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2019年4月10日と2020年5月22日

 2019年4月10日という日は、これまで耐震化工事のため、半年振りに利用できることとなった戸越体育館での稽古。
 会場が綺麗になり、柔道場も剣道場も全て張り替えられ眩いばかりであった。

 この日のことがなぜ忘れられないかと言うと、体術稽古を始めて間もなく「蠢動」という術理が生まれたからである。
 それは偶然に近いようなものであり、以前から抱いていた私の背中を始めとした身体各部を細かく動かすにはどうすべきかという考えが、この日の体術稽古の開始とともに、「細かく動かしてみよう。」ということになり、座り技から始めたと思うが、身体が強く纏まったことから、今度は立位となり、相手の両腕を持ち、骨盤角度の調整でそれを横へ振りとばすという検証をこれまで沢山おこなったいたが、これに対し蠢動を使ってどちらが強いかを検証したところ、準備に時間が掛かる骨盤角度の調整による身体の強さよりも、簡単にその状態になれる蠢動の方が強かったことに衝撃を受けたのである。

 月別アーカイブを辿って、このブログの2019年4月11日の稽古記事から一部を抜粋してみると、

 体術稽古では、どうしてそういうことをおこなおうとしたのか不思議であるが、やはり発見があった。ある身体の使い方を聞いたりしても自分であまりやる気にはならないことも多いが、今日は開始早々なぜだかこういう風にすれば出来るんじゃないかという思いが訪れ、試しにおこなったところ効果があった。おそらくこの原理は色々な方がやられていると思うが、自分で思っておこなってみて効果を実感すると、興味の持ち方がまるで違ってくる。身体が違えば感覚もイメージも異なる。だから自分のイメージと感覚から実感したものは自分の中で育て上げることが出来る。細かく身体を使えること、そしてそれを具体的に実感出来るまで育て、実感を忘れて取り扱うことが出来ること。身体からのサインにそういうものだと諦めていたのかもしれない。私にとって馴染みの体術稽古空間でもある戸越体育館が復活したので、これを機に進展させていきたいと思う。(おわり)


 それから、今日まで蠢動の術理を用いた身体の強さを実証する稽古は、いろいろやってきたが、体術というよりは、力の通し方の検証だったため、いつかこれを体術と呼べるものにしたいとあたためていた。

 それが今年2020年5月22日、甲野善紀先生のところで、先生からアドバイスをいただいたところ驚くような展開となってしまった。生まれて初めて言葉を失うという経験をしたが、この瞬間に数年分の価値あるものに気が付き始めたと言っても過言ではない。

 このことは、今も驚いているがこれから先展開によってはどうなっていくのか、「楽しみ」という言葉とは全然違う気持ちであることも初めてである。

 そして、昨日と今日はそれについての稽古をおこなった。道場ではない場所なのであまり時間を掛けて出来ないが、先日先生に受けていただいたものの、八割程はガッカリする結果になると心の準備をして受けていただいた方に試してみると、カクンと簡単に倒れてしまった。これは、引き込み潰しの時と同様に、足で踏ん張ることが出来ず、なぜだか解らないが崩されてしまう不思議な現象である。

 互いに向かい合った状態で、相手の両肩を横から掌で触れた状態で、足も掛けずにそのまま横に倒すのである。
 掴まない、足を掛けない、力まない、速くやらない、それで相手が床に背中を付けて倒れてしまうので、お互いが驚いてしまうのである。私としても、倒したと思う前に、倒れてしまったあと「なんで?」と全く解らなかった。

 これには三つの要素が肝要であり、「滑らせること」「沈むこと」そして「蠢動を掛けること」、その三つが無ければ出来ない。
 そして蠢動がなければ、まずこうしたことをやろうとも思わないし、やっても何もしらない素人がやっているような感じでビクともしない「やっぱりね。」というような当たり前の結果に終ってしまう。

 考えてみても、両肩を掌で触れられた状態から転がされるというのは、俄かに信じ難い現象である。この三日間の検証で、体術として蠢動の術理を展開していく中で、脱力、ぶつからない、急がない、蠢動が止まらない相手との接触が維持できていること、そして、滑らせる事も技によっては欠かせないものであり、沈みのレベルも高めていくことで、さらに利きが向上するだろう。

 これが、今夏発売のDVDに「蠢動」の術理を丁寧に解説したものが収録されている。4/27に撮影がおこなわれ、その後、座りでおこなった「蠢動による横倒し「」という技を立った状態で出来ないかと思うようになり、なんとなく出来そうな気がして、5月に入って試みる機会があり、相手の足を浮かせることが出来て、これは場合によってはそのまま倒せるなという感じはしていた。それが、先日22日の甲野先生のアドバイスでストンと転がせることが解ったのである。今日の稽古でも、蠢動は微妙なものであり、実感なきものであり、しかし操作しなければならないため、非常に繊細な感覚が必要となる。それなりに強力には誰でもなりやすいが、蠢動同士で掛け合った場合、より働きが上回っている方に軍配が上がる。だから、蠢動の精度を高める稽古と言うのは私の稽古の中ではこれからさらに欠かせないものとなってくるだろう。強い状態と弱い状態が紙一重にある。そこに奥深さがあり、禅に近い感覚も、蠢動の状態には含まれているのかもしれない。

 とにかく、6月に施設が使えるようになれば、遣りたい事が沢山あるので、毎回時間を惜しむような稽古になってくるだろう。自然に訪れる流れに身を任せて、そのことに最善を尽くすのが一番である。


2020年6月6日(土)『抜刀術 特別講習会』(お申し込み受付中)
※中止になる可能性がありますので御了承下さい

金山孝之 YouTubeチャンネル

金山孝之 指導・監修 DVD
『古武術は速い~“型の手続き”を追求した剣・杖の実践的な体使い~』


金山剣術稽古会

甲野善紀先生からの紹介文

2020-05-25(Mon)
 

紙一重の深さ

 昨夜は、松聲館で甲野善紀先生と稽古。先生は4/23から武術と食事に共通する組立ちのようなものを実感され、以降食事量が激減されている。お痩せになられていたので、訊いたところ53kg台と仰られ驚愕した。

 私の場合、武術を始めた頃は55kg台で、夏場の稽古後は52kg台に落ちたこともあったが、現在は61kg前後で、しばらく60kgを切っていない。かつてボクシングをやっていた頃は、高校二年の時に試合前の軽量時に44.7kgに落としたことがあったが、約10kgの減量は、舌がザラつき、頬骨が飛び出し、頭が小さくなり、指の間に隙間が広がり、お尻の肉さえ無くなった。一ヶ月間一度も笑わず、毎日立ち上がるたびに貧血で、声も高くなった。そうした影響があったのか、18歳で大腸ポリープを摘出したが、短期間であったとはいえ、人生で最もキツイ日々だったと思う。

 体力は無いに等しかったが、腿の軽さ、腕の軽さには驚いた。今は、そうした生活とは無縁となったが、それでも体重をどの辺りにするかということは常に考えている。私が体重を増やし始めたのは、武術の道に入ってからであり、それでも最初の三年程は今までの状況から自分を変えることがなかなか出来ずにいた。しかし、居合刀を二尺四寸五分から二尺七寸に替えた際に、この身体では壊してしまうと直感し、自分の中で体重制限していた値のリミットを解除した。

 それでもなかなか体重は増えなかったが、一年毎に徐々に平均値が増え始め、感覚的に重たくならずに得物に合わせた身体に近付いた。だが、先日正面斬りを二千回やった影響なのか、先日おこなった正面斬り数十回が、感覚的に鈍くなっており、力はついているものの、それが仇となり瞬間に感じられていた心地よさのようなものが失われていた。ああ、やっぱりそうなったかと思ったが、鈍くなる稽古は本当に鈍くなるということが実証できた。あらためて、稽古は感覚の追求に沿っていかなければならず、それが鈍くなるようなものを優先してはならない。

 昨夜の稽古では、先生の突きに機先を制されるような、分っていても驚いてしまう働きがあり、それがどうしてなのか、太刀奪りという先生の稽古法に、身体と意識の使い方、また、それが備わっていることで、あらゆる心理的働きが自らにも相手にも利いてくるということが納得できた。つまり心理的なものを技として運用して行くには、身体が無意識に近いところで、感覚的には無意識で、そのことを行えることが基盤になっていなければならない。

 それは、強さと弱さが紙一重となる身体の使い方にも言えることであり、その基盤にあるものがあるかないかで、紙一重の差と言うのは天と地ほどの差になっているのだと思われる。それは紙一重だからこそ気が付き難いものであり、信じ難いものでもある。だから、稽古と言うのはその段階に応じた稽古があり、その道を辿ってようやくその事に気が付けると思えるし、そのためには、稽古を重ねて行くしかない。つまり願いを通すための念が日々の中で稽古に宿ってなければならない。それは、次なる稽古までの間にも活き続けているものであり、願いと言う関所を通過するための手形を探していることに等しい。

 少し語りすぎたが、あらためて人間は自らの身体を把握することに務めなければ、誤った方向に流れてしまう。尤も人間の資質とはもっと違うところで作られているのかもしれないが、学ぶことの概念が根幹から崩れてしまっている現代では、少数派の人々が、誤りから離れ、距離をおき、軌道修正した学びを実践していくことが重要だと思える。その人の力量の中で。

 とにかく、昨夜の稽古も記憶に残るものであり、石臼で挽いた玄米の溢れ方や、ゴロゴロとした心地よい音、それだけでも当時は良い時代だったような気がして、貧しくても、平均寿命が短くても、生きている瞬間の感動は大きかった筈である。今を感動して生きて行くためには、情報発信とは無縁な所にある人からの情報が必要なのかもしれないし、情報を浄化する謙虚な志も求められる筈である。そこがまだ未熟な現代なのだろう。


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2020-05-23(Sat)
 

無いもので理解しようとしないこと

 体術の「蠢動からの横倒し」は、これまで正座になっておこなっていたが、どうやらこのエネルギーの伝達は立っておこなってもある程度の力を発揮することが分かった。これには、蠢動が出来ていなければ何にも起きないのであるが、蠢動を働かせれば「弱所散助」の効果により、今まで出来なかったことが出来るようになる。しかし課題は山積であり、これを武術としての技にするにはまだまだ工夫が必要であるが、今はそこを焦らずに検証し、実感を得た流れから次第に実用的となる技に育てて行きたいと思っている。
 体術稽古の難しさであり興味を惹かれるところには、ふつうに考えた力や速さ、崩す展開などとは違うところにある。それが原理や術理と言われるものになってくると思うが、それはおそらく、登山で言うところのそれぞれのルートから登っているものであり、頂にあるものはどこから登っても共通したものがあるのだろう。私など、まだ、教えてもらったルートを安全に登っているだけなので、かなり楽な傾斜を登っているだけなのかもしれない。だが、いずれ必ず断崖絶壁の急斜面しかなくなる道に入っていかざるを得ないため、その時に必要な装備は、今のルートからでも備えておかなくてはならない。
 今までに出来なかったことが僅かながらも出来るようになってきている。少しずつであるが崖を登る準備は整えて行かなければならない。しかし、私の性格はあまり冒険をしたがらないので、急がずに穏やかに確実に登って行きたいと思う。

 今日は朝6時にとある場所で稽古をしようと思い、昨夜は0時前に床に入った。しかし全く寝付けず、呼吸が変わって惜しい瞬間も何回かあったが、結局一睡も出来ず、あきらめて4時過ぎに起きた。

 稽古があるからなのか、四時間の間に一分でも意識が落ちなかったことに、「よしわかった。今日は二千回正面斬りしてやる。」と、朝稽古のあとに、やると決めたのであった。

 5時に屋外で稽古着に朴歯を履いて人が多くなってきた6時過ぎまで杖術や剣術をおこなった。やはり声を掛けられたり、目立ってしまうため、早朝でも難しいものである。初めて下駄を履いて摺り足など幾つかの技をおこなったが、意外に動けるものである。それにしても、早朝の空気は良いものだ。
 
 部屋に戻って昼まで就寝。今度は眠れた。

 食事をした後、14時から正面斬りを始めた。この正面斬りとは、下段の構えから剣を振り上げて真っ向に斬り下ろすというもの。右から見ると、楕円軌道に切っ先が回転している。正目から見ると、左手は、ほぼ身体の中心から外れずに下段の構えから上に上がって下りている。

 先日の日曜日に千回やった後、もうこれをやる必要は無いと思っていたが、眠れぬ四時間の合間に考えが変わった。今日は、倍の二千だ。この程度は示現流の立木打ちに比べたら大したことは無いので、まあ取りあえずやってみるかと、身体を痛めても今なら大丈夫なので、前回、前々回のように速度を保ったまま最後までおこなわず、今回は刃筋を精確に通すことを心掛けて開始した。

 前回は、三百回で一呼吸、以降百回毎に一呼吸おいて、最後の二百は続けておこなったが、シャツを絞れば滴り落ちそうなほど汗が吹き出た。今回は、刃筋を優先し、それでもそこそこの速度で振ったが、千回までブッ通しておこない、二分ほど呼吸を整えたのち、千五百回で同じく二分ほど一呼吸挟み、あとは最後の二千回までひたすら機械のように動いた。

 15時45分に終えたので、1時間45分で二千回を終えたことになる。前回、前々回の、速さを維持した千回より身体の負担は少なく、今回は床を汚したくなかったのでエアコンを使い汗も大したことはなかった。この正面斬りは、刃筋を意識することで確実に精度が上がり、今までなかなか解らなかった感覚が、二千という長い時間を繰り返していくことで、身体の方から教えてくれることがあった。真っ直ぐに振り下ろすことの難しさは、剣を振っている方には分かると思われるが、正中線や、両足の歩幅、正面に対する目付け、両手首の角度、手之内の締め具合、真後ろから頭上に通る切っ先の把握、など様々に探って行くがどれも安定的なものにはならず、唯一安定的に振れるようになったのは、下段の構えからの円軌道の把握と予測であり、これは確認するものではなく、やっていく中で手に無いものを手に入れていかなければならないものだと気がついた。つまりこれは、こうすれば誰でも出来るという技法的なものよりも、身体の規矩をつくり、その規矩に沿って感覚的に「こういう感じだろう。」というものを掴むより他に無いのではないかと思える。したがって、数の稽古は下手になると思っていたが、それは無闇にサッサと数の達成を目標に早く辛い時間を終らせたいという本音を隠して行う稽古ではマイナスになってしまうが、自ら未知なる感覚を望むために未知なる回数をおこなうことは稽古の方法としてアリだと思える。おそらく、三千回、四千回までは可能かもしれないが、二千近くなってきたところで、両足が痺れ始め、少し動いて見たところ両膝も痛みに襲われていることに気がついたのである。

 上半身ばかり、故障しないように意識していたが、まさか膝にきていたとは想定外だった。

 幸いなことに、程なくして痛みは消えたが、正面斬りの衝撃が膝に掛かっていたことは直ぐに解った。刃筋については、目を瞑って精度を高めるようにおこなうと、目を開けた状態でおこなった際の精度が格段に向上することも解った。だが目を瞑って精度を上げるのはなかなか難しい。確認は最中なので猶予が無い。円軌道で把握していくことが、今日の気づきであり成果であった。

 そして、振り終えたあとに驚いたのは、背筋の纏まりと安定さ、胡坐をかいて座った際の背中の真っ直ぐさと、まるでコルセットか何かを付けているかのようなピタッとした安定感があり、その状態が一時間程続いた。

 これは思っていたより身体を変えるかもしれないと感じた瞬間であったが、刃筋を意識するということは、当然自らの姿勢や正中線、即ち背骨の意識も相当集中が高まっていると思われるので、この振り終えた後の実感は、身体からの声であろう。今後も、回数は減らしながら速度をやや抑えることで、より精度に向き合う事が出来ることも解ったので、そのなかで、円軌道と、姿勢と、手之内や、関わる全ての働きをまだまだ身体が求めているので、それに応じてあげたいと思っている。ただ、感じたことは、頭で決めつける事が向いていない稽古のため、決め付けず、安易にこれだと探さずに、無いもので理解しようとせずに、何かを得るための稽古として、身体からの声に耳を傾けていきたい。


2020年6月6日(土)『抜刀術 特別講習会』(お申し込み受付中)
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2020-05-15(Fri)
 

心に感じる稽古

 五月も私が主催する稽古会や講習会は全て中止となった。もちろんこれは私以外の殆どの方が同じだと思われるが、外に出向かないことで交通費や食事などの出費は抑えられている。今はなるべく外食を避けたりしているが私の場合、食事に関してはあまりあれが食べたい、これが食べたいというところがなく、大体いつも同じようなもので十分である。頂いたものは何でも食べるが、最近は甘過ぎるものは感覚的に疲れるように感じてきた。玄米は欲求で麻痺した感覚を調整する働きがあるのかもしれない。

 徹底した食事の管理はボクシング時代の減量の時であったが、高校時代は54.5kgから45.0kg未満まで9.5kgを落としていた。食べ物の欲求は我慢出来るようになってくるが、本当に大変で辛かったのは水分の我慢である。水も体に吸収されてしまうので、一日に摂取する水分は減量の終盤は極僅かしかなく、うがいで気を紛らわすしかない。

 しかし、試合が終れば三日で体重が元に戻り、食事のバランスが乱れ、あれだけ念入りに節制していたのが嘘のように暴飲暴食となってしまうのである。食事のコントロールは無理が無いことが一番で、我慢をすればその反動は大きい。ここ数年、私も40代半ばとなったことで、以前のように勢い良く食べ続けることが出来なくなってきた。もう少しこの体を大きくしたいと言う思いがあったが、果たして、それは自然に任せて、身体が辛くないように、味覚よりも感覚を優先するような、欲求よりもその後の成果を優先できるような、そこに満足感の優先順位の入れ替えが出来れば、身体への罪悪感から解放されるのではないかと思う。だが、これはなかなか難しく、無理してやるのではなく、そうしたいと自然に思えるようになって初めて実現できることだと思う。今、甲野善紀先生が、食事に対して武術的観点から新たな世界を見出されていますが、私もいつかは「食事」というものについて、身体の真の欲求に気付いてあげられるようになりたい。

 今夜は、松聲館で甲野先生と稽古。先生のTwitterを読んでいたので、どのようになられているのか想像しながら伺いましたが、本当にスッキリされ、お顔の肌の色からも健康的に感じ取ることが出来ました。体術に剣術、無想の動きがさまざまに展開されるようになり、その働きのキッカケなど、私など出来るものではありませんが、どうしてそれが出来るのかということがおぼろげながらも理解は出来ます。そこに至るまでの稽古が私などには重要であり、それが何年掛かるのか分りませんが、そこにある、今は足りていない部分をどのようにして取り入れていかなくてはならないのかが稽古における工夫であり、身体が経験したものの中からそれを探っていかなくてはなりません。昔は、そのようなことに全く気が付かず、今出来るようになろうと考えたりしていたものですが、これまでの経験の中で、数年後にようやく気が付く、実感出来るものがようやく訪れる、ということの経験から、焦らずに、しかし、今夢中になれる事に全力で向き合って行くことが、いずれ全てに繋がってくるものであると信じております。それがどこまでなのか解りませんが、自分自身夢中になれるものを見つけるという事が最優先ですので、その見つけ方というものを感じるように学ばせて頂いております。

 日々生活しておりますと、些細なことやチョッとした一言などが頭に残り、それが今後の大きな問題の一つになりうることも考えられますが、こうした心に感じる稽古というのは、それまでの全てを吹き飛ばすほどの強さがあります。根本にあるものが、どうであるかにより、人は動じずに生きていけるのだと思います。それは自分ひとりの力でやって行くのは難しいものですが、心に感じる方々と稽古したり、会話が出来ることは、とても重要で大切な存在であります。ですから、人との縁は大事にしていかなければなりませんし、その縁を失わずにいられるのは普段の自分がどうであるかということに通じてくるものだと思います。

 ご縁が長い方とは、お会いしていなくても、電話やメールなどで心に感じるやりとりが生まれます。そうした方々と支え合って生きて行くことが、幸せであり、価値のあることだと私は思っております。

 今日も学びのある一日となりました。今は自分の身体に対し夢中になれるものを実践出来る時期でもあります。心が先か身体が先か、今までに無いものを掴んで行くには、心、或いは身体、そのどちらかにジックリと向き合っていくことで、そのどちらも変化を感じることが出来るかもしれません。人間は如何なる状況でも進んでいこうといたしますので、今の状況に合った進み方で、必然的なるものを手に入れたいと思います。


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2020-05-02(Sat)
 

学ぶ執着と失う潔さ

 桜が散ったせいか、いつの間にやら公園に入れるようになっていた。そのため昨日は8km程走ったが、全体的に身体が重たく感じた。歩く距離や走る距離が落ちていたので、感覚的に重さを感じたのは納得出来る。剣や杖に関しても、当然自宅稽古では今までと同じようには出来ていない。しかし、今しか出来ない微妙な感覚を養うには、この制限された状況に自得となるものがあるはずである。

 まだ読みかけの本が一向に進んでいない。なんだかんだで、時間が無いのだが、それはそれで今の状況ではありがたい事だと思っている。これまでに無く自らと向き合う事が出来る時間。視覚に捉われず、内なる部分へ眼を向け身体と対話出来るか、そこに興味を持って行きたい。

 昨夜は、松聲館へ伺い、甲野善紀先生と稽古。

 今は本当に稽古が出来る環境が貴重であり、私にとってそれは不要不急どころか、必要火急なものである。人を招いての講習会や稽古会が出来ない今、それでも武術稽古は待った無しのものだから、学ぶということでは今ほど覚悟を決めて(以前からそうであるが)望める機会は無いだろう。

 稽古の中で、袋竹刀を槍のように両手を広く持ち、それを先生に突き入れた際に下段からそれを払われ中心に突き入れられたのには驚きました。私もそれなりに身体は練っているのですが、俄かに信じ難いような払いの強さでした。体術や杖術、さまざまに受けたり拝見させていただくことが出来ました。

 学ぶ執着と失う潔さ。その相反するものが両立出来るか。これは生き方の根幹にあり、納得に外れていないものだと思う。


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2020-04-22(Wed)
 
プロフィール

金山孝之


     金山 孝之
  Takayuki Kanayama


1975年生まれ
福岡県北九州市出身
東京都世田谷区在住

松聲館技法研究員

金山剣術稽古会主宰

Gold Castle
殺陣&剣術スクール主宰

高齢者のための剣術教室
クラーチ剣術教室講師


1999年
映画監督中田秀夫氏との出会いにより映画に出演。そのほかマンダムのモデルや舞台のプロデュース公演などをおこなう

2006年
小林照子先生とのご縁から
「からだ化粧」のモデルを務める

2009年
武術の道を志しそれまでの活動を一新し武術稽古と研究に励む

2011年
武術研究家甲野善紀先生に師事し「抜刀術」「剣術」「杖術」「体術」などの稽古と研究に取り組んでいる。また、先生の書籍、番組撮影、記録映像、その他演武等における打太刀や受けを務めている

2013年
刀と身体操作の技術向上を目指し裾野を広げるべく「Gold Castle 殺陣&剣術スクール」を発足

2014年
甲野善紀先生より
「松聲館技法研究員」を拝命
自身の経験を活かした指導法を各道場等でおこなっている
 
シニア住宅にて
「高齢者のための剣術教室」をおこなっている

日信工業株式会社の製品
「SAMURAI BRAKE」のプロモーション活動に携わる

2015年
「金山剣術稽古会」を発足
現代における武術稽古の必要性を身体と心で学べる場として活動している

2018年
「関西特別講習会」として定期的に関西地域での講習会を開催

2019年
BABジャパンよりDVD『古武術は速い』刊行

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