FC2ブログ

峰返し潰しが手刀で出来るようになる

 本日は高田馬場にて渡部氏とA氏との稽古。二人が訪れるまで納刀稽古をおこない「稲妻抜き」を二本抜いて終了。今日はこれ以上やらない方がいいような感じだったので、丁度訪れた渡部氏を相手に木刀を使って「峰返し潰し」を確認。

 この峰返し潰しは、Gold Castle殺陣&剣術スクールの講習会や関西での講習会でも好評をいただける内容である。どういった技かというと名前の通り、相手の首筋へ木刀の峰側を付けて浮きとともに下まで崩すというもの。好評の理由は、上手く通ると首への負担が感じられないどころか、心地良ささえ感じられるのである。なぜ気持ちが良いのか不明であるが、身体の中を抵抗無くエネルギーが抜けて行くところになんらかの心地良さが得られるのかもしれない。だから、見た目は痛そうであるが受けている側は、心地良さに喜んで受けていただけるのである。しかし、腕力で強引に行ったり、方向が間違うと首への負担があるため、この稽古では腕力に頼る人にはお勧め出来ない。

 峰返し潰しの利き具合を確認し、フト手刀でやってみようと試みた。
 これは以前にも試したことがあったが、全然通用しなかったので即諦めたのであるが、今日は反対側の手で試みたのである。「たぶん駄目だろうな…」と思いながらおこなうと、「おやっ?」渡部氏が軽く崩れた。そこで、木刀による峰返し潰しを私から数百発受けている渡部氏に感触を聴いてみたところ「ちゃんときてます。」とのことだったので、俄然やる気を出して丁寧に何度かおこない峰返し潰しと同じように崩せることが出来た。

 そうしているうちにA氏が訪れたのであらためて稽古開始となる。
 A氏にも手刀での峰返し潰しを体感して貰い、首が痛むことなく下まで崩せることが出来た。私も受けてみたいと思い渡部氏にやり方をお伝えし楽しみに待っていると「ドンッ!」と足が浮かされ体が沈んだ。これには「おおー!」と歓喜の崩され方であったが、今日は杖術も重要であったが、この手刀による峰返し潰しが出来たことは大きな収穫であった。

 この峰返し潰しは、相手が普通に立っている状態でエネルギーが通っていくかを検証するものであり、構えてやられまいと準備している相手に対しても万能という訳ではない。ただ、普通に立っているだけでもエネルギーを首から下まで通すのは難しいものであり、力技でおこなわないことで身体運用の質が高められることを目的としている。この技は、DVD【古武術は速い】の中でも細かく解説しており、木刀の付け方、足の使い方、重心についてなど私が試行錯誤して得た方法をお伝えしている。また解り辛いかも知れないがWEB動画「かざあな。剣術編」の中でも、受け流しの直後にこの峰返し潰しをおこなっている。(02:44~02:48辺り)

 とにかく、手刀で痛み無く首から足元へ崩せる通し方が出来たのは興味深いものであり、手の使い方も繊細で微妙なところが面白い。機会があれば講習会などでいろいろな人を対象に試してみたい。

 杖術では、「二杖之位」に下段と中段があり、そのいずれも形は少し異なるが、体感的なものは同じであることが解った。おそらく今後上段にも気が付くかもしれないが、左右対称に出来るのかどうかも含めて「二杖之位」からなる操法を研究して行きたい。今日その中から一つ、下段からの払い打ちと分かれる形として払いからの突きが生まれた。つまり、下段の構えから、どちらも瞬間的におこなえるため、相手は非常に対応が難しいものとなってしまう。一つの動作が二つに繋がる。まさに表と裏が一つになっておこなわれている。これは明後日土曜日の『杖術 特別講習会』でお伝えする予定。今回は私もこの講習会に先駆けて急激に訪れた新展開に興奮気味であるが、これまでにない杖の操法であるため、杖に関心のある方は本当にお越し頂いて損は無い筈である。ここまで言い切るのも私としては珍しいが、杖というより、武器術として有効な使い方を求めている方にもお勧めしたい。

 それにしても連日、新たな展開が訪れ驚いている。全ては流れのままに、そこに身を落し順じて行くしかない。

 本日もありがとうございました。


 金山孝之 指導・監修 DVD
『古武術は速い~“型の手続き”を追求した剣・杖の実践的な体使い~』


2019年12月07日(土)『杖術 特別講習会』(お申し込み受付中)

金山剣術稽古会

2019年12月 武術稽古日程

2020年1月 武術稽古日程

甲野善紀先生からの紹介文

2019-12-05(Thu)
 

二杖之位

 このところ連日私の中で展開が進んで来ている。これは、自分でどうにかしなきゃ、というものでなく、勝手にそうなっているような、今これを書いている心持ちからすれば、他人事の出来事を記しているような感がある。

 そうした日々より少し前の11月中旬辺りは、武術の厳しさ、というものを深層部で感じるものがあり、それは生存に対する厳しさというよりは、「稽古の今すべてがどうであるか」という事に感じさせられるものがあり、しばらくは自分を責めたくなるような思いに苛まれていた。

 だが、その思いを断ち切り、前に進ませてくれたのも稽古からの教えである。そしてそのような教えというのは誰かに伝えてもらうものではなく、自らの身体と感覚で断定的に気づくことである。しかしながら、そこには無意識レベルでの教えが既に心身に与えられてているので、結果として直接観て触れて学んだものを、無意識のうちに自らが意識下に引き出したということなのだろう。

 そんな11月中旬の心境は、いずれ何らかの状況が訪れる前触れだったのかもしれない。今だからそのように感じることができる。

 稽古記事に入る。

 本日は戸越体育館で渡部氏と稽古。
 稽古の大半は杖術をおこなった。「攻防一体」「燕打ち」「大燕打ち」を一通りおこない、あらためて点検。技というのは突然生まれるものである。出来たものが技であり、そこに練習してなんとか出来るようになったというものは無い。技という原理や理合いに身体が合っていなければ稽古を重ねても出来ないものである。逆を言えば、原理や理合いというものを身体が感じられれば、突然出来るようになるということでもある。勿論そのレベルに応じての話であるが、それでもその世界というのは安易には拓けないものであると思われる。そこに身体の面白さがあり、稽古における「一寸先は気づき」が待っている。

 今日の記事のタイトルにある「二杖之位」(にじょうのくらい)。これは新たな杖術の操法における構えの名称である。二杖とは、杖を二本使っているかのような状態であり、そうした状態で人が立つことを意味したものである。

 その構えから新たに「二杖転換」という組杖における攻防の型が生まれた。これは「攻防一体」の原理を互いに用いたものであり、その特性から間髪入れず転換した動きが生まれ、そこに両手を寄せ支点を転換に用いた二杖之位から放たれる技は、私にとって大変新鮮なものであり、今後の展開がどうなるのか非常に興味深い状況となっている。

 「表裏一体実と成す。」という自分の中から湧き出た言葉が、私の中で大きく堰を切ったように杖術を変える事になった。勿論今までの操法も今後研究して行くと思われるが、この「表裏一体実と成す。」という、眼の使い方からこの言葉が誕生したが、こうした思想であったり、信仰や、真理を求めることが技や身体の使い方の原理に関わってくることを、今回初めてといえるほどの驚きとともに身を持って痛感している。

 最後におこなった抜刀術にもそれは関係してきた。
 「稲妻抜き」の研究で、まだ講習会でお伝えしていない新たな脚足の使い方(見た目には区別が付かないと思われるが)の理解が進んだのであった。それは、表を意識して身体の使い方を工夫しても、どこかに無理が生じ、それが違和感や居着きに感じられてしまうことにある。しかしながら以前までは、それが一番心地良く抜けるものとして身体が選んだものであり、身体が馴染んできてようやく違和感を覚えるのである。

 そこで、11月後半辺りに一人稽古で脚足の使い方をあらためたところ、居着く感じが無くなり初動の違和感が解消されたのであった。しかし、この左右の脚足の操作手順の難しさになかなか身体が馴染めず、どうしたものかと、一人稽古の度に感じていたのであったが、今日の戸越体育館での稽古で、それは、表表で考えているから結果として実にはならないのだということが解り、裏の動きがどこにあるのかは、身体が感じているものなので、目に付き難いこの裏の脚部の操作には一瞬一手間掛かるのであるが、その裏の動きを省略してしまっては、全体としての実にはならないことが「表裏の見眼」の原則から悟ることができ、身体はこちらの採用を選んでいるのだが、手間が掛かっているような気がしていた不安は、「表裏一体実と成す。」という言葉で納得できるものとなった。当然であるが、表に見える手間は無駄な手間であり、表裏一体にはならないが、裏である裏方の影なる働きは省略していいものではなく、その辺りの見極めが「表裏の見眼」には重要となってくる。

 稽古の成果というのは、自身の身体でも感じることが出来るが、より成果を感じることができるのは、そのことを目の前でおこなっている人の動きによってである。今回の「稲妻抜き」の稽古では、渡部氏の動きと音がこれまでにないものとなっており、私も共に研究しながらおこなっていたが、音により進展具合が解る。それは、瞬間的に断定的にそう感じるものなのである。そうした事も関係してか隣の道場で稽古をされている団体の方が珍しいことにこちらの稽古を覗きに来られていた。もう四年ほどこの時間帯で稽古しているが、隣もいつも同じ中国武術の団体で慣れている筈であるが、見えない稽古風景をこうして覗かれたのは初めてであった。

 何か自分の中で、技量はさておき、今までと違う展開になってきたことは感じているので、そうした時期と流れに身を任せてこれからも稽古に向き合っていきたいと思う。さまざまなことに感謝いたします。


 金山孝之 指導・監修 DVD
『古武術は速い~“型の手続き”を追求した剣・杖の実践的な体使い~』


2019年12月07日(土)『杖術 特別講習会』(お申し込み受付中)

金山剣術稽古会

2019年12月 武術稽古日程

2020年1月 武術稽古日程

甲野善紀先生からの紹介文

2019-12-05(Thu)
 

杖術が思いがけぬ展開に

 本日月曜日は、雨のあがった夕方から高田馬場で竹田氏と稽古。今日も会場へと向う道中で新陰流兵法の先生とバッタリ遭遇。「よくお会いしますね。」とまだお名前も伺っていなかったことに後から気が付く。会場まで一緒に向かい、自然とそれぞれの流れに入る。

 17時に竹田氏が訪れるまでの10分程、杖術で先週木曜日に気が付いた「燕打ち」と一昨日土曜日に気が付いた「大燕打ち」と「攻防一体」を確認していた途端、身体がまさかと思える感覚に芽生え始めた。

 それは、杖を両手寄せで操作するというものである。


 これは講習会や稽古会、またはこうした稽古記事などでお伝えするために奇をてらったことをやろうとしたものではなく、また、剣術と同様に両手を寄せておこなってみようなどと安易な発想からではない。もしそうだとしたら数年前からとっくにやっている筈である。

 なぜ、これまで杖を両手で寄せて扱うことを試みもしなかったのだろうか…

 おそらくそれは、杖は滑らせるものであるという強い意識が根幹となって働いており、それを基盤に技というものを考えていたから、滑らせることありきで全てがおこなわれていたのである。もう一つは、杖の手触りと形状から、これを寄せて持つのは道具の働きを活かしきれていないという手之内の感覚が、自然とそのようにさせていたのだろう。まして中途半端に滑らせると利きが悪くなってしまうため、より滑らせることに対する執着が今の今まで私が私に言い聞かせていたのだ。

 では、どうして両手を寄せる試みを始めたのか?

 それは先週の木曜日からの流れがあり、渡部氏とA氏が互いに向き合っておこなう、杖の突きを見ていた際に、突如として「燕打ち」の動きに気が付いた。それは手之内を滑らさないものであり、この発見に至ったキッカケは、このところしきりに言葉にも文字にもしている目の使い方と表と裏の事が、潜在的に動きを考える上で、裏の一手間に気が向うようになったからではないかと思うのである。

 つまり、これまでの技や操法というのは、淀みなく瞬間的におこなえるものとして審判していた。しかし、それは表の動きを素早くおこなうという事だったのかもしれない。裏の動き、裏の眼、表裏一体となって実と成す、という自分で考えたフレーズであるが、裏の部分に眼を向けることで、これまで考えていなかった手間が、実は表を活かすものであり、まさに表裏一体となる動きとなるのだと思う。さらには、裏の部分というのは目で捉え難いものなので、手間を掛けても、そうした裏の動きから繋がる表の動きは読みづらく、如何に素早い動きであっても、表表のつながりは目で捉えやすいものであり、表裏の動きはよく解らないのである。

 何をもって、表なのか、裏なのかは、実感としての判断であるが、現時点のレベルにおける捉えられる動き、目で確認出来る動きが表であり、捉えられない、目で確認しづらい動きが裏の動きである。さらに言えば、動きというものは表裏一体であり、表があるから裏があり、裏があるからまた表になって行くということ。その表と裏の境目は身体で感じるものであるが、それは見るのではなく観る感覚が求められる。

 少し説明が長くなってしまったが、そうした裏の動きに目が向かうようになり、手間を使ってもそれが良く解らない捉え難い動きであり、それが今までにない操法の扉を開いてくれたような気がしたのであった。

 そして一昨日土曜日の金山剣術稽古会でまたしても突然「大燕打ち」が生まれ、よくこんな手之内に迷い無く断定的な形が生まれたものだと驚いたが、こうした突如として生まれたものというのは、稀に訪れるが、身体の使い方や手之内に全く迷いが無く、身体が先に知っており、それを教えてくれているような不思議な感覚なのである。

 その「大燕打ち」を渡部氏におこなってもらい、私がそれを杖で受けながら威力を確かめようとしたところ、これがなかなか強力で、手之内がビリビリと痛くなるので、思わず両手を寄せてみようと試したところまるで平気なのであった。

 「これはなんだ?」と、不思議に思い、もう一度両手を離して構えた状態に打ち込んでもらったが、やはり手が痺れる。あらためて寄せてみると平気だ。そこで手之内を含め色々検討してみたところ、まず、杖の握り方が大事であることが解った。次に解ったことは、両手を寄せることで支点が支点たる働きとなり、相手の力を自然に流してくれる作用がある。この手之内の使い方と支点の使い方は、新たな両手寄せの受け方として得るものがあり、さらにその働きを活かした「攻防一体」なる動きが誕生した。この日、土曜日に得たものはとても大事な芽であった。

 そして本日の稽古で、両手寄せの受けの形や攻防一体の動きをおこなっていた時に、「そうか、両手を寄せても杖は出来るのだ!」という事に身体が気付いたところで竹田氏が訪れ、その興奮冷めやらぬ瞬間を説明して稽古に入ったのであった。

 
 稽古では、「燕打ち」や「大燕打ち」「攻防一体」などをおこなったが、この「攻防一体」が体捌きのための稽古だと思っていたが、抜き技に使えば十分技になることが判明し、そこでまた両手寄せによる操法の新展開に身体が、新しいジグソーパズルを手にしたような、最初のうちに埋められるピースをドンドン埋めようとしているような身体の状態で、今後しばらくは取り憑かれたように没頭するだろう。12/7の杖術特別講習会では、「攻防一体」「燕打ち」「大燕打ち」の三本柱が急に生まれたので、これをメインにお伝えすることになりそうだ。

 今日は竹田氏から、「杖を打ち込むときは手之内を強く握り締めていますか?」と質問があり、お応えする形で実際に握り締めた場合と、指関節で締め込んだ場合とで打ちの強さを比べてみた。

 どちらも大して変わらないものだとお伝えしたかったのであるが、どうやら握り締めた方が身体が使えず弱くなってしまうことが判明した。これは昨日おこなった体術稽古で、「蠢動」の利きが良いのは、身体に不安なほど何もさせない方が良いのと同様であるということだ。しかし、「蠢動」をかけなければ、何もさせていない身体の状態は脆いものであり、杖で強く打ち込む際にも、身体の働きが無ければ、手之内を強く握り締めた方が、指関節で締め込んだ場合に比べ腕の力が使いやすく強力であろう。ただし、それでは身体の他の部分が働かないように止められてしまうので、身体の使い方によって身体の状態というのは臨機応変に合わせて行かなければならないということである。

 もう一つ「今ごろ気が付いたか」と思ったのは、「鯉口を切る」ことの意味である。大体は鎺(ハバキ)で締まっている鯉口部分から少し抜き出してすぐに刀が抜けるようするためだと思われるが、それだけでなく鯉口を握る左手の置き方に、鯉口を切る空間が必要であることが今更ながらに解ったのであった。もちろん、解ったからと言って何も変わる訳ではないが、下手な人が抜けずに引っ掛けてしまう場合、左手の置き所と鯉口の切り方が宜しくないと思いますので、鯉口の切り方から、鞘を引いた最後の左手の形、指の抜き方など工夫できるところは多々あります。

 竹田氏との稽古が終った後、30分ほど杖の一人稽古をおこなった。もちろん両手寄せである。

 さっきまで道場内が寒く身体も冷えていたが、一人稽古を始めて10分程で目が開け辛くなるほど汗が吹き出た。その間にまた新たな動きも生まれた。支点を使いこなすことが両手寄せ操法のカギであり、その分変化も多彩で全てが速い。その変化に脚足が導かれるようにこれまでとは違う動きの流れに、身体も喜んでいるようだ。自らの顔面を打ちそうな怖さもあるが、従来の滑らせる操法に比べ、支点からの多彩な変化と攻防一体の流れ、両手寄せにより打ち込みの威力も上がるので、今後興味を持って取り組むであろうこの杖術は何とも異質な動きである。今後、これが剣術にどう影響するであろうか、もしかすると体術にも何らかの影響があるかもしれない。だが、今はただ杖術の稽古に没頭したい。そんな気分である。


 金山孝之 指導・監修 DVD
『古武術は速い~“型の手続き”を追求した剣・杖の実践的な体使い~』


2019年12月07日(土)『杖術 特別講習会』(お申し込み受付中)

金山剣術稽古会

2019年12月 武術稽古日程

2020年1月 武術稽古日程

甲野善紀先生からの紹介文

2019-12-03(Tue)
 

杖術でひさしぶりに新たな技が生まれる

 今夜は久しぶりに関西での講習会で世話人を務めて下さっている川原田喬生氏と電話でお話をした。1時間が10分位に感じるほど会話が途切れずに飛び出していく。特にさいきん関心のある眼の事について関心を持って聴いていただいた。現代は目が誘われすぎているので、我を忘れてアクションを起こし過ぎている。目が誘われない眼の使い方の訓練は日常的にも出来るので、目が誘われる、心が捉われ執着してしまう、解っちゃいるけど変えられない部分でもあるが、武術稽古における眼の養い方は目からの意識と感覚からの意識に分かれるため、感覚からの意識を誘われない目の在り方として身につけられることが出来れば、武術のみならず人としても大きな進展となるだろう。


 振り返って火曜日の「クラーチ剣術教室」では、思わず口から飛び出した「目の付けどころ」という言葉に、私もそうであるが何人かの方も納得して頂けたと思います。「表裏の見眼」は、解り易くいえば「目の付けどころ」ですから、どの目(眼)をどこにつけるか、つまりは目を使わずに眼の付けどころが肝心であり、自らの身体のどの部分に目付けをしておくか、それを幾つ同時に観ることができるか。誘われない眼を養い、自らの動きをどのように感じられるか。目と心には、「鶏が先か卵が先か」と同様に「目が先か心が先か」と言える関連性がありますので、心が常に誘われることの無いように、現代における目の情報で表向きの誘いに惑わされてしまわぬよう、稽古で訓練することが自衛の一つにもなっていきます。

 
 そして本日木曜日は、高田馬場で渡部氏とA氏と稽古。

 今日は久しぶりに杖で新しい動きが生まれた。渡部氏とA氏が対になって杖の打ち込みや突き、それに対する払いなどおこなっているのを観ている間に、下方への突きを誘いに相手の払いを受けてそのまま組杖としては今までにない打ち込みに変化させられることが解った。

 右足前でおこなっていたときに自然と出た動きであったが、これを左右反対に左足前でおこなうと、全く解らなくなってしまい、左右で感覚が違うことは当然知っているが、出来なくなるまで解らないのは逆に興味をそそられ、もう一度右足前で身体に教えてもらうことでその理由が判明した。

 つまり、表と裏でいうならば、目に付き難いこの裏の動きが手前側の手の動きにあり、右足前ではそれを自然とやっていたのであった。だから「技となった」のであるが、意識とは違う部分がそのように動いてくれたので、あらためて無意識でおこなうためには、身体の経験と慣れ親しんだ感覚の多様性は必須であると思った。

 この技は、相手にしても誘いの突きを払った直後にこの変化に対応するのは形的にも厳しいため、有効な技といえる。タイミング的に12/7(土)の『杖術 特別講習会』でこの技をお伝えしたいと思う。それまでには技の名前を考えておきたい。

 今日は、久しぶりに訪れた新しい動きに私も興奮気味に時間を割いてお伝えしたが、他には剣術で「払いからの斬突き」や「連続切り返し」をおこない最後に抜刀術をおこなった。

 「払いからの斬突き」をA氏に初めてお伝えしたが、思っていたよりも形になってきた。こうした型稽古の基盤は、感覚的に眼を向けた正面斬りや袈裟斬り、胴斬りなどの精確な操作が通じているので、こうした稽古はいつになっても新鮮味を持って発掘するような気持ちで取り組まなければならない。

 渡部氏も連続切り返し四回までおこなったが、だいぶ近付いてきた感じがしている。まだ四回を精確に出来ている人が居ないので、郁己君が近いところまで来ているが、完全に一調子で纏まって動いている切り返しを私も目の前で観たいと思う。


 金山孝之 指導・監修 DVD
『古武術は速い~“型の手続き”を追求した剣・杖の実践的な体使い~』


2019年12月07日(土)『杖術 特別講習会』(お申し込み受付中)

金山剣術稽古会

2019年11月 武術稽古日程

2019年12月 武術稽古日程

甲野善紀先生からの紹介文

2019-11-29(Fri)
 

表裏の見眼

 表裏、陰陽、虚実、森羅万象そうした対比が全てにおいて当て嵌まる。当たり前と言えば当たり前のことでも、よくよく考えて見れば不思議なものである。そうした二つの対比が一体となって形を成している。

 なぜだかこのところ、そうした対比を私の中で気にし始めている。これは格好付けてそう言っているのではなく、何故気になっているのか私にも不明なのだ。

 眼のことから、表裏を考えるようになり、先日月曜日の稽古中に風の話をしたことも、偶然「兵法家伝書」の中に触れてあったので、このタイミングに驚いた。

 私なりに表裏のことが気になり出しているという事は、何かしらの意図が身体にあると思われるので、そこに実感的に眼が向き始めたことが不思議な気分である。勿論本を読む前の事なので、何かの影響を受けて気になったというものでもない。

 目眼、見観、表裏を感じることでその実が導き出される。勿論その精度にレベルはあるが、このことはそれこそ森羅万象当て嵌まるものなので、今後の武術稽古における「表裏の見眼」として、陰陽、虚実にも通じる理が身体の実感の中と共に求められている。だがそれは、現時点でどのようなものになるのか想像もつかない。が、身体を信じて断定的に言えてしまう事に従い進んで行くしかない。


 昨日水曜日は戸越体育館で渡部氏と稽古。久しぶりに抜刀術を集中して二時間程おこなった。

 月曜日に「稲妻抜き」の新しい脚足の運用法をお伝えしながら私自身もジックリ身体に教え込んだ。
 この稲妻抜きは、甲野善紀先生の考案された技ですが、私が武術稽古を始めた当初から当時の師範に伝えられ、袋竹刀で右籠手を激しく打たれながら、何とか相手の太刀を掻い潜って小手先へ付けることを必死に稽古した技であり特に思い入れの強い技である。それから現在に至るまでもっとも打ち込まれた技なので、今でもその意識は薄れることなく試行錯誤し続けている。それは、常に赤紫に染まっていた右籠手を精確に打ち込んで下さった師範との稽古に感謝すべき明るい記憶であり、そのことはこれからもずっと身体に染みこんだまま、技の工夫に油断しないものとして刻まれている。

 稽古では、渡部氏に抜刀術十二本を続けておこなっていただいた。
 構え、抜刀、二之太刀、納刀、位置に直る、これを一番目から十二番目まで残心のままおこなう。これを残心のまま十二本続けて稽古した人はまだ居ないので、渡部氏が初めてとなった。

 十二番目まで技を続けておこなうようになった経緯は、二年ほど前に、私の稽古会にフランス人の男性と日本人でドバイにオフィスを持っているIさんという女性が、金山剣術稽古会に数回稽古に参加され、その際に「静から動に繋がる身体の使い方というものを、私がおこなっている剣術の中で意識しておこなっております。」という言葉が私の口から聴こえたので、「そうか、鞘があるということは、まさに静から動を突き詰めたものであり、抜刀術においてそこを目指さなくてはならない筈である。」ということが、この時にハッキリと認識させられたのであった。

 そこで、これまで抜刀術の技を、抜いた瞬間の速さのために身体を整えながら蠢き構えていたのであったが、(それは2012年12月28日に撮影した抜刀術の動画がまさにそうであった)私自身、速く抜くためのことばかり考えており、これはあまりにも酷いと、構え、二之太刀、納刀、位置に直る、までの一切の動きに「静」を求めたのであった。

 まさに今の言葉で言えば、表の動きばかりに捉われ誘われ、裏の動きが全く見えていなかったという事である。

 それからの抜刀術稽古では、「静」を課題としながら「動」へとどのようにして発していくのか、おかげで随分難しくなった。この十二本の一連の流れはやった者にしか解らないものがあり、それが共有出来る人が現れれば、一体どういう共感性が生まれるのか、私自身未熟なので、客観的に観る事で十二本の一連の流れにおける残心が進展していくことに繋がって行くと思っている。

 
 そして本日木曜日は高田馬場にて、渡部氏とA氏と稽古をおこなった。先週、九段下にある武道具屋さん「櫻屋」で新しく白樫の木刀と革鍔を購入したので、今日から使うことにした。その素振りの中で、今まで無意識におこなっていた手之内の操作に気が付いた事があり、正面斬りに関してこれまでよりも意図的にその操作をおこなうことで肩の詰まりが軽減された。正面斬りに関しては、2017年の12月に大きく操法が変わり、これにより、疲労感が減少し速さが向上した。この下段からの正面斬りは、夢中になる「やめられない系」の部類に入る操法となったが、これに身体が馴染んでくると、感動的変化にも不満が感じられるようになってくる。この下段からの正面斬りは、再び感動的変化が訪れるように新しい木刀と共に研究を重ねたい稽古内容の一つである。

 やはり今日の稽古でも、眼のこと、表裏のこと、それをお伝えしながら私自身も探るように観ていった。A氏は18歳と若いため、今後いつブレイクスルーするか分からない楽しみもある。今日の抜刀術稽古では、その欠片を垣間見た気がしたので、「身体と心」そうしたものが、どこかで技と共感出来たとき、これまでにない瞬間が訪れる可能性が高い。現代における武術稽古は、身体と心が真に学べるものとして無くてはならないし、表と裏、眼と誘い、そうしたものを稽古の中で身体的に実感することで、表向きと裏側の魑魅魍魎とした世の中を生き抜いていく術を養って行かなくてはならないと思っている。

 武道武術を金儲けの手段にしてはならないし、そうした表側の誘いを見抜く術を養い、ああなってはならないという、裏側の眼で観て行きながら、ご縁のある人との接し方に活かして行かなければならない。表裏一体となってこそそこに実が在り、本質を観て行けるのだと思う。自らのことを棚に上げてこういうことを書くのは大変恥ずかしいが、書いた責任を持ち精進して日々を努めていきたい。

 一日一日の稽古は偉大である


 金山孝之 指導・監修 DVD
『古武術は速い~“型の手続き”を追求した剣・杖の実践的な体使い~』


2019年12月07日(土)『杖術 特別講習会』(お申し込み受付中)

金山剣術稽古会

2019年11月 武術稽古日程

2019年12月 武術稽古日程

甲野善紀先生からの紹介文


2019-11-22(Fri)
 
プロフィール

金山孝之


     金山 孝之
  Takayuki Kanayama


1975年生まれ
福岡県北九州市出身
東京都世田谷区在住

松聲館技法研究員

金山剣術稽古会主宰

Gold Castle
殺陣&剣術スクール主宰

高齢者のための剣術教室
クラーチ剣術教室講師


1999年
映画監督中田秀夫氏との出会いにより映画に出演。そのほかマンダムのモデルや舞台のプロデュース公演などをおこなう

2006年
小林照子先生とのご縁から
「からだ化粧」のモデルを務める

2009年
武術の道を志しそれまでの活動を一新し武術稽古と研究に励む

2011年
武術研究家甲野善紀先生に師事し「抜刀術」「剣術」「杖術」「体術」などの稽古と研究に取り組んでいる。また、先生の書籍、番組撮影、記録映像、その他演武等における打太刀や受けを務めている

2013年
刀と身体操作の技術向上を目指し裾野を広げるべく「Gold Castle 殺陣&剣術スクール」を発足

2014年
甲野善紀先生より
「松聲館技法研究員」を拝命
自身の経験を活かした指導法を各道場等でおこなっている
 
シニア住宅にて
「高齢者のための剣術教室」をおこなっている

日信工業株式会社の製品
「SAMURAI BRAKE」のプロモーション活動に携わる

2015年
「金山剣術稽古会」を発足
現代における武術稽古の必要性を身体と心で学べる場として活動している

2018年
「関西特別講習会」として定期的に関西地域での講習会を開催

2019年
BABジャパンよりDVD『古武術は速い』刊行

お問い合わせ

名前:
メール:
件名:
本文:

管理画面
金山孝之のブログQRコード
QR
月別アーカイブ