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予想せず無意識に委ねられるか

 昨日水曜日は、広島から親友が訪れ再会することが出来た。非常に感動的な時間であったがその事は次の記事で記したい。

 まず、今日木曜日に高田馬場でおこなった稽古では、一人稽古の時間で、抜刀術を一時間近くおこなった。これは金山剣術稽古会の「今日の気づき」という新たなページにも掲載したが、「天神抜き」という甲野先生の技を参考に稽古している技の中で、今日は鞘を出さずに通常の角度で構えた状態から、身の転回と同時に鞘を天神に回しながら引き上げ、刹那に落下しながら鞘を引くことが可能となった。
 以前は、右手も上げて準備していたが、昨年辺りから右手を下げていても問題なく抜けるようになった。しかし、鞘は引き上げておかなくては心理的に居着いてしまい整った動きが出来る気がしなかった。それが何故だか今日の稽古で、鞘を引き上げず通常の帯刀に近い状態で、右手も下げた状態から整うことが出来た。これは稽古を重ねて慣らしたのではなく、突然に出来る気がしたのでやってみただけなのである。さまざまな働きが関わって稽古の度に出来るようになることは多々あるが、私の場合は得物に特化した稽古が多いので、それは当然得物稽古における確率が高い。

 むかし、右手に持ったきゅうりをそのまま落して、落ちる前に斬るというようなことを撮影したが、それもそればかり稽古したということではなく、出来る気がしたから出来たというもので、出来ないと思えばやらないし、出来ないのである。出来てしまえば、出来る気になり、なぜ出来ないと思っていたのかが不思議なほど、解らない変化が心身の間で起こっている。勿論それは気のせいではなく、実際の体験から心身の整い方が勝手に変わってくるのだと思われる。

 だから、さまざまな稽古において突然閃くことや何かが出来るような気がして、実際出来てしまうことがある。(勿論私など未熟なレベルでの出来るというものであるが…)技とか何か考案したものというのは、その動きを何度も何度も上達させて作り上げるのではなく、突然の閃きから何かが生まれ、それが形となり、残るものとなるのである。従ってそれは既に出来ているものであり、さらに進展する場合もあるが出来ないものをようやく形にしたというものではなく、出来るものが見つかりそれを形にしたということなのだ。その出来るものがどうしてとつぜん訪れるのかは不明であるが、おそらく、意識と無意識の中で常に脳がその事を気にしているから、それを探る稽古法であれば、無意識の働きを見方に付ける事ができ、現時点でのレベルの中で訪れるものがあるのだと思う。それは一段階ずつ高めて行かなければならないものであり、だからこそ毎回の稽古が必要であり、かつ新鮮(神聖の誤植ではなく)な場でもある。

 その他の気づきでは、「津波返し」という技で、前足指の抜きが今までは沈み込みと合致しなかったのであったが、今日は問題なく合致して動けた。

 もう一つは、抜刀における右手首の角度も初動における伝達には重要であり、心理的居着きとなりやすいが、それよりも優先できる柄に触れた際の伝達ロスの減少を実感出来た。些細な実感は、当時は気付かぬものでも、その時が来れば実感出来るようになっている。それはなぜだか分からないが、そうしたものがあるのだろう。ひたすら稽古すればそれが直ぐに訪れるとも思えないし、その稽古始めに突然訪れるものというのは、脳内の無意識のストック、或いはその時期にならなければ整わない何かが、そこに照準を合わせて待ちかねているのかもしれない。

 たちまち一時間が過ぎてしまい、渡部氏とA氏が訪れたので礼をしてあらためて稽古を始める。

 今日の収穫は、「曖昧な加減を探る」というもの。身体に眼を向けるとどうしても実感ということに身体の状態を感覚的に探り、その実感を頼りにしてしまっているところが、実は落とし穴であるように感じ始めたのである。緊張と緩和で例えるなら、緊張が悪い、緩和が良い。ということになれば緩和の実感を良しとしてしまい、どの辺りの緩和がいいのかが、実は凄く繊細であり捉え難いものであるように思うのである。端的に言えば二つに一つでものごとを考えるようになってはいけないということ。当然と言えば当然のことであるが、以外に盲点になっている実感し難い加減具合であり、探り難いところでもある。私にはまだまだ難しいが、そこに内観の働きが実感出来るようになれば、その曖昧な加減を掴むことが出来るのではないかと思うのである。

 それは内観の訪れを体感するより仕方がないが、しかし、その加減を探ることが稽古の中で盲点になっていたことは事実なので、今後は全ての中で加減具合を探りながら、より自らを把握していけるようにしたい。

 先週の稽古でおこなった、相手が斜めに構えた木刀を、こちら側が打ち落として喉元に切っ先を付けるか、或いは相手が剣を引くので、それに誘われずに直ぐに首元へ切っ先を突き付ける事が出来るのかを本日も試みた。

 これは予測しておこなわず、どこで判断し、どちらの動きにも最適な対応が出来るかを稽古しているのであるがなかなか難しい。

 どちらかを予測しその実感予測で身体を動かしているからである。相手の木刀を打ち落とす実感予測とスッと直ぐに喉元へ切っ先を突きつける実感予測とが邪魔をするのである。打ち下ろす剣の重さが軽ければ、それは抜かれるものと想定したものであり、逆にピクっと振り出した瞬間に喉元へ切っ先を運ばせるのも、相手が剣を抜かないと想定したものであるため、そのような予測を立てずに反応できるのかがこの稽古での興味深いところである。打ちの強さと変化に対する対応が伴った剣の操法が肝要であり、それはこうした実際に試される場で出来るものとして、得て行かなければならないのであるが、果たしてこれが出来るのかどうかは、今のところ不明である。無意識の何かが機能的に育ち備わらなければこうした対応は偶然でしか出来ないだろう。だが、身につく事が出来るなら、それはこの稽古に限らず身体に新たに備わる機能としてさまざまに役立つかもしれない。

 その他には、杖術「三十連円打」の十一番に若干の変更が見つかった。二十五番でも軌道上の修正も確認できた。こうして少しずつ進展していくものや突然訪れるものがあるから、その日の稽古は全く予想できない。そう、予想してはいけないのだ。


 明後日土曜日は『抜刀術 特別講習会』を15時から品川区総合体育館 剣道場で開催いたします。居合刀を購入された方も数名いらっしゃると思いますし、他流の方でも歓迎しております。まだお申し込みには余裕が御座いますのでご連絡お待ちしております。


2020年1月18日(土)『抜刀術 特別講習会』(お申し込み受付中)

2020年2月01日(土)『剣術 特別講習会』(お申し込み受付中)

金山孝之 指導・監修 DVD
『古武術は速い~“型の手続き”を追求した剣・杖の実践的な体使い~』


金山剣術稽古会

2020年1月 武術稽古日程

2020年2月 武術稽古日程

甲野善紀先生からの紹介文

2020-01-17(Fri)
 

剣に通すも誘われ過ぎないこと

 本日木曜日は高田馬場にて渡部氏とA氏と稽古をおこなった。今日は年明けということもあってか、いつもの人数に比べて大変な賑わいであった。

 他の会場と違って、ここでは他団体とともに同一空間で、それぞれに場所を決めておこなっている。私はこの場所で十一年近く毎週二回稽古をおこなってきている。それだけに、自然とご挨拶される方々も増えてきた。(今日は私以外に月刊秘伝で記事になっている方々がここに三名、それぞれにご指導されておりましたので、濃い空間でありました。)

 今日の稽古では、昨年末から気になっていた、「抜けた状態での剣の威力」を検証。
 結果から言えば、袈裟斬りに関してはかなり威力が上がった。「水飲み鳥」の原理と言えるが、なぜこんな水鳥飲みの記憶があったのかまったく解らない。杖の打ち込みに関しては飛ばすように放つため、この原理が活かされない事も解った。

 しかし、正面斬りから斬突きで試みた際に、これを改める必要があることに気が付かされる。

 それは、相手に対し中心を取るように斬り入って行くのであるが、身体にアソビがあり、方向が得物に向って行くと、相手としては斬り入られる怖さが全く感じられず、全体がゆっくりと動いているように把握出来てしまう。これは無意識の反射の感覚に関連しているのかもしれないが、中心を取ったり、身体のアソビ(起こり)がわかりづらいと、反射という無意識の準備作業が整わず、不安や怖さに身体が頼るものを失った状態に陥ってしまう。剣術と言えども、否、剣術というのは、そうした剣が交わろうとするもしないも、相手の中心や、どこに捉えて行くかが重要である。それは、抜き技しかり、抜き技を成立させるための、激しい斬り結びしかりであり、威力という魅力に誘われてしまうと、目付けが狂い、相手にとって把握され、抜かれた際の崩れ方と言うのは致命的である。そう崩されないための稽古法を流れの中で自然に考えたのであったが、そもそも間違えであるという事を感じたため、結局回りまわって、元の形に納まった。しかし、目付けの意識や、抜き技というのは、強く打ち合うことが前提にあって成立させられるものであるということが得られたことは収穫であった。先日、袈裟斬りにも幾つか種類があることを知らなかったのは不覚であるとこの記事で書いたが、刃筋の立て方角度は別として、やはり一つの太刀筋を追求すべきであるという結論となった。そうでなければ、感覚は逃げてしまい、そこから得られる対応の術に近付くことはできまい。そのことが解ったことについて、安堵した気持ちもあり、相手への入り方と打ちの強さ、そこに抜き技などの技術が技として成立してくる。

 今日の稽古では今後の剣術稽古における外せないものを実感することが出来た。そのなかから、どう相手が反応しにくいか、あるいは変化に対応出来るか、かつ強く打ち込めるか、抜くことが出来るか、等々そうしたことを前提に「在るべきもの」を見つけて行かなければならない。あらためて、構えの重要性、不思議さ、まだまだ知らないことが隠されている。


2020年1月13日(月/成人の日)『杖整体操』(お申し込み受付中)

2020年1月18日(土)『抜刀術 特別講習会』(お申し込み受付中)

2020年2月01日(土)『剣術 特別講習会』(お申し込み受付中)

金山孝之 指導・監修 DVD
『古武術は速い~“型の手続き”を追求した剣・杖の実践的な体使い~』


金山剣術稽古会

2020年1月 武術稽古日程

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甲野善紀先生からの紹介文

2020-01-10(Fri)
 

自分にとっての普通を生きていく

 昨夜フト、かつて私が広島に六年間住んでいたときの寮が今もあるのかネットで調べたい衝動に駆られ、今も現存していることが分かった。高校を卒業し、六年間広島にある大手鉄鋼会社に就職した。そのときに住んでいたのが八階建ての巨大な独身寮であり、入居者の上限はたしか三十歳までだったと記憶している。そのため、たいへん賑やかなものだが、エネルギーとお金はあっても遊ぶところが無い。という日常の連続に自然と皆落ち着いてくるものであった。結婚し寮を出て、社宅に入り、いつしか家を買い、この土地で生きていく決意を決めた者も多い。

 偶然とはまさに昨夜のことで、その広島に住んでいる親友のTからとつぜん電話が掛かってきた!

 懐かしんで寮が現存するのか調べて二時間余りでTから電話が掛かってくるとは、なにか不思議な力でも働いたのかと驚いた。そのTとは私にとって広島時代唯一の親友であった。二年半ほど前に東京に出張で来て以来の再会を来週に決めたので、東京で会うのはこれで三回目だ。フルコンタクトの空手を二十代の頃から続けており、かなりゴツくなっていたが180㎝で100㎏にはなっていただろうか。家庭を持ち、子供を三人育て、私は辞めてしまったが今も会社でバリバリと働いている。私は寮暮らしから相変わらずの一人暮らしであるが、別に私になにか少数的な趣向や精神的な意味合いがあって一人で居る訳ではない。私は私のやり方で、時間の使い方で今の、そしてこれからの人生を生きて行きたい。まだまだ改善の余地もあり、イメージしている日々の時間の使い方とは掛け離れているが、それでも数年前までの事を思えば遥かに前進した。だが、全然物足りていないのである。それは金銭的な事ではなく、身体と脳に対する環境を整えたいと切望している。そこに向けて少しずつ少しずつ準備をして行かなければならないし、そのイメージは実現させたい小さな夢でもある。

 来週はTと会うことになるが、おそらく時間が二十年程戻ることになるだろう。 月刊秘伝を見て驚いたらしいが、そうだろうなあと自分でも思う。広島に住んだ六年間は価値のあるものだった。


 稽古記事に入る。

 昨日は戸越体育館にて渡部氏と稽古。天気予報がはずれ、雨に降られてしまった。駅の売店で傘を買いキャリーバッグを濡らしながら会場へ。
 この日は杖を滑らせる操法をあらためて検討し、「滑らせる」という言葉に倣ってしまうことの弊害を言葉に発した。尤もこのことは以前からも気がついていたが、滑らせることが目的にすり替わってしまってはならないということ。それは自転車のブレーキのようなもので、滑らせるという手之内の抵抗が杖の速度を落とし、身体に負荷を掛けてしまっている。ただ、それよりも抵抗の少ない操法を体感していなければ、これの問題になかなか気がつきにくい。

 同じように「摺り足」というのも言葉に倣ってしまうと、足の裏で床掃除をしているような摺り足になってしまう。目的は床を摺る事ではなく、踵使いを改めることに摺り足の必要性は高い。その踵使いを改めるために、爪先の向きや膝関節、股関節、胸椎などの働きも関わってくる。そうした全ての要素が「摺り足」という言葉の中に入っており、ただ足の裏を摺って歩くというのは全く違うことである。

 手之内では、握り過ぎない事と言うのはさまざまに働きの実感として気付かされる。
 杖の突きや打ち込みでも、手之内に触れている箇所を点でおこなうと抵抗が減り、かつ自ら詰まらせる力みが抜けることで「ボッ」と突けるし飛ばす感覚で打ち下ろせる。納刀についても同様に柄を持つ右手が握りすぎてしまうと、前腕に負荷が掛かりすぎてしまう。特に習い始めの頃は、操作感覚に慣れてなく、刀を落さないように握った手を変化させることが難しい。手之内の変化と弛み具合により、この負荷は相当軽減される。その負荷に耐え切れず刀身の峰側を鯉口を握っている左手の親指と人差し指で摘んではならない。これは無意識で何かの生き物のように左手親指と人差し指が動いてしまう癖が付いてしまうので、私はそれを「泥棒の手」と、昨年11月に川原田氏と兵庫県の集居夙川館で稽古していた際に思わず言葉が出てきたのであった。

 座りにおける素手での稽古では、相手が出してきた手を巻き取り、もう片方の手で肩を押し当て倒す稽古を、体捌きや接触の感覚を養うものとしてたまにおこなっているが、受けが「蠢動」を掛けると全く出来なくなってしまうので、体捌きと接触感覚を養うためと割り切る稽古であったが、「触れ手落し」の応用で手の掛け方を左右逆におこない、試みたところ蠢動を掛けられても崩せることが確認できた。こうして少しずつ少しずつ発見したものを次への稽古に活かしていくことが大事である。昔は訪れなかった流れが、今は私のペースで訪れていることに感謝しなくてはならない。

 最後は杖整体操を各自自由におこなった。杖整体操の最も効果的な方法は、自分流で心地良さを探して留まれるようにおこなうことである。私がおこなっている姿勢はあくまでも参考なので、経験者は自分流の流れ、姿勢をその場で身体に導かれるようにおこなうことが一番であると思われる。無理をせず継続しておこなうことが大事なので、自分の生活の仲間に入れられるように出来れば身体は喜んでくれるだろう。


2020年1月13日(月/成人の日)『杖整体操』(お申し込み受付中)

2020年1月18日(土)『抜刀術 特別講習会』(お申し込み受付中)

2020年2月01日(土)『剣術 特別講習会』(お申し込み受付中)

金山孝之 指導・監修 DVD
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金山剣術稽古会

2020年1月 武術稽古日程

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甲野善紀先生からの紹介文

2020-01-10(Fri)
 

金山剣術稽古会 2019年稽古納め

 昨日土曜日は夕方から金山剣術稽古会今年最後の稽古となりました。土曜日稽古会として月に一回ほど開催して来ましたが、昨日を最後に来年からは平日のみの稽古会とさせていただきます。

 そんな最後となった昨日の稽古では四名の方がお越し下さいました。基礎鍛練稽古から、体術、杖術、剣術、抜刀術を一通りおこない、特に杖術「二杖之位」から幾つかの操法を稽古し、体術では「触れ手落し」をおこないました。初参加Nさんが触れ手落しを受けて頂き大変驚かれておりました。筋肉質な男性なだけに力がぶつからずに通っていく感じが初めての体験だったようです。

 剣術では、斬り結びに対する抜き技と、それに対する打太刀の太刀筋というものを検証しながら稽古いたしました。この中で、私としては抜けられるだろうと思っていたこれまでの抜き技が通用しなくなっていることに驚き、あらためてこの太刀筋の重要性に考えさせられました。今後はこうした太刀筋に置いてもこれまで同様に消して動けるか、ということが課題となりました。万全なものというのは存在しないかもしれませんが、対応できるものという備えは稽古で身につけておかなければなりません。そういう意味では昨日の抜けられなかった瞬間というのは次に向うためのお題として、斬り結びにおける太刀筋の違いから何を得て行けるかが今後は考えて行かなければと思います。

 最後の抜刀術では、納刀法から各種抜刀をおこないました。こうした稽古で初めて感じる手順の精妙さや身体の審判に、今はなかなか道が見えずにどこにその先の道があるのか周囲を見渡している段階の方が多いかと思われます。一つ一つ進んで行くには、感覚を実感し、そうして感じた手掛かりをどのような手順で繋いでいけるか。そこに心と身体の居着きが生じて来ますが、それをどのようにして乗り越えていけるか。進む道にはさまざまな障害が待ち受けていますが、それを乗り越えるのは自分の身体の中にあるものですので、止まっている間の稽古というのが抜刀術では大いに重要なものとなります。

 抜刀術は難しいものですが、周囲に進んだ方がいらっしゃいますと、そこまでの道程は見えませんが、道程の先の道中にあるものは見えますので、みな集中して探究していけるのでしょう。

 稽古後は、参加された方皆さんと自由が丘に移動して忘年会。鎌倉のTさんやGold Castleから続けてWさんにSさん初参加のNさんとともに懇談いたしました。こうしてGold Castleの講習も無事に終える事ができ、金山剣術稽古会の稽古も最後に賑わいの中で終えられたことを感謝いたします。こうして滅多に無い忘年会に今日のお昼からお付き合い下さった方々もいらっしゃいましたし、遠方からお越しのお二人の方にもあらためてお礼申し上げます。

 来年もGold Castleの陰に隠れながら、源泉の場として濃い稽古が出来る環境を維持していこうと思います。ここでご縁のある方はかなり濃いものですので、そうした方とのご縁を来年も大事にして行こうと思っております。

 今日参加出来なかった平日稽古会の皆様におきましても、今年一年ありがとうございました。来年もさらに深く進めて参りますのでよろしくお願いいたします。


2020年1月18日(土) 『抜刀術 特別講習会』(お申し込み受付中)

金山孝之 指導・監修 DVD
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金山剣術稽古会

2020年1月 武術稽古日程

甲野善紀先生からの紹介文

2019-12-29(Sun)
 

古流剣術との交流稽古

 暮れも押し詰まった気配をようやく感じ始めた本日27日は、金曜日ということもあり仕事納めの人が多かったと思われます。私自身は、明日28日が自ら主催する講習会や稽古会の稽古納めとなります。年末年始の状況といたしましては、これといっていつもと変わらない一週間となりそうです。勿論講習会や稽古会は会場がお休みのためありませんが、私自身に掛けられる時間がありますので、2019年動いてくれた身体と、2020年の流れに乗っていけるための身体として調整に時間を掛けたいと思います。

 2020年は、私の感じ取る中ではサバイバルな一年になりそうな気がいたしますので、周囲に流されず自らの力量範囲の中で、育ててきたものを大事にして行きたいと思います。

 それでは稽古記事へ入ります。

 昨日木曜日は高田馬場にて渡部氏とA氏との稽古。

 開始前に杖術で二杖之位から感覚を探していた際に、フト気配を感じて目を開けたところそこに五十嵐剛さんがいらしてお互い満面の笑顔でご挨拶。五十嵐さんとは2013年から毎年甲野善紀先生のDVDに受けとしてご一緒させて頂いており、同じく井上欣也さんともずっと一緒に参加させて頂いております。お二人とも素晴らしく技も生き方も進展されておりますので、今こうしてお二人のお名前を書くことすら緊張してしまうようになりました。

 身内のような温かい気持ちが湧いてきてしまうものですが、社会に出て、いろいろな事を経験しそうした中で、今こうして自分と言う存在を知ってくださる、そして親しみを持ってくださる方々と出会えることの有り難さに感謝いたします。幾つものあの頃には、到底今のような生活や思考、今まで出会うことのなかった方々とのご縁、そうしたものは考えられるものではありませんでした。ですから人生と言うのはそうなるものであったとしても、全く解らないものであります。絶望や将来の不安、手掛かりのない日々の繰り返しに、一年、また一年と歳が重なることの恐ろしさを感じたものでした。

 おそらくそういう方は沢山いらっしゃるものと思いますし、今の段階で苦しい中でもがきながら、いずれ想像もつかなかった人生に突入する人もいらっしゃるでしょう。今日の稽古で、意識と無意識の話をいたしましたが、無意識の働き「無意識力」を高めるためには意識の在り方、育て方が大事であり、環境に負けない己の意思や信念というものが、無意識の決定や選択の際に、その人に合った流れに導く「偶然」というものを誘発するのではないかと思うのです。

 稽古では、杖術で新たな抜き技を発見し、それが剣術にも遣える事が解った。
 さっそく剣術で試みたところ、身体も太刀筋もその変化が分からない内に喉元へ切っ先が突きつけられてしまうという打太刀側の景色であった。しかしながら、大して技という操作が無いので果たしてこれは、有効なのは有効であるが、これだけの事になぜ気が付かなかったのかということと、きっと何かしらの落とし穴があり、やはり有効では無いのではないだろうかという思いがどうしても消えず、そこにどのような粗があるのかを感じ取れない奇妙なまま、安易に有効なものなどある筈が無いという思いが残ったままこの稽古を切上げた。

 正面斬りの稽古では、A氏にこの日から歩を付けての正面斬りをおこなっていただいた。その場でおこなうものと歩をつけておこなうものとでは、重心移動と慣性から貰い受ける身体の整い方が必要になり、一気に考えなければならない情報が増えてくる。そのため、A氏は構えから振り始めるまでにかなりの時間を要していたが、「それはそれで良い事ですので、動けるように予測と把握に努めて下さい。」とお伝えした。

 渡部氏とは木刀を使っての「峰返し潰し」をおこなった。素手でおこなう「触れ手落し」の感覚のせいか、この峰返し潰しが全然上手く行かなくなってしまい、おそらくはバランスが崩れてしまったのだろうと思われるが、そのバランスとは重心の事ではなく、素手でおこなった触れ手落しの身体感覚が、木刀を握っておこなう峰返し潰しとは何か合致しないものがあったと思われる。そこで、手之内を弛めフッとおこなったところ、いつものようにストンと落すことが出来た。何度かそれを確認し、手之内を弛めることで、全身を緩めた(瞬間の働きを存分に活かせる状態)状態の働きが繋がったのだと実感。そうしたことから、手之内をこの感覚で弛めた状態から、袈裟斬りの威力にどのような違いがあるのかを検証してみた。

 結果として、同じ強さで打ち込んだ場合、今までの手之内の締め具合と今回の弛んだ状態とでは、同じであるか、もしくは少し弛んだ方が打ちが重いことが確認できた。(打ち込む寸前までの締め具合)これはまだ時間を掛けて検証していないのでなんとも言えないが、システマで、私も受けたことがあるが脱力して拳を相手の肩などに上から打ち下ろす際に、力んだ状態と脱力した状態では驚くほど重さに違いがあり、今こうして思い出しながら書いていると色々稽古で試したいことが浮かび上がってきたが、身体に抜けが無ければ発揮できない力の繋がりがあり、それは自分で詰まらせて駄目にしてしまっていることに気が付いていないことがまだまだ多いのではなかろうか。勿論、ただ脱力しただけで働きは生まれないが、働きの操作技術が養われた上で脱力の感覚をその動きに合わせて整えることが出来れば、新たなる何かに気が付けるかもしれない。

 
 そして本日金曜日は、高田馬場にて青木賢治さんと稽古。

 青木さんとの稽古は、WEB動画「かざあな。」で杖術編、剣術編、抜刀術編のいずれも打太刀をお願いし、その際におこなう技を検討するとき以来である。2017年の暮れから2018年の1月頃に計四回おこなったので、それ以来の稽古となった。

 10年近くの付き合いなので、青木さんも身内と言えば身内の最たる関係である。現在は武蔵円明流判官派で稽古をされており、今日はその古流の剣術を目の前で見せていただく貴重な稽古となった。

 一刀による型と二刀による型、居合も拝見でき、青木さんから「金山さんならどう扱われますか。」という私がアドバイス出来るものなのかと思いながらも、興味深い突きの動きであったり、二刀における脇差の使い方を、私がおこなっている小太刀稽古で気付いた片手持ちでも強い身体の使い方をお伝えし、深く感銘を受けてくださいました。これは能の動きに非常に良く似ており、私も品川区総合体育館で土曜日の金山剣術稽古会の稽古時に突然浮んできたのであったが、特に競った状態で押し合う場合、両手持ちの方が負けるほど強いのには驚いた。私にも二刀の型を教えてくださり、相手の上段からの真っ向斬りを左手に持つ小太刀で受け止め、そのまま押し込むことが出来たため、圧を掛け前に進みながら右手に持つ大刀で胴を斬り払うことが出来た。尤もこれが示現流のような強い斬り込みだと厳しいと思われるが、その際にはそれに適した型が合ったように思えた。対薙刀の構えであったり、宮本武蔵の壮年期に工夫された武蔵円明流には二刀に至る経緯を型の中に感じさせられるものがあるようにも思える。こうして青木さんと交流させていただけるお陰で、古流の剣術というものを感じられる願っても無い機会である。勿論私は、青木さんから古流の剣術を学ぶというのではなく、私がおこなっている剣術と身体の使い方という観点から互いの稽古に活かせるものを研究稽古を通じて学びあうというものである。

 剣術では大きな発見があった。それは昨日の稽古で発見した抜き技の粗である。普段の袈裟斬りであれば抜き技は有効なものであるが、袈裟斬りと斬り結びに共通する斜め太刀筋というのは、同じであってはならないということに今更ながら気が付いたのであった。袈裟斬りの場合、相手との間合いが一足一刀であっても肩口に刃が達していなければならないが、斬り結びの場合、それほど深くは間合いを詰められず、相手は柄を握る手元を斬りつけてくる。それに応じなければ拳を斬られてしまうため自然斬り下ろす動きとなる。しかし、そこで袈裟斬りのように斜め下まで切っ先を振り抜いてしまっては、抜かれた際に終ってしまう。そのため、斬り結ぶ際の太刀筋というのは、決して相手の身体から切っ先が外れてしまわないように振り下ろすことが肝要であり、仮に抜かれたとしても、我が太刀筋は相手の籠手を斬っており、相手も迂闊には抜き技をおこなえないことが今ごろになって解った。

 身を守るためには、斬るための軌道から外れてもそこに当てられる太刀筋が必須であり、そうでなければ簡単に終ってしまう。当然斬るための軌道から外れても、刃が立っていれば相手の血管は切れるものであり、手首であればそれは有効な太刀筋であると言えるだろう。袈裟斬りが一つであるとは、何たる不覚!さまざまな間合いや状況により求められる太刀筋が異なるのは当たり前である。今日得たものからさらに広げて行けるように研究したい。

 杖術では「二杖之位」からの技をお伝えし、興味深く取り組んで下さいました。体術でも「触れ手落し」を受けてくださり、立ちと座りでそれぞれ驚いていただけました。他には「蠢動」をお伝えし、身体の質量が上がるような強さと持続性に驚かれておりました。

 そして最後は「杖整体操」と、幾つかの講習会でおこなうメインテーマを今日一気におこなったような私の生徒からすれば贅沢だと思われる時間でした。杖整体操も初めて受けられましたが、剣体研究会や韓氏意拳等も学ばれている青木さんですので、とても深部まで効いており、私がこれまでおこなった方々の中で二番目に深い反応を示されました。最後は「寝返し」や「両手持ち上げ」「片手持ち上げ」などおこないましたが、もう起き上がれないほど、そのまま寝てしまいたくなるほどの状態になり、完全に表情が変わり、視界が変わり視野が広がりましたと仰っておりました。時刻は21時近くとなり、17時から始めた稽古があっという間に過ぎ去ってしまいました。

 帰りに居酒屋で積もる話を交わし合い、笑いと愚痴の情報交換がこんなに楽しいのも数える人しかおりません。お仕事がライターでもある青木さんですのでさすがに聴くのが上手で武術ライターになったらさぞ楽しみな記事になるだろうと思います。

 さあ、まだまだ記事を書きたいところですが、もう4時になろうとしているのでこの辺で終わりにしたいと思います。
 明日は、じゃなくて本日は12時30分から戸越体育館にて今年最後のGold Castle 殺陣&剣術スクールの講習となります。本日は杖術です。そして、15時00分からは金山剣術稽古会「土曜日稽古会」最後の日となります。最後という事もあってか、また私主催の稽古納めということもあってか、四名ほどの方がお越しになれれる予定です。来年からは平日稽古会のみとし、長く間を空けずに続けられる方とともに、少人数にしかならないと思いますが、そのなかで研鑽しこの源泉の場を大事にご縁のある方とともに稽古していきたいと思います。

 それでは本日もみなさまお待ちしております。


2020年1月18日(土) 『抜刀術 特別講習会』(お申し込み受付中)

金山孝之 指導・監修 DVD
『古武術は速い~“型の手続き”を追求した剣・杖の実践的な体使い~』


金山剣術稽古会

2019年12月 武術稽古日程

2020年1月 武術稽古日程

甲野善紀先生からの紹介文

2019-12-28(Sat)
 
プロフィール

金山孝之


     金山 孝之
  Takayuki Kanayama


1975年生まれ
福岡県北九州市出身
東京都世田谷区在住

松聲館技法研究員

金山剣術稽古会主宰

Gold Castle
殺陣&剣術スクール主宰

高齢者のための剣術教室
クラーチ剣術教室講師


1999年
映画監督中田秀夫氏との出会いにより映画に出演。そのほかマンダムのモデルや舞台のプロデュース公演などをおこなう

2006年
小林照子先生とのご縁から
「からだ化粧」のモデルを務める

2009年
武術の道を志しそれまでの活動を一新し武術稽古と研究に励む

2011年
武術研究家甲野善紀先生に師事し「抜刀術」「剣術」「杖術」「体術」などの稽古と研究に取り組んでいる。また、先生の書籍、番組撮影、記録映像、その他演武等における打太刀や受けを務めている

2013年
刀と身体操作の技術向上を目指し裾野を広げるべく「Gold Castle 殺陣&剣術スクール」を発足

2014年
甲野善紀先生より
「松聲館技法研究員」を拝命
自身の経験を活かした指導法を各道場等でおこなっている
 
シニア住宅にて
「高齢者のための剣術教室」をおこなっている

日信工業株式会社の製品
「SAMURAI BRAKE」のプロモーション活動に携わる

2015年
「金山剣術稽古会」を発足
現代における武術稽古の必要性を身体と心で学べる場として活動している

2018年
「関西特別講習会」として定期的に関西地域での講習会を開催

2019年
BABジャパンよりDVD『古武術は速い』刊行

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