人と場所との関係性

 本日は高田馬場で夕方から後藤健太氏と夜からはT氏とともに稽古をおこなった。今日の稽古では杖の「旋打」に別バージョンの動きが生まれた。別に考えていたわけでもないのだが、稽古の合間にフト足の使い方に浮んでくるものがあり、杖の操作と連動させるタイミングを後藤氏のアドバイスなども含めて考案した。これは身体の軸のブレを改善させるための稽古法としては有効である。動きの心地良さという面では採用に値するので、講習会などでもお伝えしたい。

 次に「四天誕杖」をおこない、最後の籠手打ちの強さを出すための下手側の腕の使い方に得るものというか具体的に説明しやすい操作法が分かった。それ以外にも、突きに関して精度を上げるには、やはり微妙な動きの手続きの流れが大事である。突き一つにしても考える事は多く、こうした点検稽古も進化(深化)していくものである。

 剣術に関しては、ひたすらに剣を振るというよりは、後藤氏も私も自分の時間で研究するというスタンスなので、会話も重要な稽古となっている。その話の中からそれぞれの稽古でヒントが見つかる事も少なくない。常に得るものを求める後藤氏の貪欲さに私も引き出されるものが多いのは誠にありがたいことである。

 夜からはT氏が訪れ、混雑してきた武道場の中集中して稽古をおこなった。

 流転体操の影響か、抜刀術の「巴抜き」が変わってきた。おそらく動きの中で自然と肩甲骨の位置が納まるところに納まるようになったのではないだろうか。最後の抜刀術では、「状態の把握」を常態化するようにお伝えし、これまでのなかでとても良い集中状態であったように思う。出来た出来なかった、ではなくそうした反応も含めて自身の状態を把握する事が稽古の中では大事である。私自身、自分がおこなう際もそうであるし、人に伝える際も観る際もそのことを意識しはじめたのは大きな収穫であった。

 この武道場は四階にあるが、夜になると窓の外に新宿の高層ビルやドコモタワーのイルミネーションなど普段は何も感じないが、都会の都心部で稽古をしているのだと感じた。電車を乗り継いで会場まで向かうのは当たり前といえば当たり前であるが、山手線の混雑や、電車の乗り継ぎ、ホームでの順番待ちなど、私が生まれ育った門司港ではあり得ない状況である。毎日がお祭り以上に人の多い街を歩き、都会では意外にも歩く事が多いという事に気付かされた。私の地元のような田舎では電車の数も本数も少なく、自動車が無ければ生活が成り立たない場所では歩く時間というのは少ないのかもしれない。こちらでは車に乗るということ自体私の場合少ない。電車移動のために駅を歩き階段を昇降し目的地へと向かう。歩くということは、それだけ人とすれ違うということでもある。車同士ですれ違っても、人とすれ違ったという実感は薄い。車が渋滞していても、あそこに人がいっぱい並んでいるという実感は薄い。もちろん建物についても同じであるが、人がどういう状況で存在しているかということに大きな違いがあると感じる。武道場においても、どういう場所に存在しているかによって、そこに訪れる気持ちというのは無意識の内に変わってくるように思える。あらためて、場所柄無意識の内に感じているもの、場所や空間によって人への感じ方が違う事、人と場所との関係性について、今後私が生きていく上でもう少し知りたいと思う今日この頃であった。


2018年3月10日(土) 「抜刀術 特別講習会」
(お申し込み受付中)

金山剣術稽古会  

2018年2月 稽古予定

2018年3月 稽古日程

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2018-02-20(Tue)
 

諸行無常とともに生きる

 二月も折り返しに入り、これから月末まで私としては重要な数日間となる。コンディションは整っている、後はその日を待つだけ。その他の状況が気掛かりであるが、その時はその時で対応したい。その後は、しばらく環境を変えるための準備に入る。同時に、私の中でこのところ精神的に何かが変わり始めているので、それが一体何に向かって行こうとしているのか、徐々に具体的になってくるだろう。全ては流れの中で繋がっている。諸行無常はこれまでの事を一切消してしまう事もあるだろう。だが、流れゆく雲のように、留まる事無く時は刻まれてゆく。だから一期一会を大事にその瞬間を生きていく。そして、その記憶、その時間を美しいものとして自らの心に微かでも宿すことをこれから生きていく中で大事にするのであれば、諸行無常から何を感じ、次なるものへのバトンタッチがスムーズにおこなえるかが、人が生きていく中で敏感に察知し決断し、もはや無くなってしまったものにしがみ付く反美徳な思考へとならないことが、これまで過ごしてきた時間に対する礼とも言えるだろう。

 厳しい中で生きていくには、一人になることを恐れず、その変わりゆく環境の中で勝ち続けて行かなければならない。それが今の自分の居場所となるからだ。怒りの矛先は自分の環境居場所であるならば、それを手に入れるために戦って行かなければならない。戦う相手は、むろん自分の心と曲げない芯と、そこでの結果である。

 強さとは、そうした負けない戦を知り、常に自身を知ろうと探究し、諸行無常から次なる勝ちを得るための飛躍へと自身をコントロール出来る術を備えた者ではなかろうか。だから、人間は不思議である。

 自身への探究心は、同じアンテナ同士通じやすいものである。その周波数にもよるが、場合によっては通じすぎてしまう事で何も発せないこともあるだろう。そこまで見えて(見られて)しまえば言葉にならない。その周波数は、人生の節目により変わる事がある。何も聴こえなくなったり、何も通じなくなってしまう事もあるだろう。それは悲しいことではなく、次なる同調を選ばなければならない時期が来ているということ。ただ、気をつけることは、それまでの思いを美しいものとして心に宿す事がこれからの人生の中で、ある時ある瞬間に蘇ってくるものなので、その転換期をスムーズにおこなうことがとても重要なのである。

 昨日木曜日は、高田馬場と住吉で稽古をおこなった。始めの頃は色々な動き方をお伝えしていくが、のちに自身の感覚に目を向けて研究していくことが稽古の中から普遍性を感じとり有意義な時間として学び向上していく場としている。だが、その辺りになると、何らかのスポーツや武道を学んだ人は、たちまち受け身から脱せず沈黙が続いてしまう。つまり、何か言われるまで待っているからである。もちろん、何かを言わせない空気を漂わしている指導者では難しいだろうが、何かを学びに来るということは、少なからず自分で疑問に思うことや、こうしたいという思いは持っている筈である。お子さんの難しいところは、親に言われて行かされているという、本人が別に興味を失った状態では、なんら得るものはマイナス面による今後の反省材料でしかなく、時間とお金の無駄といえる。悪徳な指導者なら、そんな事よりも一人でも多く人数を増やしたいと思っているかもしれないが、私の場合は一人でも嫌なのである。

 このような事を書いているので、計算高いSNSの使い方は私には出来ないが、不器用ながらも感覚的に感じている方々とのご縁は、きっとこれからの私の生き方に繋がってくるものと思えるし、益々同じ価値観で生きている人との時間を共有したいと強く思っている。それがこれからの私が費やす時間となり、次なる展開への扉となるだろう。

 結びとなりそうであるが、もう少し書かなければ忘れそうである。

 木曜日の高田馬場は、混雑する日もあればガラガラの日もあり、行って見なければ分からない。制定居合の学生が多いのはここ数年の流行であろう。誰も彼もビュンビュン振り回しているが、作法や礼というものが上辺の審査のためでない教えとして指導者が居るのなら、先輩が居るのなら、どうあるべきかを身をもって伝えるべきだろう。武道場から出てもである。

 殺陣団体も多い。このところ初めて見る団体が増えてきたが、SNSでこの場所がお勧めの場所として広まっているのかもしれない。「お前ら!」と普段から指導している指導者の傍で稽古するのは気分が悪い。これが殺陣師らしいということなのか…緊張感と統制は取れるが、実力の向上は頭打ちが近く、あとはその厳しい雰囲気の構築に殺陣らしさを見出すのだろう。もちろんそうではない動ける良い指導者の先生も知っている。だが、動けない、動きを見せない非常に疑問に思う指導者も知っている。そういう意味では殺陣の世界は体制が整っていないことが、良い面でもあれば悪い面でもある。指導者の動き、生徒の動き、教室の雰囲気、そうしたものを公開していくことが真っ当っであり誠実だと思う。居合であれ、殺陣師であれ、上辺で着飾っているのが、流行りという需要に供給できていない教えなのかなと思うこの頃である。

 住吉では、自主稽古に来ていたI氏と遭遇。感心した。

 そして一ヶ月ぶりとなるI氏と稽古。I氏はI氏の考えがあってこの稽古に参加されているので、私は技術を伝える云々というより、互いの意思を尊重し、頃合や間、そういったものから何かを感じながら進めている。端的に言えば感性の稽古である。だから、本来であれば静かな空間で僅かな袴の擦れる音や呼吸の音でも変化を感じるような環境でおこないたいが、隣で剣道が始まったら、ひとたまりも無く乱されてしまう。だがこれも、私がこういう場しか提供できないのが原因であり、それが今の私の力なのである。剣道の方を責める積もりは全く無く、自らの稽古場を持てない自分に責任がある。今抱える諸々の要因は、稽古場の空間にあるのかもしれない。私の稽古会は少人数(マンツーマンが多い)でおこなっているので、今後、家賃を払ってどこか稽古場を確保する必要を感じ始めた。そうすれば、毎回同空間内で稽古をおこなっている者を批判する私のマイナスと言える記事も書く必要が無くなってくる。

 そして本日は、表参道に行き十年近くお世話になっている方にカットしてもらった。ここでの会話と言うのは割り合い、人との接し方や、仕事についての考え方になる。スタイリストは人を気持ちよくさせる事に関して、物凄い経験値を重ね続けておられ、それは瞬間瞬間の表情からも感じとれるものである。惰性にならず毎日続けていくには実に大変な仕事であると思う。私ももしかすると、どこかでお客さんとしての対応を持つ必要があるのかもしれない。いや、お客さんというより、大事な人を「おもてなす」という部分が欠けている事は確かである。それはこれまでの私の考え方がそうしているのであるが、気を使うことでおかしくなる事もある。そのあたりの加減が難しいのであるが、基本的に諸行無常に関して私は一切そうなっても構わない。

 夜は高田馬場で稽古。金曜日は混むのでなるべくならここでの稽古はおこないたくない。おこなうのであればなんのためにやるのかが明確になっている必要がある。生産性の無い時間は人生の時間を無駄にしてしまう。私は私で生産性を上げる為の稽古を自身に課す。今は、私の流れがそうした状況になっている。そういう時期だということを感じている。それは、その後にそのバランスをキッチリととるための出来事があるから、そうした因果に取り巻かれているのだろう。

 一期一会と諸行無常が、日一日と安定などしていない日々をどう重ねていけるのか、そこには繊細な人間の心の表裏一体といえるものが隠されている。


2018年3月10日(土) 「抜刀術 特別講習会」
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2018-02-17(Sat)
 

人は人を想うことで自らが救われる

 連日稽古の周期に入っている。1/27から2/13まで2/2以外連日何処かで稽古をおこなう。月に一度は周期的に連続して続く事になっているが、緊張感が保たれているせいか今のところ体調を崩していない。ダブルヘッダーも少なくないので、疲労回復が重要である。これまで意欲を落とさずに情熱的におこなえているのは、おそらく無意識の内に私の中でリラックスする方法を心得ているのだと思っている。あまり目立つものではないが、実はそうしたリラックス出来る環境や趣向というものが心身の状態を上手く循環しているのである。どこかに我慢や無理が生じて、それを精神的に押さえ込んでおこなっても、自らをごまかすと何処かに弊害が生じるもの。自然であるなら、緊張と緩和のバランス感というものが日常において重要である。稽古同様、リラックス出来る環境というのをいかに手に入れることが出来るか、育む事が出来るか、にある。

 さて、昨日は午前中に「高齢者のための剣術教室」に向かい、このところ全員参加が続いており皆さんの体調も大きく崩れる事も無く楽しくおこなえています。インフルエンザや風邪もが流行っている時期ですので、入館したら欠かさずにうがい器でうがいをおこない、アルコール消毒をおこなって中に入っています。

 立春を迎え陽射しに春を感じるようになり、これからまた一年の景色の移り変わりを楽しむ事が出来ると思うと嬉しくなります。こういう風に感じられるようになったのはおそらく年齢的なものもありますが、稽古三昧、日々の道中が安定的なものとして季節を感じられることになったからでしょう。

 講習後はレストランで食事をいただき、皆さんに見送られ快晴の空の下家路に向かいました。帰りの電車はなんとも気持ちのいい睡魔に襲われ毎回ウトウトしてしまいます。

 夜からは住吉でI氏と稽古。私のところで稽古をおこなうようになって半年が経ったが剣にしても杖にしても半年前とは別人のようになった。少しずつの変化を感じながらその積み重ねが今日に至っている。元々運動神経の良い方であるが、これまでに習ってきた癖が無くなると言うよりは、新しい動きを習得しそちらを身体が選ぶようになったということだと思う。

 この日は「流転落とし打ち」と「正面斬り」を集中的に稽古。初めて歩を付けて新しくなった正面斬りをおこなったが、私自身シックリしない。これは今日の戸越の稽古で少し分かった。

 そして本日、戸越体育館で午前中にW氏と殺陣の研究稽古。ビデオカメラと三脚のお陰で私の研究もはかどる。こうした地味な創作研究は、大きなコンテンツを生み出す事に繋がっている。そのためには、純粋に集中して取り組めることが重要であり、スタジオ的に周囲に人がいない環境で必要最小限の人数でおこなうことが発想の良し悪しに大きく関わってくる。これは殺陣のための稽古でもあるが、剣術にもどこか通じているものを感じる。それは、こうした状況ではどうすべきかということを、直感的に考えなくてはならず、可能性のあるもの可能性の無いものを見極める感覚がとても重要だからである。もっとも、私の場合、剣術にしても杖術にしても稽古の中で考案しているのが常なので、感覚的には同じといえる。そういう意味では、役者というものを経験した事は今の私にとってとても助けられている。

 昼からは後藤氏が訪れW氏と共に杖術、剣術、抜刀術を稽古した。そのちょっと前に、私がおこなう流転における背中と正面の動きをビデオカメラで撮ってもらった。これは後日確認したい。

 稽古ではこのところ集中的におこなっている「流転落とし打ち」と「三段抜き」をおこなった。この三段抜きはおそらく7年位前にフト生まれたものであるが、体捌きを練るには良い稽古となり、また動き自体に興味をそそられるものがある。しかし、これほど連日稽古しているのは初めてである。

 剣術では、同じく連日おこなっている「正面斬り」をおこない、歩を付けた際の斬り下ろしは月曜日に気付いた水平よりやや下ではなく水平までであることが今日の時点での答えとした。だが、今はその場での正面斬りを身体が練りたいと求めているため、しばらくは歩を付けての正面斬りはおこなわないことにした。こういうことは、なぜだか分からないが察知出来るようになってきた。そして、その後再び歩を付けての正面斬りをおこなう際にその心地悪さの問題を解決する何かが訪れる事も予測出来ている。

 次に胴斬りをおこなった。昨日後藤氏からメールで胴斬りの手の内の気付きなどを送っていただいたり、常住坐臥稽古モードの後藤氏は「後藤真剣斬法研究会」を主宰されており、その中で私との稽古から大きな成果を挙げられていることが、私としても結果を出して下さっているので有り難い限りである。その分析力と問題解決に向かう情熱と身につけられたスキルは氏の日常における「武術的思考」と言えるのかもしれない。今日は稽古後に一階に上がり、W氏の鞘の補修作業を拝見させていただいたが、刀剣の拵えを依頼されている方だけに、その仕事に全く隙は無い。見ていて飽きないものであった。そして仕上がりは、補修どころかアップグレードしたものとなっているからこれには驚かされる。なんというか、職人というか技術を持った人は、結果が全てであり、そこに向かうプロセスが結果にどう結びついているか、そこにシビアな観る目が養われているのだと思える。すなわち、物事の良し悪しを見抜く力も備わっており、自然、解決策を見出すセンスが磨かれていくのだろう。そういう人は突き進んでいく事が常であり、世の中に貢献しているのだと痛感させられる。生きていて、エネルギーに満ち溢れることには、誰かのために貢献している実感を得られることにある。それが善であるならすばらしいことである!


2018年2月12日(月/振替休日)
「杖術 特別講習会」
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2018-02-08(Thu)
 

稽古の醍醐味

 本日は夕方から高田馬場でI君、後藤健太氏と稽古をおこない夜からはT氏と稽古をおこなった。

 風邪の病み上がりでまだ体力が落ちていたI君と後藤氏とともに、蟹と雀を30m一気におこないそれを二回ずつおこなった。背中を練るための稽古では肩甲骨の可動域が関係しているが、それら周囲にある筋肉が細かく割れるように動かす事が出来るようになれば、これまでのような背中の張りはなくなってくるだろう。つまりはこれまで動かさなかった部位を杖の操法により動かさざるを得ない状況にもっていくことで、単なる肩甲骨の柔軟体操と比べ、他に主とする目的があればやった感(こんなにやった感)が無いため、その効果はいずれ体感(気付いたらそうなっていた)できるものと思われる。蟹と雀が脚部の鍛練なら、この流転法というべきか、この肩甲骨を動かして杖を操作する方法は背中の鍛練といえるだろう。

 杖術の「流転落とし打ち」では、上手の巻き入れ方がこの動きの一連を司る重要な操作であることが分かった。杖が身体の中心から離れない事が身を防ぐ事にも繋がると認識できれば、動きというものは変わってくる。不思議なもので、考え方が変われば苦手なものが得意になる事もあり、この方が動きやすく効果的であると身体が体感して初めて身につくこともある。そうなれば無意識の内にその操作に関わる身体の使い方が養われてくる。

 意識しないことと、意識する事の使い分けが身体の運用であったり、心理面の状態に影響を及ぼしてくるので、そのあたりを自分の都合の良いように(笑)解釈することは冗談ではなく効果的な方法である。

 待ちきれないので書いてしまうが、今日は「正面斬り」にさらなる進展があった。この正面斬りの進展は昨年の12月から始まりこれまでに留まる事を知らない。

 後藤氏と、夜から参加されたT氏との質問や感想の中で、両肘が内側に入る事で木刀の重さが感覚的に失われ、まるで自動的に上へと跳ね上がっているかのように、左手手の内の中に飛び込んでくる。あとは間髪入れずにMP関節の締めにより切っ先から瞬時に落ちていく。これまでにない感覚で正面斬りをおこなった。木刀の軽さ、振りの速さ、そして起こりの消え具合。肘の操作により肩を動かさないように木刀を跳ね上げることが出来ることが分かった。こうなれば、私も後藤氏もT氏も興奮冷めやらぬままひたすらに剣を振った。振っても振っても疲れずにビュンビュン振れる。一体なんなんだこの感覚はと信じられないほどである。

 肘が寄ることで腰が沈みそれに反作用する形で剣が上へと跳ね上がる、手順が始めの肘の操作後、後はどうやっているのか分からないほど自動的におこなわれている感じがする。試しにこれまでの左手の使い方で正面斬りをおこなったところ、左肩が上がり背中が伸びてしまうことで腰まで上がってしまっていることが分かった。新しい操法で後藤氏が腰が安定すると仰っていたので、さらにT氏「右肘は内側に入っているのですか?」という質問から、両肘が内側に入る事で自然に腰が沈む働きが得られることが分かった。同時に剣が跳ね上がることは大きな気付きであった。(後藤氏は剣に合気を掛ける)と冗談交じりに仰っていたが、面白い例えである。

 もうひとつ気が付いたことは、振り下ろしの最終位置がこれまでの水平位置よりも15㎝前後下がった事である。それは剣を振っていてこれまでの袈裟斬りや胴斬りのように剣に身体が引っ張られる感覚が、身体への負担を大幅に軽減させることをこの正面斬りでも考えたときに、どうもこれまでのように水平で止めてしまっては、まだ残っているエネルギーを身体が受け止めそれが身体への負担になっていると感じられた。それは振り方の変更も関連している。これまでのように背中で振り下ろす方法では柄頭から先に動いているが、MP関節の締め込みによる操作では切っ先から先に動き始め、そうした際の終着点は直感的に水平ではないと身体が感じ始めたのである。剣に体が引っ張られる感覚は、この15㎝程下に切っ先が落ちた際に身体になんとも言えない心地よさが訪れる。剣を跳ね上げる操作も大変心地良いが、振り下ろす体感もこれまでに比べ遥かに心地良いものとなった。MPは切っ先始動により速さが増す。MPの締め込みは私にとって無くてはならない操法の核と言えるものとなっているので、であるならば切っ先始動の感覚は今後も進展していくだろう。「こだわりに気付き、こだわりを無くしたとき、進展は突然に訪れる。」
 
 まだ書き記したいが、今日は敢えてこの思いを心に留めて結びとしたい。


2018年2月12日(月/振替休日)
「杖術 特別講習会」
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2018-02-06(Tue)
 

休みも重要な時間

 インフルエンザが流行っているが、私の周囲では風邪も流行っている。例年1月に風邪を引く事が多いが、今年はまだ大丈夫である。少し危ないなという瞬間があったが、葛根湯を飲んで次の日には元に戻った。やりたいことしかやっていない生活であるが、疲労は蓄積しているようである。ようである。というのはあまり感じていない(感じなくなった)からであり、ランナーズハイという言葉があるが、日々稽古ハイになっており、そのあたりが嫌な仕事をやらざるを得ない状態と大きく異なり、日々の活力になっている。

 だが、身体への疲労がや負担が無いわけではないので、キッチリ休養を取らなければ、その分の代償を払わされるほどの身体の状態に持っていかれるような気もしている。何度も書いたが、昨年の9月5日に傷めた右肘はまさに、休まずに酷使した結果であり、しばらくは稽古内容に制限があった。やはり、休みを取ると動きも軽くなるし、思考も冴えてくる。急がば回れとは言うが、前に進み続けて行くには私の場合は休みが不可欠である。

 暇が多かった時期は、休みの日に身体を鍛えようとか、どこかに出かけて何かを見ようとかそうした身体や脳への詰め込みをしていたが、今は休みの日は文字通り休みの日としている。だがそれは、日々動くべき活動が継続的に求められるという有り難い状況があるからであり、だからこそ贅沢にも休むことが選べるのだろう。 そういう意味では休めるということは貴重なものであり、次なる何かのための必要不可欠な時間とも言える。もう少し言えば、休みは身体と心が次なるステップのためにそういう状況に陥れているものとも思っているので、そこに従うことで、その道筋にある流れに乗っていけるのだと思う。休みが下手だとどうしても、本来のパフォーマンスが発揮できないばかりか、マイナスな状況を自ら引き込みかねない。休まないと強引に身体に休まされるので、そういうものはあまり気持ちがいいものではないので、そうなる前に気持ちよく休みたい。だが私も下手なのでその辺りは色々な方から御指摘を受けている。

 先日日曜日に撮影した映像であるが、生徒からの反響も良かった。悔しい思いをしている方もいると思うが、今後の講習で次へのリベンジとすべく励んでいただきたい。この動画は他のサイト等に共有するとデータに反映して分かりますので、消去せざるを得ない状況にならないためにもお気をつけいただきたい。視聴はホームページからのみとお願いいたします。(データを見て今後の撮影を辞め消去する可能性もあります)

 さて、昨日月曜日は高田馬場で後藤氏とT氏と稽古をおこなった。昨日は杖術の新しい技であり操作法のキッカケとなる「流転落とし打ち」に進展があった。腕の操作を制限するようにし、肩甲骨と股関節ですべてが繋がるように動くというものである。名前にある流転というのは「生生流転」から頂いたもので、流転…ものごとが止まることなく移り変わっていく。という意味が、この動きにある一つ一つの動きに身体各部がさまざまな動きが求められる事から、この技の稽古を通じてさまざまな動きに変化が起こる気がして、重要なものと位置づけている。

 抜刀術では、稲妻抜きを稽古したが、抜刀術の中でも特にこの技は条件が厳しいものである。だが、条件が厳しいということは、それに応じるべく身体の使い方が求められ、無理だろうと思えることを突破する事に稽古の意義がある。二尺七寸の居合刀では厳しいものもあるが、突破するためにはここから逃げる訳には行かない。

 昨日はI氏にも「旋打千回」をおこなって頂いた。後藤氏に受けをお願いし約9分間で終えた。これで私の稽古に毎週参加されている方は全員おこなったことになる。T氏と最後におこなった抜刀術稽古の初動に進展が見られた。

 昨日も杖術に抜刀術と得るものがあった。そして本日の「高齢者のための剣術教室」では、昨日おこなった流転落とし打ちから気付いた身体の使い方を体操として皆さんにお伝えしましたが、やはり肩甲骨を動かす事に慣れていないため、しばらく様子を見てましたが、もう少し簡単におこなえるものにしなければならないと感じました。効果のあるものと、興味のあるものは、どちらもマッチしていればいいのですが、そうではない場合は、興味あるものの中で効果的な実感を得られるものに変換していかなければなりません。そこが講師としてのやりがいとも言える問われる課題でもありますが、これもやはり突破していかなければなりません。

 明日は諸々、滞っていた用件を済ませなければならない一日となりそうです。一月最後の日、二月に向けて準備をしていきたいと思います。


2018年2月12日(月/振替休日)
「杖術 特別講習会」
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2018年1月 稽古日程

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2018-01-31(Wed)
 
プロフィール

金山孝之


     金山 孝之
  Takayuki Kanayama


松聲館 剣術技法研究員

金山剣術稽古会主宰

Gold Castle
殺陣&剣術スクール主宰

高齢者のための剣術教室
クラーチ剣術教室講師


――――――――――――――

1975年生まれ
福岡県 北九州市出身
東京都 世田谷区在住

1999年
映画監督中田秀夫氏との出会いにより俳優デビュー。他分野では、マンダムのモデルや舞台のプロデュース公演などの活動をおこなってきた。

2006年
小林照子先生とのご縁から  『 からだ化粧 』のモデルを務める。

2009年
武術の道を志しそれまでの活動を一新し武術稽古と研究に励む。

2011年
武術研究家甲野善紀先生に師事し身体の使い方を研究しながら、『 抜刀術 』『 剣術 』『 杖術 』『 体術 』などの稽古と研究に取り組んでいる。また、先生の書籍、番組撮影、記録映像、その他演武等における打太刀や受けを務めている。

2013年
刀と身体操作の技術向上を目指し裾野を広げるべく
『 Gold Castle 殺陣&剣術スクール 』を立ち上げる。

2014年
甲野善紀先生より
『 松聲館 剣術技法研究員 』という名称を頂き、自身の経験を活かした指導法を各道場等でおこなっている。
 
高齢者向け住宅にて
『 高齢者のための剣術教室 』をおこなっている。

日信工業株式会社の製品『 SAMURAI BRAKE 』のプロモーション活動をおこなっている

2015年
『 金山剣術稽古会 』を立ち上げ、現代における武術稽古の必要性を、身体と心で学べる場として活動している。

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