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クラーチ剣術教室 新年会

 まずは昨日の稽古記事から。

 月曜日は高田馬場にて竹田氏と稽古。
 竹田氏は埼玉県でオーガニックカフェを経営されており、月曜日が定休日のため車で二時間以上かけて稽古にお越しいただいている。
 そのため、稽古中は勿論のこと、休憩時の合間も、合気道や古流の剣術、生き方についてなど話が尽きないこともあり、稽古を差し置いて会話を優先することもある。そういう意味では便宜上休憩と言っているが、休むための休憩ではなく、次に向う気持ちを整えるための間を作っている時間帯ということになる。

 当然人によっては休憩など挟む必要も無いが、それが出来るのは身体と心が臨機応変に整っていられる方との稽古であり、それとは別に門人達との稽古では、間を取ることで緊張を解す必要性もあるため、この休憩と言う名の間の時間をどう使うかが人それぞれにあるようだ。

 この日は竹田氏が帰られた後二時間ほど一人稽古をおこなった。
 杖の新たな操法に気がつきしばらくそれに集中していたせいか、肩回りが硬くなったように感じられ、今までおこなっていた杖の操法は身体の機能を調整してくれる働きがあることを思い出し、「ああ、今まで淡々とおこなっていたものが実は体の状態を当たり前のように維持してくれていたのか…」ということに気付かされ、この日はひさしぶりに取り憑かれたかのように杖術をおこなった。やはり肩回りが解れ、ここちよくスムーズに動かせるようになった。しかし、そんな直ぐには全てが良くなるわけではないので、体に詫びるようにこれからも新旧二つの操法を混ぜながら稽古して行きたい。
 
 剣術も同様に夢中で剣を振った。もちろん力任せに振るのではなく、身体の調和感覚や慣性をどのように身体に通し戻せるかを考えながらおこなった。お陰で24時間立った今、喉回りが筋肉痛になっている。おそらく歩をつけての正面斬りに置ける慣性の働きが背中を連れ頭の重さとともにその力が喉の周辺に掛かったのではないだろうか。正月休みで身体が鈍っていた証である。

 抜刀術では、全十二本をおこなう。こうした技の感覚は、一人でおこなう稽古が無ければ衰退してしまう。探究あっての進展である。

 最後は三十分程杖整体操をおこなった。動きによっては右肩から上腕に掛けて痛みが続いていたが、杖を天秤に掛け丁寧に良い塩梅を探り留まったところ、一過性ではない成果があった。今後はなるべく一人稽古の後には杖整体操で身体を整えたい。否、整えなければならない。

 
 そして本日火曜日は「クラーチ剣術教室」別名「高齢者のための剣術教室」の稽古始めでした。
 体調の良さそうな方、まあまあの方、そうでもない方、さまざまにご挨拶させていただきました。昨日は竹田氏にここでおこなっている剣術の型を幾つかお見せしたところ、目を見開いて驚いておりました。十七歩でおこなう「抜付之型」、同じく十七歩の「真向突之型」、十歩でおこなう「巴抜之型」、それから「七斬之型」(通称、赤木の山)これを今日もおこないました。細かい部分はまだですが、それでも十分に習い事として成果を出せているレベルには達しておられます。そうしたことから、今日の新年会の席で「今年は文化祭に出ますから、よろしくお願いします。」とお伝えいたしました。一人でも二人でも構いませんので、何年も付いて来て下さった生徒の発表の場を作ってあげたいと思いました。以前は、生徒への稽古が偏らないように差を付けてはいけないと文化祭のお誘いをお断りしておりましたが、今の生徒達を見渡しますとそうした状況になりませんし、特別に集中して稽古をしなくともそれなりに形にはなると感じるようになったからです。 

 それとは別に今日は袴の話題になり、もう随分長く続いている方もいらっしゃいますし、動きも沢山やってきましたので、これからの人達のためにもベテラン勢には袴と道衣の着用をお勧めいたしました。今の動きはただの運動レベルでやっているものではありませんので、色々と考えながら身体を動かし感じ取ろうとする眼を養う上で、稽古着と言うのはそれに合わせる時期ではないかと思われます。もちろん強制ではありませんので自由にしていただいて構いませんが、今よりも遥かに形が良く映ると思います。

 新年会ではレストランの別室を予約していただき、そのお部屋で乾杯いたしました。
 こうして私が自然にこの場に入られることが五年を過ぎました。失ってみて初めて気がつくような日々を、失わない内に気がつかなければならないと、大切にこの日この時間を過ごさせていただいております。私自身の性格もあるのだと思いますが、こうした空間はとても心が休まり浄化される気分です。毎年新年会を開いて下さり、世話人のOさんを始め生徒の皆様には心から感謝とお礼を申し上げたいと思います。


2020年1月13日(月/成人の日) 『杖整体操』(お申し込み受付中)

2020年1月18日(土) 『抜刀術 特別講習会』(お申し込み受付中)

金山孝之 指導・監修 DVD
『古武術は速い~“型の手続き”を追求した剣・杖の実践的な体使い~』


金山剣術稽古会

2020年1月 武術稽古日程

2020年2月 武術稽古日程

甲野善紀先生からの紹介文

2020-01-07(Tue)
 

身体と心 それぞれの修錬

 24日火曜日は「クラーチ剣術教室」の講習でした。この日は関西の講習会などで世話人を務めて下さる川原田喬生氏がゲストで参加。前日にオーストラリア旅行から帰国したばかりの氏と津田山駅で待ち合わせし、ともに会場へ。

 講習前にさっそく「触れ手落し」を試みる。私より10㎏近く重い川原田氏でも力を抜いて立っていれば両手が床に付くほど崩れた。出来てしまえば誰でも直ぐに出来てしまいそうな感じがするが、私自身杖による「お辞儀潰し」や木刀での「峰返し潰し」という変遷を辿ってきたのでまだ出来る人は少ない。これまで立った状態でストンと崩されたのは、渡部氏とGold Castleの先日土曜日の講習でおこなった際のFさんのお二人である。だがこれは座りでおこなうと比較的やり易いため、川原田氏も直ぐに私を崩すことができた。クラーチ剣術教室のSさんが、座りの状態から耐える準備で望まれましたので、「じゃあ少しだけ力入れますから気をつけて下さいね。」とお伝えしましたが、大きな体のSさんが鼻を打つほど前方に倒れ飛んでしまい、これには冷や汗を搔いたのですが、同時に両手も付いていましたので大事には至らず安堵いたしました。

 休憩時間に軽くおこなったものが皆さん不思議がってそれぞれに始め出しましたので、そのまま他の身体の使い方による力の伝え方をお見せし益々不思議がっておられました。私如きこの程度のことは本当に何でもないことですので、それでも喜んで興味津々に取り組んでいただけて良かったです。

 杖術では、両手寄せの操法を川原田氏にもお伝えし興味深く稽古されておりました。体術が相手に力を通していくのであれば、杖術や剣術では得物にロスなく力を伝え、それを身体が貰い通していけるか、だと思われる。

 自ら発したエネルギーに遠心力や慣性が掛かり、それらが身体とぶつからず最適なタイミングで自然に運ばれていくようにおこなうということは、得物と身体が「通り合う」ということとも言える。

 身体が求めるものの審判に狂いが無くなって来れば、身体に委ね身体に判定を仰ぐことが出来る。身体と心が繋がっているのなら、身体の流儀とは心の流儀でもある。その心の在り方が何かを習得する際に、立ちはだかるものに対する向き合い方を決定する。心が下した判定に応えるべく身体が身に付けたもの。それがその人の流儀となるのかもしれない。

 そうしたことの積み重ねが、ものの考え方、思考法、等に表れその人そのものの評価に繋がる。つまり、同じことをやっても心の流儀が異なれば身体観も異なり、全く別物になってしまうということ。それだけに何かを伝えるということは難しいのであろう。

 日にちが経ち記事の内容もどこか置き忘れて今の心情を綴っているが、道場稽古は意識の修錬、道場以外の日常は無意識の修錬、というような事を帰り際に川原田氏に思わず口からこぼれてしまったが、身体と心においてもその役割はそれぞれに分かれて実践修錬されているのだろう。勿論それらが通じ合って何かを生み出すのであるが。


2020年1月18日(土) 『抜刀術 特別講習会』(お申し込み受付中)

金山孝之 指導・監修 DVD
『古武術は速い~“型の手続き”を追求した剣・杖の実践的な体使い~』


金山剣術稽古会

2019年12月 武術稽古日程

2020年1月 武術稽古日程

甲野善紀先生からの紹介文

2019-12-26(Thu)
 

技術の向上とは、そこに至るまでの関門突破である

 12月も二週目に入っており、Gold Castle 殺陣&剣術スクールの方は体験受講のお申し込みを頂いております。来年は開催コマ数も増えますので、生徒が増えても余裕を持って一コマあたりの講習が見られるかと思います。また、どのような事がありましても私以外の人に肩書きを付けて指導を任せ組織を大きくするつもりはありませんので、これまで通り今後も全ての受付連絡から会場手配、講習指導を一人でおこなってまいります。団体としての規模は制限されるかもしれませんが、目の行き届いた組織運営でなければ育つものも育ちませんので、一貫性を持って長く続けていくための最善の方法として今後も信頼を得られる教室運営を目指します。


 昨日月曜日は、高田馬場にて竹田氏と稽古。
 昨日は「峰返し潰し」の手刀版、「触れ手落し」に進展があった。竹田氏相手に今までの「触れ手落し」を試みた際に利きがイマイチだったので、それまで落としていた腰を上げ、「蠢動」の利きを向上させたときのように、何もしない方が働けることを思い出し技をかけてみた。すると、今までと違って下まで落とせるようになった。しかしながらまだまだバラツキがあり、稽古の後半もう一度試みたところ、方向に気が付くものがあり、初動時の負担が少なくなりスコンと落とせた。ならば、右でやったほうがもっと上手く行くだろうと位置を変えておこなってみたが、全然ダメ。これには意外であったが、抜刀など水平に腕を振る体の使い方は左手よりも右手の方が機能的に上であるだろうと思っていたが、これまでずっとこの系統の潰し方として、杖で初めておこなった「お辞儀潰し」や木刀を使っての「峰返し潰し」は相手の左後ろに立ってからだったため、この位置関係からの身体の使い方の回路のようなものが、これまでの経験値から微妙な働きの精度を見分けられるようになった。右側では全く経験が無いので、左手で箸を使うような下手さである。この「触れ手落し」は、「蠢動」のようにお伝えしたら誰でも出来るような持続力の短い即効性のある感動ではなく、持続力の長い遅効性の感動である。そのため上手く行ったり行かなかったり、身体の使い方の精度を高める稽古内容としては私にとって今後も長く取り入れていくことになるだろう。

 だが、まだまだ気が付かなければならないことが沢山ある筈なので、色々な人で試みながらちょっと驚くような事が見せられるレベルには持って行きたい。しかしこれは接触部に殆んど抵抗感が無く足元までガクンと通るため大変興味深いものである。

 試しに、「明日はクラーチで講習がありますので、座りで受けてもらって良いですか?」と竹田氏にお願いし、座りならば崩れても危なくはないだろうと、互いに座った状態でおこなったところ、凄まじい勢いで竹田氏が両手を前に付いたので、私も驚いて「これはやめましょう!」ということになり、座りならば首でなく背中でも激しく崩せることが解った。こうしたことから「触れ手落し」のレベルを上げていくとさまざまな技の精度が高まり技術が向上すると思われる。しばらく体術稽古はこれに没頭しそうだ。

 抜刀術では「懐月」の納刀を変更した。これまでは三歩下がっての縦納刀であったが、今後は二歩下がっての引手納刀となる。


 そして本日火曜日の「クラーチ剣術教室」では、久しぶりに「三十連円打」をおこない、次に「渦潮」をおこないました。今までの状況からすれば、みなさん難なく出来ると思っておりましたが、渦潮はかなりの方が苦戦されておりました。おそらく膝を抜くということが心理的不安を引き起こし、そこに集まる注意が杖の操作を見失わせるものになっているように思われます。ですが、誰も膝を抜きながら杖を持ち替えることに「こんなこと出来るわけないじゃない。」と言う人は居らず、一生懸命に持ち替えて払うタイミングと膝を抜く動作を合わせようと努めておりました。簡単に出来る動きを簡単におこなうことは、恥ずかしい思いや出来ないという自己嫌悪に陥ることは無いでしょうが、それは私の役割ではありませんので、興味を持ってもらえる動きを分かり易くお伝えし、それが一瞬でも出来た時の喜びを味わっていただき、再度それに向って取り組んで頂くことが私がおこなう役割であると思っております。これは人それぞれですので、すぐに出来る簡単なものを選ぶか、何度も失敗して諦めずに取り組み続ける時間を選ぶか、そこにはさまざまなものも関わっておりますので、何かが出来るようになるということは、それなりの関門を突破してそこに至るという事です。そしてそれを続けることが出来るには、さらなる関門を突破して行かなければなりません。しかし、技術を上げるというのはひたすらにそのことを稽古するのではなく、じつはそうした目に見えない関門を突破したことで自然と出来るようになっているということだと思われます。ですから、技量と言うのは身体のことだけでなくさまざまな状況判断や、その状況判断を生み出す心の部分も大きく関係しているのです。

 最後は30分間抜刀術をおこないました。ご要望にお応えし今回も「鷲眼一閃」をおこないました。七十代後半のSさんの動きに目を見張るものがあり、転倒させないため靴下を脱いでいただきましたが、このご年齢の方の動きとしてはチョット驚くような動きが見られるようになりました。何せ、抜き付けと同時に宙に浮いていますので、その姿勢と着地も含めて、「こういう動きが出来るのか…」と、指導しながらも驚きます。もちろんまだ完成形ではありませんが、ご本人が身体の働きの面白さに気がつき、エネルギーを使う抜刀なのですが、何度も何度も抜いておりました。その時の全ての対応が、稽古で何かを得た瞬間のものになっておりました。「信じて掛かる」ということが、その答えを自らで潰してしまわぬように信じきれるかどうか、自らを誤魔化すことの無いようにできるかどうかということも含めて、稽古は問われるものです。勿論私自身もそのことには向き合いながら、少しもで出来た、上手になった、と一瞬は良いでしょうが、いつまでもそのように感じてしまってはそこで終わりですので、逃げずに恥を晒しながら稽古で失敗を繰り返して行く事です。そこには当然前に進もうとする考えがなければなりませんが。

 武術稽古をしていて、楽な気分と言うのは皆無です。楽しさや感動というのは何かを見出した瞬間ですので、常に自問自答し、その自問自答が合っているのかどうか、もっと外側から観られる眼を養いながら同時に内なる眼も養わなければなりません。眼を養うとうことは一体どういう事なのでしょう。

 それは生き方とも直結していますし、見直し修正邁進、生きる指標を手掛かりに次の地点まで進んで行くのでしょう。そうしたことの繰り返しで、いずれ眼の養い方の差が人生の選択や周囲の環境、日常の習慣などに大きく影響してくるものと思われます。そしてそのことは、身体を通じてでなくては実感できません。殺人刀、活人剣、どの時代においても兵法からなる生き方の探究は求められているものです。人間の凄さ、身体の不思議さ、そこに目を向ければ日常の情報に捉われず、我が信ずるものを大事に他に邪魔されずに突き進むのみ。それで大丈夫。ということなのです。


 金山孝之 指導・監修 DVD
『古武術は速い~“型の手続き”を追求した剣・杖の実践的な体使い~』


金山剣術稽古会

2019年12月 武術稽古日程

2020年1月 武術稽古日程

甲野善紀先生からの紹介文

2019-12-10(Tue)
 

メジロでおだやかに

 昔から寝ているときの夢をよく覚えていて、普段の生活リズムのときは滅多に不思議な夢は見ないが、先週の月曜日は一度目覚めて、トイレに行ってから再び同じ夢の続きを見るという不思議な現象でした。設定も登場人物の集団も同じ。寝坊気味に目覚め、よくこんな事を私の頭は思いついたなぁと思い、一時間掛けてその内容をメモに記録。一週間経った今でも夢の雰囲気を覚えており、まるで本当に見たような記憶の中に収められている。

 書くつもりは無いが、人生で不思議な現象は度々経験している。この目で見たことや、一緒に居た人と不思議な現象にあったこともある。霊的なものは見えないが、怖くない不思議な経験は度々訪れて来る。今はそうした事にあまり驚かなくなったが、そういうことに対し妙な安心感が湧いてくる。不思議なもの怖いものはこの世の目に見える日常に他ならないので、ネットが人の悪意を増長させている時代の中で、それに染まらないように距離を取っていかなくてはならない。


 さて、本日火曜日は「クラーチ剣術教室」での講習でした。今日は杖術の新たな展開となる「攻防一体」の原理で身体の使い方をお伝えいたしました。これは私自身にとっても「旬」の原理であるため、支点の使い方、それに応じた脚部の流れ、体の転換と支点の関係、等々から杖に導かれ身体が働くことに身体が興味津々なのであります。

 これは今までに無い感覚であり、「支点」、「慣性による転換」などは、杖を滑らせる持ち手や操法では考えられない働きであります。これを70代~80代の方にお伝えするのですが、とうぜん上記の「」を理解して頂くのは難しいのですが、身体の実感というのは受けを付けて打ち込んだ際の抵抗感の有無の差によって感じていただくことができ、そこで支点の使い方の意味を感じていただくことは出来たかと思います。

 開始後30分して休憩。次に三十連円打をおこなおうと思っていたのですが、休憩中にもそれぞれが攻防一体の続きをおこなっていたものですから、この流れを断ち切る理由は無いと、そのまま残り30分この内容を続けて参りました。けっきょく、約1時間ほど杖術の新原理「攻防一体」の稽古にみなさん夢中になり、夢中のままに杖の講習は終了となりました。

 最後の30分は最近は抜刀術を毎回おこなっておりますが、今回は抜刀術「鷲眼一閃」をお伝えいたしました。これはみなさんにお伝えするにはどうかと考えていたのですが、やって良かったと思いました。私も分かり易くお伝えするために色々な事を考えるのですが、その噛み砕いてお伝えすることが私自身の理解や深まりとなり、あらためて実感を持てることに喜びが訪れるのです。

 重心が先導し、柄を噛む右手が身体を引っ張る。そこに左大腿部を引き上がらせ、鞘を逆に出しながら左足がともに回りこむように送り出される。重心、慣性、浮き身が手順良くおこなわれることで、得物の重さが劇的に軽減され切っ先が実感予測を超えて奔ってしまう。

 鍔は正中線より左側。体からは二寸以内。構えでは右足前の状態から、左足が鞘とともに前に出ながら両足ともに床から脚が離れている間に抜き付けられている。常識からは大はずれとされる抜刀であるが、身体の実感としては稽古に値するものであり、実際に有効であると思われる。

 Sさんが、何回かに一度、得物の重さが軽くなる抜き方が出来たと喜んでおられました。こうしたご本人の身体で実感出来ることは、紛れも無い事実を身を持って体験されていることですので、稽古に夢中になり続けて下さるのも納得できます。

 稽古や講習では、初めておこなう事というのは喜ばれることが多いものですが、それは前提として伝える側の指導者の熱が新鮮なものを自分で興奮に近い思いで受け止めているからであり、それが空気としてみなさんに伝わっていくのだと思います。つまらない稽古や講習というのは、その人自身の身体で得たものではなく、どこかで学んだり映像で見たものをおこなっているだけであり、知識的なアドバイスが豊富でも、伝わってくるものに実感が少ないように思われます。もちろん私自身も全て自分で得たものではありませんし、師の動きや原理を稽古しながら、ようやく自分なりに感じた一瞬のものを、なんとか形にしようと努めております。しかし、「これは発見だ!」と思っても、よくよく考えたら数年前に既に師がとっくに説明されていたことであったり…ということが多く、その都度、師の凄さを感じるのです。

 「表裏一体実と成す。」この原理は今後の私の稽古において重要な意味をもってくると思いますので、敢えてそこにこだわって、これからの稽古に望みたいと思います。


 講習後は、月初め恒例となる食事会。もう私もここに来て六年目。擦れ違う方々や、フロントスタッフの方、レストランのスタッフの方、皆さんとにこやかに挨拶が出来ることの嬉しさが、週に一度の私にとっての癒しでもあります。レストランに入るとWさんが窓際にそっと近付いておりましたので、私もそっとWさんの後ろから驚かそうと思って近付いたのですが、そこに全く誘われること無く、どうやら庭の木の枝になにやら鳥が居るらしく、「どれどれ、」と私も探して見たところ目の周りに白い淵があり小さくて丸っこい形をした鳥が居ましたので、「メジロですよ!かわいいですね。」とWさんにお伝えし、直ぐに居なくなってしまいましたが、久しぶりにメジロを見ることが出来ました。生徒の中でもWさんは一番若く昨日が誕生日だったそうです。そんな今日も食事中の会話は色々と花が咲きました。帰りは家の近くの木の枝に偶然にもメジロを見つけることができ、のどかな一日となりました。本日もみなさまありがとうございました。


 金山孝之 指導・監修 DVD
『古武術は速い~“型の手続き”を追求した剣・杖の実践的な体使い~』


2019年12月07日(土)『杖術 特別講習会』(お申し込み受付中)

金山剣術稽古会

2019年12月 武術稽古日程

2020年1月 武術稽古日程

甲野善紀先生からの紹介文

2019-12-04(Wed)
 

表裏一体となる生き方の求め

本日火曜日の「クラーチ剣術教室」では、いつも会場に到着して更衣室へ直行して着替えております。更衣室は男性風呂の脱衣所を使わせて頂いており、いつもここで朝風呂上がりのTさんとお話しながら着替えております。

 Tさんは80歳代で、一時期剣術教室にも入られておりましたが、合唱で舞台に出られたり、諸々の事情から時間が取れなくなってしまい今はここでお話するのが恒例となりました。睡眠時間の話になり、私も自分のことを棚に上げて、「ああ、もっと早く寝なければいけませんねー」と心配したり、お昼寝をお勧めいたしましたが、ついスマホを見てしまうそうなので「スマホは良くないですよー」と、こうして心配する自分に自分が驚きました。やはり毎週お会いする方とは気持ちが家族や友人に近いものになってますので、考える前に言葉になってしまうのです。「それじゃあ、また来週。行って来ます!」と言っていつものようにお別れいたしました。

 講習では、皆さん元気な女性陣のパワーにこちらが元気をいただいております。今日は月曜日に気が付いた眼の使い方と表と裏についてもお伝えいたしました。

 やはり目の誘いというのは強く、それが無意識的にそのようにおこなわれているものですので、悪い意味で我を忘れてしまっている瞬間になっているのです。そこで表の部分と裏の部分を一つの動きの中で分解してお伝えし、見落としてしまう裏の部分を目を瞑って動いていただき、徐々に目を見開いて感覚としては眼を瞑っていたときと同じようにおこなっていただきました。

 想像していた通り、目を瞑っての動きに誘われるものは無くなり、間違えが少なくなってきました。つまり表の誘いに裏が消されてしまうような目を開けた状態から、目を閉じ感覚的に眼を見開くことで、裏の部分に意識が働き、表裏一体となる動きに近付くものとなりました。これには、表情を見ておりますと納得していただいた方も見受けられましたので、どうしても上手く行かなかったり力んでしまったりする場合や、一緒に動くと動けるのに一人になるとどうしても出来なくなる方は、目からの情報における誘いが強いと思われますので、目を瞑り身体感覚、得物との接触部や得物の動き遠心力慣性など、そうした部分へ意識が働くようになると、目を使わなくても多くの情報を身体がインプット出来るように導いてくれます。

 もう一つ面白いなと思ったのは、横に一緒になっ動いていますと、良い誘われ方をしますのでスムーズに動けるのですが、正面に向かい合って動きますと、悪い誘われ方となり、簡単な筈のことも消滅してしまうのです。こうした目の誘いというのは、良い誘いも悪い誘いも、総じて身体感覚には入って来ておりませんので、目で見て覚えるというのは、それだけでなく眼で観れるように自分の身体感覚に落とし込むように目を使うことが大事になります。ですので、一人稽古のような周囲に人が少なくスペースが空いていれば目を瞑って複雑でない動きに感覚を研ぎ澄ませるように集中しておこなうと、目を開けて鏡の前で姿勢をチェックしながらおこなう方法よりは何倍も稽古になります。

 鶏が先か卵が先か、目が先か心が先か、耳も心に影響してくるでしょうから、どちらが先かという問題に通じると思います。ですが、目は無意識的にさまざまな動きをしていますので、その動きを心理的に把握し誘いを断ることが出来るようになれば、人としても一段階変われるような気もいたします。勿論そんな事が出来るかどうかは解りませんが、だからこそそこに、何らかの飛躍があるようにも思えてしまうのです。

 「知らなかったことを知る」ということは、生きている上でこの上ない喜びの瞬間でもあります。自分自身でそのことを実感でき、何度でも味わえることは、知らなければその事実を感じられないままに過ぎてしまいます。身体のことについて実感を得られるという事は必要な求めでもありますので、そうした裏の眼で身体を観て行きながら、表の目で今の世の中の日々の出来事に汚染されないように表裏一体となる生き方を模索して行かなければと思います。


 金山孝之 指導・監修 DVD
『古武術は速い~“型の手続き”を追求した剣・杖の実践的な体使い~』


2019年12月07日(土)『杖術 特別講習会』(お申し込み受付中)

金山剣術稽古会

2019年11月 武術稽古日程

2019年12月 武術稽古日程

甲野善紀先生からの紹介文


2019-11-20(Wed)
 
プロフィール

金山孝之


     金山 孝之
  Takayuki Kanayama


1975年生まれ
福岡県北九州市出身
東京都世田谷区在住

松聲館技法研究員

金山剣術稽古会主宰

Gold Castle
殺陣&剣術スクール主宰

高齢者のための剣術教室
クラーチ剣術教室講師


1999年
映画監督中田秀夫氏との出会いにより映画に出演。そのほかマンダムのモデルや舞台のプロデュース公演などをおこなう

2006年
小林照子先生とのご縁から
「からだ化粧」のモデルを務める

2009年
武術の道を志しそれまでの活動を一新し武術稽古と研究に励む

2011年
武術研究家甲野善紀先生に師事し「抜刀術」「剣術」「杖術」「体術」などの稽古と研究に取り組んでいる。また、先生の書籍、番組撮影、記録映像、その他演武等における打太刀や受けを務めている

2013年
刀と身体操作の技術向上を目指し裾野を広げるべく「Gold Castle 殺陣&剣術スクール」を発足

2014年
甲野善紀先生より
「松聲館技法研究員」を拝命
自身の経験を活かした指導法を各道場等でおこなっている
 
シニア住宅にて
「高齢者のための剣術教室」をおこなっている

日信工業株式会社の製品
「SAMURAI BRAKE」のプロモーション活動に携わる

2015年
「金山剣術稽古会」を発足
現代における武術稽古の必要性を身体と心で学べる場として活動している

2018年
「関西特別講習会」として定期的に関西地域での講習会を開催

2019年
BABジャパンよりDVD『古武術は速い』刊行

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