねて来られたに違いないと、力のある目を見てそう思った。

 今日はもう一人凄い人に出会った。CHEMCOでの撮影後「パンダ バス」というチャーター車を12時間手配し、ドライバーの方ともう一人、通訳兼案内人のアムソリさん72歳(本人はアイムソーリーと名前に掛けて冗談を言っていたが)がまさにスーパーガイドであった。さまざまな知識からサービスから全ての気配りや交渉において最高の仕事をしていただきお陰で予想以上の撮影が出来た。

 インドネシア渡航16回目のスペシャリストであるSさんと、スーパーガイドのアムソリさんと、寡黙なドライバーの方と私との4人が1ユニットとして、首都ジャカルタのさまざまな場所で人だかりを作りながらの撮影会となってしまった。

 この日の撮影は、まずCHEMCO工場内での撮影。仕事に支障をきたさない為に事前に放送を入れておいたのだが、いざ工場内を甲冑姿で歩いて回ると至る所で人だかりが出来てしまった。あとで、副社長のヨハネスさんから、それでも皆が喜んでくれたのが良かったと仰られていたように、無邪気な笑顔で喜んでいる姿は本当に気持ちの良いものである。

 次にクルマを1時間程走らせジャカルタ市街地での撮影。昨日到着し急いで撮影した夜の空港は別として、堂々とおこなう街中での撮影である。まず始めに、Cafe Bataviaという有名なレストランの前の広場での撮影をおこなった。ここでは大道芸人や、いろんな着ぐるみ達がいて手始めにおこなうには打って付けの場所であった。

 とにかく鎧というのは、そのクオリティの高さもあるのだろうが本当に多くの人から注目されてしまう。広場では他の着ぐるみ達が一緒に写真を撮ろうとやってくるし一番目立ってしまった。こども達や観光客、それに親子連れの方々と沢山写真を撮った。
 次にバイクショップ街へと行き、細い道の両側にビッシリとオートバイの部品を置いてある店が立ち並ぶ。この国は人口約2億5000万人で、とにかく生でこの交通事情を見た時に、笑ってしまうほどクルマやバイクが所狭しと隙間を縫って走っていく。

 中でもバイクは若い人達に人気で(聞くところによるとインドネシアの平均年齢は28歳であり日本は45歳であるという)たまにある信号で止まっていると(信号は滅多にない。あると渋滞でどうにもならないだろう)隙間を縫ってズラーっと前の方にバイクが並んでいるのである。
 そんな事情でのバイク街は若者ばかりでやはり有名な通りであるらしい。この国で出会う人は友好的な人が多く、無邪気さと可愛さがあって私は好きである。現在バブルと言われているこの国の活気を身を持って体験すると、日本が余りにも元気が無いということに嫌でも気が付いてしまう。いろいろな縛りが少ないと人はこうも活き活きするのかと思ってしまう。

 この日最後の撮影は、インドネシア独立記念の塔があるモナス塔の広場でおこなった。この敷地に入る門の前に数人の警官達が待機しており、日本の警察官とはまるで雰囲気が違い、お国柄を感じる部分である。その警官達にスーパーガイドのアムソリさんが敷地内での撮影許可の交渉と、日信工業のSAMURAI BRAKEの宣伝をしてくれたお陰で友好的な雰囲気となりスムーズに許可が下りた。

 陽が沈みかける中、広い敷地内での撮影をおこなう。直ぐに通りすがりの方から記念写真をお願いされ、サービスしながらの撮影を終える。最後に入り口に待機している警察官にお礼を言うと、そこで今度は警官達との撮影会である。最後にリーダー格の警官とスーパーガイドのアムソリさんが、親しそうに連絡先の交換をおこなっていた。実にインドネシアでの人間関係を満喫した瞬間でもあった。

 今日も新しいホテルにチェックインし今回もありがたくダブルの部屋を用意していただいた。今日は、日本から来たメンバーとはCHEMCOの後は別行動となったので、私とSさんでこちらにチェックインし、夕食を一緒に食べに行くこととなり、偶然にもSさんの友人が日本から出張に来ており、この辺りに滞在しているということなのでジャカルタの中心部にあるアムソリさんお勧めの高層ビルに入り、そこで友人である女性の方と合流し、今日が誕生日であるというその女性のお祝いとともに、今日一日を共にしたSさんと三人でこの広いビルの中にある中華のお店で楽しい時を過ごした。私はここ数年滅多にアルコールは飲まないが、今日はかなりBintang(ビンタン)ビールを飲んだ。

 体調は全く回復しないが悪くもならない。今夜は8時間ぐらいは寝られそうなので、明日こそはこの咳が止まってくれることを願う。明日は一日余裕のあるスケジュールでの撮影予定である。本番は明後日、明々後日のイベントである。さあ、今夜は24時30分に寝るとしよう。


 ≪2014年12月5日につづく≫





【今日の写真】

2014.12.4 インドネシア⑤
 CHEMCO工場内での撮影。集合写真を撮る予定ではなかったのですが、所々でこのように集合写真となってしまいました。チームワークで仕事の能率が上がってくれれば幸いです。


2014.12.4 インドネシア⑥
 交通手段は、オートバイか自動車です。電車はまだ走っていないので、とにかく車とバイクが途切れません。オートバイは、2人乗りや3人乗り、ときには4人乗りの家族もいたりして衝撃でした。


2014.12.4 インドネシア⑦
 ジャカルタ中心部で宿泊したホテルの部屋(9F)から見える外の景色です。車やバイクはほとんどが日本製なのでジャカルタ中心部は一見都内かと思ってしまいます。


 Facebookに『SAMURAI BRAKE』の写真と記事が掲載されています。
https://www.facebook.com/pages/SAMURAI-BRAKE/522076457928248?sk=timeline
 こちらのブログでも毎回写真を掲載出来ればと考えています。


2014-12-19(Fri)
 
プロフィール

金山孝之


     金山 孝之
  Takayuki Kanayama


松聲館 剣術技法研究員

金山剣術稽古会主宰

Gold Castle
殺陣&剣術スクール主宰

高齢者のための剣術教室
クラーチ剣術教室講師


――――――――――――――

1975年生まれ
福岡県 北九州市出身
東京都 世田谷区在住

1999年
映画監督中田秀夫氏との出会いにより俳優デビュー。他分野では、マンダムのモデルや舞台のプロデュース公演などの活動をおこなってきた。

2006年
小林照子先生とのご縁から  『 からだ化粧 』のモデルを務める。

2009年
武術の道を志しそれまでの活動を一新し武術稽古と研究に励む。

2011年
武術研究家甲野善紀先生に師事し身体の使い方を研究しながら、『 抜刀術 』『 剣術 』『 杖術 』『 体術 』などの稽古と研究に取り組んでいる。また、先生の書籍、番組撮影、記録映像、その他演武等における打太刀や受けを務めている。

2013年
刀と身体操作の技術向上を目指し裾野を広げるべく
『Gold Castle 殺陣&剣術スクール』を立ち上げる。

2014年
甲野善紀先生より
『 松聲館 剣術技法研究員 』という名称を頂き、自身の経験を活かした指導法を各道場等でおこなっている。
 
高齢者向け住宅にて
『 高齢者のための剣術教室 』をおこなっている。

日信工業株式会社の製品『 SAMURAI BRAKE 』のプロモーション活動をおこなっている

2015年
『 金山剣術稽古会 』を立ち上げ、現代における武術稽古の必要性を、身体と心で学べる場として活動している。

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